大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和59年(あ)87号 決定 1984年11月09日

本店所在地

東京都立川市富士見町一丁目二二番二二号

第一重機工業株式会社

右代表者代表取締役

鈴木光

本籍

東京都立川市富士見町一丁目四二番地

住居

同 富士見町一丁目二二番二二号

会社役員

鈴木光

昭和二年九月一〇日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、昭和五八年一二月一四日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、各被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人両名の弁護人岸厳、同笠井浩二の上告趣意のうち、被告人鈴木光の収税官吏に対する質問てん末書及び検察官に対する供述調書の証拠採用に関して憲法違反(三一条、三四条、三七条三項、三八条一項、二項)、判例違反をいう点は、記録によれば、右各調書が所論指摘のような約束や経過で作成されたものではなく、その任意性に欠けるところはないとした原判断は正当であるから、所論は前提を欠き、その余は、憲法違反(三一条、三八条三項)という点を含め、実質は事実誤認、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 大橋進 裁判官 木下忠良 裁判官 鹽野宜慶 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎)

○ 上告趣意書

被告人 第一重機工業株式会社

同 鈴木光

右者らに対する御庁昭和五九年(あ)第八七号法人税法違反被告事につき、弁護人は左記のとおり上告の趣意を開陳する。

昭和五九年四月一一日

右主任弁護人 岸巖

右弁護人 笠井浩二

最高裁判所

第二小法廷御中

目次

(丁数)

第一点 弁護人選任権の侵害による自白(憲法第三一条、第三四条、第三七条第三項、第三八条第一項違反)・・・・・・二六六〇

第二点 利益供与の約束による自白(憲法第三八条第二項、最高裁判例違反)・・・・・・二六八四

第三点 偽計に基づく約束による自白(憲法第三八条第二項、最高裁判例違反)・・・・・・二七〇四

第四点 脅迫的取調による自白(憲法第三八条第二項違反)・・・・・・二七二二

第五点 査察官による質問てん末書の作文による自白(憲法第三一条、刑訴法第三二二条第一項違反)・・・・・・二七三七

第六点 事実認定の違法ないし重大な事実の誤認(憲法第三一条、刑訴法第三一七条違反)・・・・・・二七六一

第一 個人資産の譲渡について・・・・・・二七六二

第二 個人資産の譲渡と商法上の手続の欠缺について・・・・・・二七八五

第七点 審理不尽の違法並びに重大な事実誤認・・・・・・二七九二

第八点 重大な事実誤認・・・・・・二八二〇

第一 被告人に故意がなかったことについて・・・・・・二八二〇

第二 家族従業員に対する給料手当および賞与の支給について・・・・・・二八二九

第三 賞与の翌期支払いと債務の確定について・・・・・・二八五〇

第四 その余の問題に対する誤認について・・・・・・二八五八

第一点 原判決には、憲法第三一条、第三四条、第三七条第三項、第三八条第一項に違反して、査察官が被告人らの弁護人選任権を侵害する等違法な取調に基づいて作成された質問てん末書に証拠能力を認めているが、右違法は、判決に影響を及ぼすこととが明らかであるから破棄されるべきである。

一、憲法第三一条は、何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又その他の刑罰を科せられない、旨規定し、刑罰を科する場合に、法律の定める手続を保障したものである。これは、アメリカ合衆国憲法にいう「妥当な法律の手続」(due process of law)と同じ意味に解すべきである(宮沢俊義、憲法Ⅱ、法律学全集4、三九九頁)。

この点につき、最高裁の判例は、「第三者の所有物を没収する場合において、その没収に関して当該所有者に対し、何ら告知、弁解、防禦の機会を与えることなく、その所有権を奪うことは、著しく不合理であって、憲法の容認しないところであるといわなければならない。ただし憲法二九条一項は、財産権は、これを侵してはならないと規定し、また同三一条は、何人も法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられないと規定しているのであるが、前記第三者の所有物の没収は、被告人に対する附加刑として言い渡され、その刑事処分の効果が第三者に及ぶものであるから、所有物を没収せられる第三者についても、告知、弁解、防禦の機会を与えることが必要であって、これなくして第三者の所有物を没収することは、適正な法手続によらないで、財産権を侵害する制裁を科するに外ならないからである。」と判示している(最高裁昭和三七・一一・二八判決、刑集一六・一一・一五九三)。

この判例は、憲法第三一条の要請する法律の定める手続とは、単に法律の定める手続を要求するのみならず、刑事手続が内容上適正なものでなければならず、この適正とは、告知、、弁解、防禦の機会を与えることであることを明らかにしたものである(判例コンメンタール2、憲法Ⅱ、有倉遼吉編、一〇頁、一一頁)。

この憲法の規定を受て、刑訴法第三〇条第一項は、身体の拘束の有無に拘らず、「被告人又は被疑者は、何時でも弁護人を選任することができる。」と規定し、被疑者および被告人の弁護、防禦権を保障するために、弁護人の選任権を保障している。したがって、捜査官が被疑者の弁護人選任権を侵害した違法な取調によって被告人の自白を録取した供述調書を作成しても、右供述調書は憲法第三一条に違反し、証拠能力を有しないものである。

二、また、憲法第三四条は、「何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。」と規定し、身体の拘束を受けた被疑者の弁護人依頼権を保障している。

また、憲法第三七条第三項は、「刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。」と規定し、刑事裁判における被告人の弁護人依頼権を保障している。憲法のこれらの規定を受けて、刑訴法第三〇条第一項は、身体の拘束の有無に拘らず、「被告人又は被疑者は、何時でも弁護人を選任することができる。」と規定している。これらの規定は、被疑者または被告人の基本的人権を保障するために設けられたものである。法律的な知識が貧弱な上、犯罪の嫌疑による心理的弱感をもっている被疑者または被告人が自己を弁護するだけでは不十分なので、資格を有する弁護士のなかから弁護人を選任し、この弁護人による弁護を認めたのである。したがって、この弁護人依頼権の保障は、単に弁護人を選任することができるという形式的な保障を意味するにすぎないものではなく、実質的に弁護人の弁護を受ける権利を保障したものでなければならないのであって、当然に、弁護人選任権の保障と弁護人の接見交通権の保障を含むものである(谷口敬一、弁護権侵害による自白、判例タイムズ三九七号三〇頁、上田勝美、刑事手続上の人権、ジュリスト六三八号三四四頁)。このようにして選任される弁護人の弁護権の実効的保障の実現を期するためには、弁護権の侵害に対する司法的救済方法の完備が必要になることは蓋し当然のことである。このなかで最も重要なことは、弁護権侵害により得られた自白を排除するという方法である。弁護権が侵害された状況下で取得された自白については、その証拠能力を否定することにして排除しなければ、弁護権そのものの保障も、さらには基本的人権の保障も実効を期し難いし、違法捜査を防止することも困難であるからである(前記弁護権侵害による自白、三一頁、中島卓児、勾留及び保釈に関する諸問題の研究、二三二頁、横川敏雄編、逮捕勾留保釈、一二八頁、田宮裕、証拠法大系Ⅱ、弁護人選任権の侵害と自白、一九一頁以下)。

三、学説の多くは、適正手続を保障している憲法第三一条の規定や基本的人権を保障している憲法の趣旨などにかんがみ、違法な手続、手段によって獲得した自白の使用を禁止し、あるいは、その証拠能力を否定する傾向にある(団藤重光、新刑事訴訟法綱要七訂版、一三〇頁、平野龍一、刑事訴訟法、七三頁、田宮裕、証拠法大系Ⅱ、弁護人選任権の侵害と自白、一八五頁以下、捜査の構造、二九三頁)。したがって、弁護人の選任権の侵害による自白の問題も、違法収集証拠の一態様である。

ところで、弁護人選任権が侵害された場合には、自白自体の任意性が問題とされるものではなく、自白獲得の手段・方法の違法性が問題とされるものである。なぜなら、弁護人選任権の侵害された場合に、その状況下で取得された自白の使用の許否を決するにあたり、単に自白の任意性の問題として捉えれば足りるとして、弁護権の侵害という自白獲得手続の違法の問題を一切取り上げないとしてしまうと、憲法の規定する適正手続の保障の要請に反することになるかからである。適正手続の保障という観点からは、このような場合には、その自白獲得の手続においても弁護権の侵害という違法があることを理由に、端的に、その自白の使用を禁止する必要がある。このような弁護権の侵害がある場合は、憲法で保障されている被疑者の地位の侵害と目することができる。弁護権の保障をなきに等しいまでにもじゅうりんして取得した自白を有罪認定の証拠として使用することを認めるようでは、憲法により保障された弁護権は、全くなきに等しいと言わなければならない。刑事訴訟は、刑事手続に関して憲法上保障された権利をなきに等しいまでに侵害して獲得した証拠を有罪認定の証拠として使用することを肯認しているとは到底考えられない。この場合、適正手続の保障は実体的真実主義に優先し、そのような違法な状況下で取得した自白を証拠として使用することを禁止することが、まさに被疑者の人権保障によく資し、さらには将来における弁護権の違法な侵害をよく防止しうることになるからである(谷口敬一、弁護権侵害による自白、判例タイムズ三九七号三〇頁以下、熊本典道、別冊法学セミナー基本法コンメンタール、刑事訴訟法四八頁、弁護人選任侵害による自白、刑事訴訟法判例百選(新版)一七四頁)。

四、下級審の判例も、弁護人選任権の侵害をはじめとする弁護権の侵害のある場合には、次のように自白の証拠能力を否定している。

(一) 大阪高裁昭和三五・五・二六判決、下刑集二・五=六・六七六)

右判例は、逮捕後の取調にあたり捜査機関が被疑者の弁護人選任の申出を弁護人に通知することを怠った場合につき、憲法第三四条により保障された弁護人依頼権は全く無視されたとして、被疑者の捜査機関に対する供述調書の証拠能力を否定したものである(田宮裕、弁護人選任権の侵害と自白、証拠法大系Ⅱ、一八五頁以下、熊本典道、前掲弁護人選任権侵害による自白)。

(二) 大阪地裁昭和四四・五・一判決、判例タイムズ二四〇・二九一)。

右判例は、被疑者から弁護人選任の申出があったのに捜査官がこれを拒否した場合につき、被疑者の段階においても弁護人選任の権利は被疑者の防禦権の重要な部分をなすものであるから、このような経緯のもとにすすめられた被疑者の取調は、その手続において重要な瑕疵が在するとして、捜査官に対する自白調書の証拠能力を否定したものある。

(三) 大阪高裁昭和五三・一・二四判決、判例時報八九五・一二二)

右判例は、捜査官が被疑者から連絡を受けた母親が弁護士費用を警察に持参したのを説得して持ち帰らせた場合につき、当然与えられるべき被告人の弁護人選任権を取引材料として、被告人に心理的圧迫を加え黙否権を侵害して自白を強要した不当な取調べ方法であり、それ以後作成された被告人の捜査官に対する供述調書は任意性に疑いがあり証拠能力がない旨判示している。

(四) 大阪地裁昭和四六・五・一五判決、刑裁月報三・五・六六一)

右判例は、被疑者が弁護士を指定して弁護人に選任したい旨申出たところ、捜査官が全くこれを怠って弁護士に通知せず、取調を進めた場合につき、被告人の防禦権(特に弁護人依頼権)は憲法、刑事訴訟法の各規定の趣旨に照し特に強く保障されることが要請されていたものといべきであって、このような取調は被告人の弁護人依頼権ひいては防禦権を著しく侵害してなされたものとして、右取調において作成された自白調書は、刑事訴訟法三一九条一項および憲法三八条二項により刑事裁判における証拠能力を欠くと判示している。

(五) 函館地裁昭和四三・一一・二〇決定、判例事法五六三・九五)

右判例は、任意出頭し、逮捕状が執行される以前に取調中の被疑者につき、捜査官が弁護人から申立てられた弁護人選任手続および被疑者との協議のための接見を拒否した場合につき、憲法三四条刑訴法三〇条の保障する弁護人依頼権は単に弁護人を持つという形式的な権利でなく、弁護人の援助を受け自己の利益を擁護する実質的な権利であり、殊に任意出頭の段階において、捜査機関が被疑者の取調べを理由に弁護人との面接を拒む合法的な根拠は全く存しないとしたうえで、その間に作成された被疑者の自白調査について、弁護人との面接を妨げることによって、被疑者の防禦権を不当に侵害した状況において違法に収集された証拠であって、その瑕疵の重大性に鑑み、証拠能力を有しないと判示している。

この決定については、「弁護権侵害の状況下での自白について、任意性の領域内でその証拠能力を捉えようとしている判例の傾向と異り、自白獲得の手続過程における弁護権侵害の重大な違法を理由に自白の証拠能力を否定したもので、弁護権侵害による自白の証拠能力の決定にあたり、違法収集証拠排除の法理を取り入れたものと言えよう。」(谷口敬一、前掲弁護権侵害による自白、三二頁)とか、「自白の任意性について云々することなく、弁護人との面接を妨げることによって被疑者の防禦権を不当に侵害したこと自体をもって調書の証拠能力を否定した右決定は、まことに正当なものといわなければならない。」(泉山禎治、証拠法大系Ⅱ二〇二)と評されているのは正当である。

このような観点から、「現行刑事訴訟法における、弁護権の機能とその保障の絶対性にかんがみるとき、接見交通権の侵害による自白をはじめとし、「有効な弁護を受ける権利の侵害」による自白を、違法性排除説の見地から、自動的に証拠排除することが、今日、わが裁判所に要求されるところの、弁護権の実効的保障の実現のための最も重要な司法的救済手段であると思う」(熊本典道、別冊法学セミナー基本法コンメンタール・刑事訴訟法、四八)のである。

五、本件においては、強制捜査開始直後頃に、査察官と被告人との間に、本件査察事件を早期に解決するために、清水建設の関係者を取調べない代りに、弁護士や税理士を関与させずに、被告人一人で取調べに応じ全面的に協力する、旨の約束がなされている。査察官は右約束に基づき被告人らの弁護人選任権を侵害する等違法な取調をしたため、第一審で取調べた被告人の自白を記載した査察官に対する質問てん末書一四通(検乙四ないし一七)おびその影響下に検察官に対する供述調書一通(検一八)が作成されている(被告人の昭和五六・八・三付陳述書第一一項3、以下単に「陳述書」という)。

六、この点に関し、原判決は、「原審で取り調べた被告人の収税官史に対する質問てん末書一四通及び検察官に対する供述調書一通は、所論が指摘するような約束や経過で作成されたものとは認め難く、むしろ被告人が任意に供述したものを録取して作成されたものと認めるのが相当である。してみると、右各調書はいずれも証拠能力を有するものというべく、これを証拠に採用した原判決には、訴訟手続の法令違反はない」旨判示する(七丁)。

しかしながら、原判決は、その点に関し全く合理的な理由を説示していない。原判決の認定した事実によると、「被告会社では、以前から弁護士岸巖及び税理士永松勲との間で、それぞれ顧問契約を結び、その報酬を支払っていたところ」、右弁護士は、本件捕脱事件で強制捜査を受けて以来本件起訴状が被告人らに送達された後まで、本件には全く関与していないことを前提に、(原判決はこの間に右弁護士が本件に関与した事実を認定していないが、第一審の昭和五七・五・一七付証拠採用決定(以下証拠決定という)によると、「証拠上国税局が本件で同月一六日の査察後に清水建設の関係者を取調べた形跡はなく、被告会社には本件査察当時顧問弁護士や税理士がいたが、被告人鈴木が査察の段階で弁護士や税理士の関与を受けながら取調べを受けた形跡も認められない。」

(六丁表一二行から同丁裏二行目)と明確に認定している。また、本件査察事件の捜査を担当した関谷隆証人は、岸巖弁護士と会うのは第一審の第二一回公判(昭和五六・一〇・一九)廷において初めてであること、および、同弁護人が本件査察事件につき、国税局に折衝や交渉に行った事実のないことを認める旨の供述をしている「第一審(以下同じ)第二一回公判、七六六丁」。)「被告人は、同年一二月四日右事件の弁護人に弁護士岸巖を選任し、その旨を記載した弁護人選任届を原裁判所へ提出した。」旨認定している(六丁)。

原判決では、なぜ被告人らが捜査段階において、顧問弁護士がいたのに拘らず、顧問弁護士を弁護人に選任しなかったのか、強制捜査開始(昭和五三・五・六)後六ケ月半を経過した起訴後になって慌てて弁護人を選任したのはなぜか、という最大の疑問に対し、何等の判断も示していない。原判決は、公平に事案の真相を正しく判断することをせずに、予断と偏見に基づき、全く形式的かつ偏頗な理由によって、前記質問てん末書の証拠能力を肯定したものである。

七、次に、原判決は、「被告人は、特に呼出を受けたわけでもないのに、同月一九日、自ら東京国税局に赴き、統括査察官ら数名の収税官吏に対し、本件について強制調査を受けたことを詫びるとともに、その調査には全面的に協力する旨を申し出た。」旨認定する(三丁第二項)。

しかしながら、原判決の右認定は不正確である。この点に関しては、第一審の証拠決定の方が正確である。右証拠決定は、「被告人鈴木は本件査察事件が清水建設の関係者に及べば仕事の注文がなくなり会社の存続問題にも発展しかねないことを危惧するとともに、査察により被告会社の業務に支障が生じないように本件を早期に終了させたいと考え、前認定のとおり、昭和五三年五月一九日自ら国税局に出頭し、査察を受けるに至つたことの謝罪と今後の調査について全面的に協力することを約束し、本件査察の早期終了と清水建設の関係者を取調べないですむように懇請したことが認められる。」(六丁表四行から一一行目)と認定している。

原判決は、同年五月一九日東京国税局に赴いた被告人が査察官に対し、本件調査に全面的に協力する旨を申し出た点だけを認定しているが、被告人はその際、本件査察事件の早期終了と清水建設の関係者を取調べないですむように懇請していることは、右証拠決定が認定するとおりである。

また、原判決は、同月一六日の査察当日、「他の査察官が被告会社の取引先である清水建設の関係者から事情を聴取した。」(三丁第一項)旨認定しているが、同月一九日以後に国税局が清水建設の関係者を取調べたか否かについては何等の認定もしていない。原判決が、この点につき何等の認定もしなかったのは、本件査察後には国税局が清水建設の関係者を取調べた事実がなかったためである。なぜなら、前述のように、前記証拠決定は、「証拠上国税局が本件で同月一六日の査察後に清水建設の関係者を取調べた形跡はなく、」と認定していることによっても明らかである(六丁表一一行から一三行)。

したがって、第二の問題点は、国税局が本件査察後に、清水建設の関係者の取調をしなかったのは、被告人から清水建設の関係者を取調べないですむようにしてくれと懇請されたため、右懇請に応じたためなのか、あるいは、他に右取調をしなかったことにつき、客観的かつ合理的な特別の理由ないし事情があったのかどうか、ということである。原判決は、この点については全くなんらの判示もしていない。原判決がこの点につきなんらの判示をしなかったのは、国税局が本件査察後に、清水建設の関係者の取調をしなかったことにつき、客観的かつ合理的な特別の事情ないし理由はなにもなく、被告人から右取調をしないように懇請されたため、右懇請に応じたためである。この点については以下に述べるとおりである。

八、ところで、査察官と被告人との間に、弁護人選任排除の約束がなされたか否かの点につき、査察官として本件査察事件の捜査を担当した関谷隆証人は、「被告人から清水建設の関係者を取調べないで欲しい旨の懇請があったことは事実であるが、被告人の右懇請を入れる代りに弁護士や税理士の関与を受けないで取調に応ずることを約束させたことはない」旨供述している(第二一回公判、七六四丁、七六五丁)。前記証拠決定も右供述のあったことを認定している(六丁裏一一行から七丁表二行目)。

関谷証人の右供述と被告人の前記第五項記載の供述を対比すると、被告人から査察官に対し、清水建設の関係者を取調べないで欲しい、旨の懇請があったことは事実であることを、関谷証人自身供述しており、被告人の前記第五項記載の供述とも一致する。

松沢裁判官の問に対し関谷証人は、本件査察着手日(昭和五三・五・一六)に清水建設は調査に行ったが、それ以後は清水建設の調査はやっていないこと、被告人から清水建設の調査はしないでくれという申入れがあったため、その調査をやめた面がないとはいえない、旨供述している(第二二回公判、八五三丁ないし八五五丁)。この点につき、前記証拠決定は、「関谷証人は、被告人鈴木から清水建設の関係者を取調べないでもらいたいと懇請されたため、本件でその取調べを止めたという面がないとはいえないと述べている。」(七丁裏一行から三行目)旨認定し、関谷証人の右供述と同趣旨の認定をしている。

関谷証人の右供述は、消極的ながら清水建設の関係者を取調べないことを被告人と約束したことを推認させるものである。関谷証人の右供述によっても、右約束のあったことは十分推認できるのである。のみならず、右推認を裏付ける客観的事実が存在する。それは、国税局側が当時裏付捜査のために、清水建設の関係者を取調べる必要があったのに、本件査察後に、清水建設の関係者を全く取調べていない、という客観的事実である。原判決は、この点を全く無視しており、甚だ不当であって、被告人らの承服できないところである。

九、本件捜査当時、裏付捜査のために、清水建設の関係者を取調べる必要があったことは明らかである。すなわち、本件査察直後の被告会社の嫌疑は、北立土木の水増外注費と従業員の水増人件費であったことは関谷証人の供述によっても明らかである(第二一回公判、七四七丁、七四八丁、七六四丁)。したがって、これらによってほ脱した所得は、親会社である清水建設の関係者に対するリベートないし簿外交際費として費消されたと疑う余地は十分にあったわけであるから、通常の場合には、当然反面調査として、清水建設の関係者を取調べて裏付をとるわけである。検察官も、「実際の脱税事件の捜査において、裏付捜査は重要であり、主得意先に対するリベートや交際費についても可能な限り裏付をとっている」(第一審における検察官の昭和五六・一二・八付意見書一五頁)ことを認めている。ところが、関谷証人の前記供述でも明らかなように、査察官は本件査察後に清水建設の関係者に対し、このような裏付捜査は全く行っていない。当時、なぜ、査察官は清水建設の関係者を取調べて裏付をとらなかったのか、という疑問はだれでも抱くものではなかろうか。この点についても、原判決は何等の判断も示さず、無視しているのである。(なお、後記第五点10(二)参照)

本件のような場合には、検察官も認めているように、当然反面調査として、清水建設の関係者を取調べて裏付をとるべきであったのである。この点につき、前記証拠決定は、「国税局は査察の初期の段階で被告会社の従業員と清水建設の関係者とゴルフに行ったとか、会食をした事実を把握していたことが認められるから、簿外交際費の支出等に関する裏付捜査として清水建設の関係者を取調べることは一応考えうる処置であったということができる」(七丁裏二行から六行目)と認定している。右証拠決定は、「簿外交際費の支出等に関する裏付捜査として清水建設の関係者を取調べることは一応考えうる処置であったということができる」と認定しているが、本項冒頭において述べたように、この点は簿外交際費の支出等に関する裏付捜査として、清水建設の関係者を取調べるべきであった、と認定すべきだったのである。この点において、右証拠決定は、「取調べるべきであった」と認定すべきところを、「取調べることは一応考えうる処置であった」と一歩後退した認定をしているが、このような認定自体何人をも納得させるものではない。

一〇、この点につき、関谷証人の供述によると、押収した被告人のポケット手帳(日誌風なもの)および簿外交際費の支出に関する被告会社の禀議書には、清水建設の関係者とゴルフに行ったとか、会食をしたこと、特に右禀議書には具体的に金額も記載されといたのである(第二一回公判、右証人尋問調書七八四丁、七八五丁、第二二回公判、右証人尋問調書八五四丁)。したがって、簿外交際費の支出については、押収したこれらの証拠物に基づいて、清水建設の関係者を取調べて裏付けをとるべきであり、通常の事件において裏付捜査をやっていることは、前記第九項において述べたように、検察官も認めているところである。

ところが、関谷証人も供述し、前記証拠決定も認めているように、このような裏付捜査は、本件査察事件においては全く行っていない。これは不可解という外なく、そこになんらかの特別の理由ないし事情が存在したのではないか、と考えるのは当然のことである。

また、簿外交際費の支出の明細については、被告人の昭和五三年九月一八付申述書(検甲一の一二)が証拠として提出されているが、この申述書も他の申述書(弁証二四、二五)と同様に、査察官が算出した数字に合せて、被告人が査察官の指図通りに作文したものである。この申述書自体、他の申述書(弁証二四、二五)と同様に、真実と全く異る架空の簿外交際費の支出を記載したものである。その証拠に、査察官は、この申述書(検甲一の一二)に記載されている簿外交際費についても、裏付捜査は全く行っていないのである。

一一、そこで、次の問題は、国税局において簿外交際費の支出等に関する裏付捜査として清水建設の関係者を取調べなかったことにつき、客観的かつ合理的な特別の理由ないし事情があったのかどうか、ということである。しかしながら、この点についても、原判決は何等の判断を示さず、無視している。

この点につき、前記証拠決定は、「当時の状況として被告人鈴木が積極的に調査に協力する姿勢を示していたことや、右簿外交際費の支出に関する証拠資料として交際費を支出する都度作成された禀議書が存在したこと及び被告会社の関係者が被告人鈴木の意を受けて取調に協力していたことなどにかんがみると、国税局において清水建設の関係者を取調べるまでの必要がないとしてこれを取調べなかった処置もまた十分に首肯することができる。」(七丁表七行から一三行目)と認定している。

しかしながら、このような右証拠決定は全くの独断であって、何人をも首肯させるものではない。なぜなら、右認定は、簿外交際費の支出につき、なぜ清水建設の関係者の取調をしなかったのか、なぜ裏付捜査をしなかったのか、という問題に対する回答にはなっていないからである。その理由は次のとおりである。

1 国税局が裏付捜査として清水建設の関係者を取調べるのは、被告人からえた証拠資料、たとえば、被告人らおよび従業員の供述、申述書、被告会社の帳簿類、伝票、禀議書等が客観的な事実であるかどうかを確認するためである。右認定のように、「被告人が積極的に調査に協力する姿勢を示ていた」か否かによって、裏付捜査の必要性の有無が異なる性質のものではない筈である。したがって、被告人が当時査察官の調査に積極的に協力する姿勢を示していたこととが、裏付捜査をする必要がなかった合理的な理由にならないことはきわめて明らかである。裏付捜査として清水建設の関係者を取調べる必要性の有無は、被告人が捜査に積極的に協力する姿勢を示すか否かとは無関係である。被告人が捜査に協力する姿勢を示してくれれば、捜査は容易であるが、被告人が非協力的であれば、捜査は困難であるというだけのことであって、裏付捜査の必要性の有無とは直接の関連性はない。したがって、右認定は明らかに誤りである。

2 また、前記証拠決定は、「右簿外交際費の支出に関する証拠資料として交際費を支出する都度作成されていた禀議書が存在していた」ことをもって、裏付捜査を必要としない理由の一つに掲げている。しかし、右認定も、裏付捜査として清水建設の関係者を取調べる必要性がない、ことの理由にならなこいとは明らかである。なぜなら、右禀議書の記載が真実であるかどうか(清水建設の関係者とゴルフに行ったか、会食をしたか等)を確認するめに反面調査として裏付捜査をする必要があるからである。右禀議書の記載を鵜飲みに信用するのであれば、裏付捜査は最初から必要ではなく、清水建設の関係者を取調べる必要性も生じない筈である。しかし、それでは事案の真相を客観的かつ正確に把握することは不可能である。したがって、右認定は明らかに誤りである。

3 また、右禀議書は被告会社の従業員が簿外交際費を支出する際に作成していたものである。被告人自身が簿外交際費を支出する際には、ほとんど右禀議書は作成していなかった。したがって、右証拠決定が、交際費を支出する都度作成されていた禀議書が存在していた、旨認定したのはこれまた誤りである。そのため、査察官は、被告人自身が支出した簿外交際費の内容を明確にさせる名目で申述書(検甲一の一二)を被告人に作成させたのである。この申述書の記載内容についても、査察官は全く裏付捜査をやっていないことは前記第一〇項において述べたとおりである。この申述書の記載内容は全く事実と異なるものであって、たんなる数字の辻褄合せをしたものにすぎないものである。査察官は最初から裏付捜査をやる意志は全くなかったのである。前記証拠決定の論理に従えば、この申述書に記載されている簿外交際費については、支出の都度作成した禀議書等の証拠資料は全く存せず、本件捜査時になって被告人の記憶に基づいて作成したものであるから、客観性の有無につき裏付捜査を必要としたものである。したがって、右証拠決定が、「右簿外交際費の支出に関する証拠資料として交際費を支出する都度作成された禀議書が存在していた」ことをもって、裏付捜査を必要としない理由の一つとしたのは明らかに誤りである。

4 更に、右証拠決定は、「被告会社の関係者が被告人鈴木の意を受けて取調に協力していた」ことを裏付捜査を必要としない理由の一つにしている。しかし、この理由付けも誤りであることは、前記1において述べたことから明らかである。被告会社の従業員等が国税局の取調べに協力していたことは、裏付捜査の必要性の有無とは無関係である。被告会社の従業員等の関係者が取調べに協力してくれれば、捜査は比軟的容易であるが、これらの関係者が取調べに非協力的であれば、捜査は比軟的困難である。というだけのことである。裏付捜査とは、簿外交際費の支出先の相手方である清水建設の関係者を取調べることである。簿外交際費を支出した被告会社側をいくら取調べても、裏付捜査を必要としなくなることはない。したがって、被告会社の関係者が取調べに協力していたからといって、裏付捜査を一切せずに省略してもよいという理屈にならないことは、「裏付捜査」の性質からきわめて明らかである。右証拠決定はこの点で、誤りである。

5 以上1ないし4で述べたことは、北立土木の水増外注費の問題を考えればきわめて明白である。被告会社には水増した工事代金を北立土木に支払った証拠資料として領収書が存在していた(検甲一の二一)。工事代金を支出した証拠資料の領収書が存在していても、必ずしも工事代金が実際に支払われているとは限らない。そのため、国税局は、工事代金を受領した旨の領収書を発行している北立土木の代表者を、裏付捜査のために取調べることによって、工事代金の水増計上があり、右領収書通りに工事代金が支出されていないことの裏付けができたのである。

被告人は、北立土木の水増外注費については、本件査察事件の当面から認めており、被告人をはじめ被告会社の従業員等は取調に協力していたのである。したがって、前記証拠決定の論理に従えば、この場合には裏付捜査は不必要ということになる。しかし、実際には、国税局は、正確に裏付捜査をなし、北立土木の代表者を取調べて、被告会社から実際に領収書(検甲一の二一)通りの工事代金を受領していないこと、すなわち、水増工事代金であることを認める旨の裏付証拠を収集している(検甲一の二一)。

以上のことは、前述した「簿外交際費の禀議書」についても、全く同様のことがいえるのである。簿外交際費の支出先である清水建設の関係者を取調べることによって、初めて、右禀議書に記載されていた簿外交際費が記載内容通りに支出されているか否かを、裏付けることができるのである。

6 以上前記1ないし5に述べたことからも明らかなように、前記証拠決定が、当時簿外交際費の支出等に関する裏付捜査として「国税局において清水建設の関係者を取調べることまでの必要がないとして、これを取調べなかった措置もまた十分首肯することができる。」(七丁表一一行から一三行目)と認定したのは明らかな誤りである。国税局において被告会社の簿外交際費の支出等に関する裏付捜査として、清水建設の関係者を取調べなかったことにつき、客観的かつ合理的な特別の理由ないし事情がなかったことは、前記証拠決定が誤った認定をしたことでも明らかであるが、更に、関谷証人の証言によっても裏付けられることは後記第一二項記載のとおりである。

一二、次に、前記証拠決定は、「関谷証人は、被告人鈴木から清水建設の関係者を取調べないでもらいたいと懇請されたため、本件でその取調を止めたという面がないとはいえないと述べている」が、「右供述も被告人鈴木の懇請を敢えて無視して清水建設の関係者を取調べるまでの必要がなかったというにすぎず、これと引きかえに所論の約束等があったことを何ら推認せしめるものではない。」(七丁表一三行から同丁裏六行目)と認定している。しかし、右認定も前項1ないし6において述べたところから明らかに誤りである。また、関谷証人の供述によっても、裏付捜査として、清水建設の関係者を取調べなかったことにつき、客観的かつ合理的な特別な理由ないし事情は全くなかったことは以下のことからも明らかである。

1 関谷証人は、この点につき、右認定とは異る供述をしている。それは第一審第二二回公判において松沢裁判官の問に対し関谷証人が供述した部分である(八五四丁、八五五丁)。すなわち、関谷証人は、簿外交際費の支出等に関する裏付捜査として、清水建設の関係者を取調べなかった理由に関し、「押収した書類のなかに簿外交際費の禀議書があったが、そのなかには、清水建設の役職の人の名前の書いたものがあったが、裏付調査はしなかった。裏付調査に行っても否認されることはわかっていたので、大会社である清水建設には調査に行かず、禀議書に基づ、土田工事部長および被告人が認めていたので、反面調査はしなかった。」旨供述している。関谷証人の供述では、裏付捜査をしなかった理由は、前記認定のように、「被告人鈴木の懇請を敢えて無視して清水建設の関係者を取調べるまでの必要がなかったというにすぎない」ものではなく、大会社(清水建設)の社員は簿外交際費を受領したことを否認することが明らかに予想できたので裏付捜査をせずに、支出した側ある被告会社側の一方的な取調べだけで簿外交際費の支出を認定した、ということである。しかし、関谷証人の論法に従えば、支出先の相手方が否認することが予想される場合には、裏付捜査や反面調査はできなくなる理屈であり、不合理である。関谷証人の右供述によっても、裏付捜査をしなかった合理的理由はなんら存在しなかったことが明らかである。

2 関谷証人の右供述を疑問に思った松沢裁判官は、「どうしてそういうこと(反面調査のため清水建設の関係者に当って調査しても否認されること)がわかるんですか」、「小さい会社なら(反面調査をしなくとも)構わないんですか。反面調査ということは大事なことですが」、「相手方に対する確認をしないで簿外交際費の支出はその程度で確定したわけですか」、「査察当日にだけ清水建設を調査して、あとはしていなかったわけですね」等と質問しているのである(八五四丁)。右質問に対する関谷証人の供述では、なぜ清水建設の関係者に対する裏付捜査をやらなかったのか、という疑問に対する合理的ないし解答にはなっていない。反対に関谷証人は、「右被告人から清水建設の関係者を取調べないでもらいたいと懇請されたため、本件でその取調を止めたという面がないとはいえない」と供述して、消極的ながら前記約束のあったことを推認させる供述をしている。右供述は前記約束の存在を前提にすることによって矛盾なく理解されるのである。

一三、以上述べてきたことによって、被告人が供述(前記第五項)しているように、国税局側と被告人らとの間に、清水建設の関係者を取調べない旨の約束が成立していたとは明らかである。この約束は、被告人らにとって有利な事情である。国税局側が無条件でこのような取引をすることは常識的には考えられないことである。蓋し、検察官はもちろん、前記証拠決定(七丁表二行から六行目)も認めているように、このような場合、反面調査として主得意先の関係者に対し裏付捜査をするのが通例だからである。国税局側がこのような反面調査をしないと約束するからには、国税局側に反対給付に相当する有利な特別事情が存在しなければならない筋合である。前記証拠決定は勿論原判決もこの点を全く看過している。被告人らが当初から本件捜査の対象となっていた水増外注費や水増人件費について認めており、被告人らおよび従業員が取調に協力的であったという事情では、裏付捜査をしないと約束する特別事情にならないことは前述したところから明らかである。検察官としては、本件査察事件のような複雑な事件の取調べを進行するに当り、被告会社の顧問弁護士や顧問税理士に関与されると、査察官の筋書きないし期待通りに取調べを進行できなくなったり、あるいは、複雑化、困難化、長期化することを予想するのは蓋し当然のことである。税法には、全く素人で無知である被告人一人だけを相手にした方が、弁護士や税理士を関与させる場合に比較し、取調が容易であるため早期解決を期待できることは、何人も首肯できるところである。いわゆる「赤子の手をねじる」ということである。そのため、国税局側にとって、反対給付に相当する有利な特別事情とは、本件査察事件に関し、被告人らに対し、被告人らの希望する早期解決および清水建設の関係者の取調をしないことを口実に、弁護士や税理士を関与させないと約束させることであったことは、容易に推認できるのである。したがって、被告人の前記供述は十分に信用できるのである。

一四、被告人が供述している(前記第五項)のように、被告人の方から査察官に対し、清水建設の関係者を取調べずに、本件査察事件を早期に終結してもらいたいという懇請に対し、査察官は被告人に対し、右懇請を承諾する代りに、早期解決を希望するのであれば弁護士や税理士等の代理人を関与させないことを約束させたことは十分に推認可能なことである。査察官が被告人に対し、弁護士や税理士が関与すると、取調べが複雑化し長期化するだけでなく、清水建設の関係者の取調べも必要になってくる、清水建設の関係者の取調べをさけたいのであれば、被告人一人で取調に応じ、弁護士や税理士を関与させないでもらいたいと説得し、被告人にその旨約束させたという、被告人の前記供述は十分に信用できるものである。このように、弁護人選任排除の特約をさせたことは明らかである。その証拠となる客観適な事実として、一方において、国税局側は、被告会社の主得意先である清水建設の関係者の裏付捜査を全くしていないとともに、他方において、被告人らは、被告会社の顧問弁護士や顧問税理士に本件査察事件に関与させなかったという客観的事実がある。査察事件の発生した場合には、専門家である税理士や弁護士に依頼して国税局側と交渉させたり折衝させたりすることが通例であることは、関谷証人も認めている(八五二丁、八五三丁)。そのために備えて、顧問弁護士や顧問税理士がいるのに拘らず、これらの専門家に依頼せずに、素人であり税法には全く無知な被告人が終始一人で複雑な事件である本件査察事件につき、国税局側の取調べに応じてきたのは、異常でありかつ異例である。そこになんらか特別の事情が存在したことは明らかである。しかるに、原判決がこの点を全く看過しているのは誠に遺憾である。この特別の事情とは、弁護人選任排除の特約が存在したことである。原判決は、なぜ被告会社の主取引先である清水建設の関係者の裏付捜査をしなかったのか、という疑問に対し合理的な理由を判示していないだけでなく、なぜ被告会社の顧問弁護士を本件査察事件に関与させなかったのか、という疑問に対し全く理由を判示していないのである。

一五、人間には、自己弁護の本能がある筈である。少しでも自分に有利に弁護したいと考えるのが自然である。したがって、本件のような複雑な査察事件が発生した場合には、素人である被告人一人の力で解決することは困難であるから、顧問弁護士や顧問税理士のいる場合はもちろん、いない場合でも、これらの専門家に依頼して、少しでも自己に有利になるように交渉してもらったり、弁護してもらったりするのが通例であり、かつ、自然である。

ところが、原判決も認定しているように、本件査察事件が発生したときには、被告会社には顧問弁護士や顧問税理士がいたにも拘らず、被告人らは、これら専門家に依頼して、被告人らが有利になるように交渉することや弁護することを依頼しなかった。それはなぜだったのだろうか、という疑問を抱かない人はいない筈である。ところが、原判決はこの点につき何等の判断を示していないのである。原判決の認定は杜撰きわまりないものであって、到底何人をも納得させるものではない。原判決は、人間心理に対する深い洞察を欠き、この点を全く看過しており、前記のような誤った認定をしたのは誠に遺憾である。

右疑問に対する答は簡単明瞭である。被告人らが弁護人を選任しないことが、選任するよりも被告人らにとってより有利であると判断したからである、と解するのが最も自然であり、かつ、真実に合致する。すなわち、被告人らは、顧問弁護士や顧問税理士に依頼して、国税局側と交渉したり、弁護してもらうと、国税局側は必ず清水建設の関係者の取調べをすることをおそれたためである。この点については前記証拠決定が正当に認定しているように、「被告人は本件査察事件が清水建設の関係者に及べば、仕事の注文がなくなり会社の存続問題にも発展しかねないことを危惧するとともに、査察により被告会社の業務に支障が生じないよう本件を早期に終了させたいと考え」(六丁表四行から七行目)ていたのである。このように、被告人らは、被告会社を存続させていくためには、清水建設の関係者の取調べだけは、どのようなことがあってもさけなければならない立場にあったのである。

一六、それは被告会社と清水建設との間に次のような関係ないし事情があったためである。

1 被告会社は、大手の建設会社である清水建設のいわゆる名義人であって、清水建設一社だけの下請工事を専門にやる建設会社である。最近の新聞紙面をにぎわしている談合問題等、建設業界はいまだに近代化されない旧い体質を多分に残しているところである。

そのため、子会社である被告会社は親会社である清水建設から、工事の注文が受けられなくなると、その結果として仕事がなくなり、倒産することは必至である。そこで、被告人らが本件査察を受けて一番心配したのは、本件査察に関連して、清水建設の関係者が査察官から取調を受けるということであった。もし、清水建設の関係者が取調を受けると、被告人らの信用は一挙に最悪の状態まで失墜し、被告会社が清水建設から仕事の受注を得られなくなるおそれがあったためである。清水建設から受注が得られるかどうかというこは、物事の善悪とは全く無関係である。清水建設に迷惑がかかるかどうか、という結果だけが問題なのである。清水建設が被告会社を名義人にしておくかどうか、また、仮りに名義人であっても、工事の受注を受けられるかどうかは、一方的に清水建設の担当者の胸三寸によって決定されることである。

2 近代契約法の原理に基づき、注文主と請負人とが対等な立場で契約条件を交渉し、下請負契約を諦結するというものでなく、強大な力を有する大手建設会社の清水建設と、その下請業者の一人にすぎない中小企業の被告会社とでは、その力関係の差はきわめて顕著である。そのため、被告人が第一に考慮したことは、本件査察問題に関連して、どんなことがあっても清水建設に波及することを防止しなければならない、ということであった。換言すれば、清水建設と被告会社との従来の関係を本件査察問題によって、影響を受けないようにするということであった。これは被告会社の存亡に関する重大問題である。そのため、被告人はどんなことがあっても、清水建設の関係者が査察官から取調を受けることや、清水建設が取調を受けるのだけはやめてもらいたかったのである(被告人の昭和五六・八・三付陳述書第一一項2、第一八回公判の被告人供述調書六二三丁ないし六二五丁、六三二丁ないし六三四丁)。

3 また、被告人は本件査察以前に、清水建設および清水建設以外の大手建設会社の下請業者らが法人税法違反で査察を受け、そのため親会社の関係者が取調を受けたため、迷惑をかけたことが原因で、取引停止にされ、それが原因で倒産した事例を聞知していた。そのため、被告人は清水建設に迷惑のかかることを一番おそれたのである(右陳述書第一一項2、第一八回公判の被告人供述調書六三三丁、六三四丁、第二五回公判の被告人供述調書九二〇丁、九二一丁)。

4 清水建設の関係者にとっては、被告会社が脱税をしているか否かが重要なのではなく、被告会社の査察事件に関連して取調を受けたり、調査を受けたり等して迷惑を受けるということが問題なのである。物事の善悪の問題ではなく、迷惑を被ったという結果が問題なのである。親会社に迷惑をかけるような会社は、下請業者として不適格である、という考え方であり、発想である。したがって、清水建設の関係者が取調を受けたために、被告会社が信用を失墜し、それが原因で取引を停止させられることは十分に予想できたことである。

5 被告人の責務としては、被告会社の数十人の従業員並びに協力業者(いわゆる下請業者)十数社の数百人の従業員およびその家族の生活を考慮すれば、どのような重大事件が発生した場合でも、いかにして安全に被告会社を経営してゆくか、倒産させずに業績を維持発展させてゆくか、ということである。被告会社は中小企業であるが、その経営者である被告人は船頭と同じであって、被告人の舵取りいかんによっては、被告会社は直ちに死命を制せられ倒産することになるのである。

一七、結論

1 前述のように、被告会社は清水建設の専属的下請業者であって、清水建設の関係者が取調を受けることになれば、被告会社の信用は失墜し、それが原因で取引を停止され、倒産のおそれがあったのであるから、被告会社の代者として経営責任を担う被告人が、このような危険を避けることを考えるのは当然のことである(前記第七項、前項)。

2 そのため、被告人は査察官に対し、本件査察開始直後頃に、本件査察の早期終了と清水建設の関係者を取調べないですむように懇請した(前記第七項、第八項)。

3 本件査察当初頃、被告会社の嫌疑は、北立土木の水増外注費と従業員の水増人件費であったから、これらのほ脱所得が親会社である清水建設の関係者にリベートや簿外交際費として支出されていないかどうかを、反面調査によって裏付ける必要性があった(前記第九項、第一〇項)。

4 しかるに、査察官は本件査察後に清水建設の関係者に対し、反面調査としての裏付捜査を全く行っていない(前記第八項、第九項)。

5 査察官が右裏付捜査をしなかったことにつき、客観的かつ合理的な特別の事情ないし理由は全く存在しない(前記第一一項、第一二項)。

6 当時、査察官として本件捜査を担当した関谷証人は、被告人から清水建設の関係者は取調べないで欲しい旨の懇請があったので、そのため、清水建設の関係者の取調をやめたという面がないとはいえない、旨供述している(前記第八項)。

7 被告会社では、以前から弁護士岸巖及び税理士永松勲との間で、それぞれ顧問契約を結び、その報酬を支払っていた(原判決六丁第五項冒頭部分および前記第六項)。

8 右弁護士は、本件査察事件で被告会社が強制捜査を受けて以来本件起訴状が被告人に送達された後まで、弁護人に選任されたことはなく、本件査察事件の捜査期間中本件に関与したことは全くない(前記第六項)。

9 被告人は、本件起訴状送達後である昭和五三年一二月四日右事件の弁護人に弁護士岸巖を選任し、その旨を記載した弁護人選任届を第一審裁判所に提出した(原判決五丁第五項末尾部分、前記第六項)。

◎ 本件のような複雑な査察事件が発生した場合には、被告人らは直ちに顧問弁護士等を弁護人等に選任して国税局側と交渉し、被告人らが有利な取扱いを受けるように防禦権を行使するのが通例であるのに、被告人らは本件においてこの弁護権、防禦権を行使しなかった。

被告人らが右防禦権を行使しなかったのは、査察官との間に弁護人選任排除を約束させられたこと以外には、特別の理由ないし事情は存在していない(前記第一五項)。

◎ 査察官としては、本件査察事件のような複雑な事件の取調を進行するに当り、被告会社の顧問弁護士等に関与されると、査察官の期待通りに取調を進行できなくなったり、あるいは、複雑化、困難化、長期化することを予想するのは蓋し当然のことである。弁護人等を関与させずに被告人一人を相手に取調を進行させた方が弁護人等を関与させた場合に比較し、取調が容易であって、早期解決を期待できる(前記第一三項)。

◎ 被告人らにとって、本件捜査当時、清水建設の関係者の取調を防止することが防禦権を行使して弁護人を選任し弁護活動をしてもらうことの方よりも、有利な状況下にあった(前記第一五項)。

◎ 以上1ないし2の事実を総合すれば、査察官と被告人との間に、本件査察事件を早期に解決するために、清水建設の関係者を取調べない代りに、弁護士や税理士を関与させずに被告人一で取調べに応じ全面的に協力する、旨の約束がなされた、という被告人の供述(前記第五項)は十分に信用することができ、この点に関する関谷証人の供述は信用できないのである。

◎ 査察官は、右約束に基づき被告人らの弁護人選任権を侵害する等違法な取調をしたため、第一審で取調べた被告人の自白を記載した査察官に対する質問てん末一四通およびその影響下に検察官に対する供述調書一通が作成されたことはきわめて明らかである。

しかるに、原判決は、右質問てん末書等の証拠能力を認めたのは、憲法第三一条、第三四条、第三七条第三項、第三八条第一項に違反していることが明らかであるから破棄されるべきである。

第二点 原判決には、憲法第三八条第二項並びに最高裁判所の判例に違反して、任意性に疑いがあり証拠能力がない質問てん末書および検面調書を採用して事実を認定した第一審判決を是認した違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄されるべである。

一、憲法第三八条第二項は、強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない、旨規定している。憲法の右規定を受けて、刑事訴訟法第三一九条第一項は、強制、拷問又は強迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白その他任意にされたものでない疑のある自白は、これを証拠とることができない、旨規定し、任意性に疑いのある証拠能力を否定している。自白の証拠能力に任意性を要求するのは、被告人の人身の自由を保障し、また、その供述の真実を担保するためである。そのためには、違法に獲得された自白は任意性の有無を問わず証拠とすることができないようにする必要がある。強制、拷問、脅迫のもとで行なわれた自白はもちろんのこと、任意にされたものでない疑いのある自白は証拠能力を有しない。任意性の疑いのある自白については、刑事訴訟法第三一九条第一項が前記のようにとくに明らかにしているところであるが、これは憲法第三八条第二項の解釈として当然のこととされており、単に解釈的、確認的な規定にすぎないと解されている。したがって、任意性の疑わしい自白を証拠にとれば、単に刑事訴訟法第三一九条第一項の違反にとどまらず、憲法違反になるものと解すべきである(団藤重光、新刑事訴訟法綱要七訂版、二五〇頁ないし二五二頁)。

二、いわゆる「約束による自白」は、任意性に疑いのある自白の典型である。したがって、約束による自白には証拠能力がないものと解される。約束による自白に証拠能力が否定されるのは、このような約束による自白は、被疑者に不当な心理的影響を与え、虚偽の自白を誘発するおそれが強く、自白獲得の手段・方法として違法かつ不当であり、このように収集した供述証拠は、証拠能力を有しないものである。

1 この点につき、最高裁昭和四一年七月一日二小判決(刑集二〇・六・五三七頁)は、「被疑者が起訴不起訴の決定権をもつ検察官の自白をすれば起訴猶予にする旨のことばを信じ、起訴猶予になることを期待していた自白は、任意性に疑いがあるものとして、証拠能力を欠くものと解するのが相当である。」と判示している。

この判決は、収賄の被告者が、贈賄者の弁護人を通じ、自供して改悛の情を示せば起訴猶予処分も十分考えられる旨の検察官の意向を伝え聞き、自白するに至った事案である。この事案では、検察官が被疑者に対し直接約束したわけではないが、検察官の意向が当然被疑者にも伝わることが予測し得た状況にあったことがうかがわれ、実質的に見て、不起訴の約束がなされたと同視し得る場合であったということができる(坂本武志、いわゆる約束による自白の証拠能力、最高裁判所判例解説、刑事編、昭和四一年度、一〇〇頁、児島武雄、約束による自白、証拠法大系Ⅱ、四八頁、龍岡資晃、約束・偽計による自白、判例タイムズ三九七・一八頁、青柳文雄・筑間正泰、いわゆる約束による自白の証拠能力、法学研究四一・一〇・一一七頁、谷口正孝、いわゆる約束による自白の証拠能力、昭和四一・四二年度重要判例解説(ジュリスト)一一〇頁、渥美東洋、いわゆる約束による自白の証拠能力、判例評論、九八・四〇頁、竹崎博允、約束による自白、刑事訴訟法判例百選(第四版)(別冊ジュリスト)一五〇頁、鈴木茂嗣、自白排除法則序説、犯罪と刑罰(下)、佐伯還暦記念論集、三〇四頁)。

2 また、最高裁の右判例が判例違反と認めた福岡高裁昭和二九年三月一〇日判決(高裁刑事判決特報二六号七一頁)は、「検察官の不起訴処分に附する旨の約束に基く自白は任意にされたものではない疑のある自白と解すべきであって、これを任意になされたものと解することは到底是認し得ない。」旨判示している。

この判決の事案は、「被告人甲、同乙はAから衆議院議員選挙に際し、右議員候補者Bの選挙運動の報酬として供与されるものであることの情を知りながら各現金二千円宛の供与を受けたことがないのにも拘らず、右Aはその取調官である副検事Tから選挙運動者に対する供与金額が二、三千円ならば被供与者は起訴されることはない、自分も紳士である、被供与者のうち二名だけ氏名を述べよと要請されたため、同人は副検事に対し、被告人甲、同乙の両名に各二千円宛供与したこととを自供し、引続き取調を受けた他の検察官にも同様の供述をし、又Aより直接間接二千円の供与を受けたと供述しても起訴されることはない旨伝承した同被告人等において、昭和二八年五月九日以降司法警察員並びに副検事および検事に対し、右Aの副検事Tに対する供述調書に照応する供述をなすに至ったものである。」そこで、右判決は、右Aの副検事および検察官に対する甲、乙に対し各金二千円を供与した旨の供述は、元来副検事Tの被供与者の氏名を表白してもこれを起訴しない旨の約束に基づきなされた、いわゆる約束による自白であり、被告人甲、同乙の司法警察員、検察官に対する右点に関する自白も亦約束による自白といわなければならない、旨判示したのである。この福岡高裁の判例の事案と前記1の最高裁の判例の事案とは、いずれも検察官以外の者の口を通じてではあるが、検察官の起訴しない旨のことばを信じてした自白の証拠能力を否定したものであって、事案を同じくするものである。

三、英米では、いわゆる約束による自白は、一般に証拠能力がないものとされており、わが国でも同様である。

1 ある自白が約束による自白となるためには、第一に、約束の内容が刑事責任に関係のある不起訴、減軽、免除、寛大な処分等刑事責任に直接関係することや、これと関連する身柄の早期釈放あるいは恩赦等である。これらの場合には、強く自白を誘引し、違法性も強いといえるし、現にその事例が多いのであるが、留置場における寛大な取り扱いや、金銭的な報酬など個人的な欲望を充足させるものも同様に見るべき場合があると解されている。前記最高裁の判例および福岡高裁の判例は、いずれも約束の内容が「起訴猶予」の場合である。

2 約束による自白の第二の要件は、約束者が約束の内容について処分権限をもっていることである。これは処分権限を有する者の約束こそ自白誘引の度合いが強いためであるが、このことは前記最高裁の判例が「起訴不起訴の決定権をもつ検察官の」約束であることを顧慮していることによっても明らかである。しかし、例えば、警察官が(本件の事案の、「査察官」の場合も全く同じである)罰金ですますとか、早期釈放するなどと約束した場合、被疑者によっては警察官にこの程度の権限はあるものと考えたとしても無理からぬ場合もあるから、実際には権限内の事項であるかどうかは必ずしも決定的な要件とはならず、したがって、約束者が客観的には権限者でなくとも、権限をもつ者と考えられる場合も含まれると解されている(龍岡資晃、前記約束・偽計による自白、一九頁、児島武雄、前記約束による自白、五三頁)。

3 約束による自白の第三の要件は、約束と自白との間に因果関係があることを必要とする。

四1 ところで、本件の場合には、本件査察直後の取調の段階において、統括官やその他の査察官らは被告人に対し、再三に亘り、本件査察事件は税金四、五千万円納付すれば全部すむ、告発もしないし、罰金もとられない、旨約束したので、被告人は税金四、五千万円を納付れば全部片附くのであれば、仕方がないとあきらめ、査察官のいうとおりに事実を全部認める趣旨の前起質問てん末書の作成に応じたものである(被告人の前記陳述書第一一項4、5、第二〇項および第二二項)。

このような利益供与の約束は、被疑者に不当な心理的影響を与え、虚偽自白を誘発するおそれが強く、心理的な強制にもなり得るのであって、自白獲得の手段・方法として違法かつ不当であり、このように違法に収集した供述証拠は、前述の憲法第三八条第二項および前記最高裁の判例に違反し、証拠能力を有しないものである。

2 また、前記第一点において詳述したように、右約束と同時頃である本件査察直後頃に、査察官と被告人との間に、本件査察事件を早期に解決するために、清水建設の関係者を取調べない代りに、弁護士や税理士を関与させずに、被告人一人で取調べに応じ全面的に取調べに協力する、旨の約束がなされている。清水建設の関係者を取調べないという利益供与の約束と弁護人の選任権を排除する約束とが対価関係に立っている。査察官は被告人らにとって有利な利益の供与を受けることになる「清水建設の関係者の取調べをしない」代償として、被告人らにとって不利(査察官にとって有利)な弁護人選任権の排除を約束させたのである。査察官は、右約束に基づき、本件査察後には清水建設の関係者の取調べを一切やらなかった代りに、被告人らの弁護人選任権を侵害して、弁護人を選任させずに、被告人一人で取調べに応じさせるような違法な取調べの結果、被告人の自白を記載した前記質問てん末書を作成したものである。したがって、このように違法な取調べの結果作成された供述調書には証拠能力がない、ことは前記第一点において前述したとおりである。

3 次に、後記第三点において後述するように、査察官は被告人に対し、法人成り当時の営業用個人資産の評価を捜査していた際に、法人成り当時の営業用個人資産が実際には一億円以上あったのに、これを減額して三千万円であったことにすれば、本件仮名預金当から三千万円を返還する、という偽計に基づく約束をしている。この約束をしたため、被告人は国税局が本当に本件仮名預金等から三千万円を返還してくれるものと誤信し、被告人の営業用の個人資産が三千万しかなかったことを認める旨供述記載されている、前記質問てん末書(検乙九)の作成に応じたものである。しかし、このような供述調査は憲法第三八条第二項、刑事訴訟法第三一九条第一項の規定に違反するだけでなく、最高裁の判例にも違反し、証拠能力がないことは後記第三点において詳述するとおりである。

4 以上のように、本件取調べにおいて、査察官は被告人に対し、前記1ないし3記載の三つの利益供与の約束をしているが、以下においては、前記1の利益供与の約束があったこと、右利益供与の約束に基づいて前記質問てん末書が作成されたこと、被告人の査察官に対する前記検面調書も右利益供与の約束の影響の下に作成されたものであって、前記質問てん末書と同じく証拠能力がないことについて詳述する。

五、この点につき、原判決は、何等証拠や理由を示すことなく、「利益供与の約束もしておらず」(四丁裏末から二行目)と認定したうえで、「原審で取り調べた被告人の収税官吏に対する質問てん末書一四通及び検察官に対する供述調書一通は、所論が指摘するような約束や経過で作成されたものとは認め難く、むしろ被告人が任意に供述したものを録取して作成されたものと認めるのが相当である。」と判示し、右供述調書にいずれも証拠能力を認めている(七丁表)。

原判決の右認定によると、いかなる証拠によって、どのような理由に基づいて、「利益供与の約束もしておらず」なのか全く不明である。被告人らの弁護人が控訴趣意書によって(控訴趣意第一点第二)主張した論点については何等の判断を示さず、僅か半行の切捨御免の認定である。このような認定には被告人らは絶対に承服できるものではない。被告人らの納得する裁判こそ、憲法の保障する公平な裁判所の理念でなければならない。

原判決が前記利益供与の約束を否定する認定をしたのは、第一審の前記証拠決定の理由を是認したうえか、それとも、他の理由によったものか、その理由を明示していないので不明であるが、仮りに前記証拠決定の理由を是認したものであっても、前記質問てん末書および検面調書に証拠能力を認めたのは違法である。以下においてこの点を明らかにする。

六1 第一に、東京国税局査察部は、前記証拠決定が認定するように、ほ脱犯に刑罰を科すことを目的に調査を行っているが、刑罰を科すことだけが目的でなく、主たる目的は、むしろほ脱した税金を納付させることがより重要な目的である。すなわち、調査の結果判明した税額を修正申告または所轄税務署長からの更正決定の方法によって、納付させることの方がより重要である。国税局には告発基準(のあることは半ば公知の事実である)があり、一定のほ脱税額以上の場合にのみ検察庁に告発し、右基準以下の場合には、各種の利子税ないし加算税を附加したほ脱税額を、前記方法によって納付させるだけである。

2 原判決認定のように、被告会社には本件査察以前から、「税理士永松勲との間で顧問契約を結び、その報酬を支払っていた」(六丁第五項)ため、法人税の申告手続は永松税理士が経理担当社員の補助の下に行っており、被告人はその結果の報告を受けていただけであって、税法については全く知識がなく、査察官の職務権限等はもとより、右査察の目的、手続等についてもなにも知らなかった。当時、被告人は、ただ漠然と脱税を摘発され、調査を受けることになったので、その結果として、なにがしかの税金を脱税しているものとして納付するように命じられるのではないか、と危惧していただけである。したがって、被告人は、本件査察直後頃には、前記査察部がほ脱犯に対する刑罰を科することを目的に調査を行っていることなど、査察調査の性格を正しく理解しておらず、単に脱税の摘発と理解していたにすぎなかった。被告人は、本件査察事件の調査や取調べはどのような手続で進行し、最終的にどのような処分がなされるかについても、全く知識をもっていなかった。そのため、査察当日およびその後昭和五三年五月一九日までの間に、被告人は自分から東京国税局に出頭し、査察官に対し、当時嫌疑とされていた水増外注費および水増人件費について説明するとともに、本件査察事件の手続や処分について説明を求めたのである。

3 これに対し、査察官はその際被告人に対し、本件査察事件の手続の概要を説明し、被告人らの場合には税金四、五千万円納付すれば全部すむ、告発もしないし、罰金もとられない、旨約束したのである(被告人の前記陳述書第一一項4、5、第二〇項、第二二項)。被告人は税金四、五千万円納付れば全部すむのであれば、仕方がない、また一生懸命に働けば、金員は蓄えることができる、と考えたのである(右陳述書第一一項4)。したがって、原判決認定のように、「関谷査察官は、取り調べの初期の段階において、本件調査終了後の処分につき意見を求められた際に、本件を検察庁に告発することを前提として取り調べている旨被告人に告げている。」(関谷証人がこのように供述していることが措信できないことは後記4参照)としても、他方において、査察官は被告人に対し、被告人らの場合には、悪質でもなく、ほ脱税額も多くはないので、税金四、五千万円納付すれば全部すむ、告発もしないし、罰金もとられない、などと具体的に刑事処分を免除する旨の利益供与の約束をしているのであるから、当時被告人は告発されることなど夢想だにもしていなかったのである(後記4参照)。査察官が被告人に対し、このような利益供与の約束をしたのは、被告人に安心感を与え、取調べに協力させようとしたためと思料される。

また、前記第一点記載のように、その頃、査察官は被告人に対して、清水建設の関係者の取調べをせずに早期に本件査察事件の捜査を終了させる代りに、弁護士や税理士を関与させずに被告人一人で取調べに応じ、取調べに全面的に協力するよう、利益供与と弁護人選任権を排除する約束をさせていた。当時、査察官は被告人に安心感をあたえて、取調べに協力させるために、種々の働きかけをしたことは容易に推測できる(最も重要なことは、被告人の質問てん末書記載の供述記載につき、全く客観的な裏付捜査をしていないことである)のであって、この点に関する被告人の供述は十分信用できるのである(被告人の前記陳述書第一一項4、第一八回公判の被告人の供述調書六三四丁ないし六三六丁)。

4 次に、被告人は、前述のように、本件査察直後頃に、東京国税局査察部に出頭した際に、本件査察事件の手続や処分について査察官に説明を求めており、査察官から右手続の概要の説明を受けている。しかし、被告人は、告発の正しい法的意味を理解していなかったのはもちろん、罰金がどのような法的手続によって科せられるかも知らなかった。このことは、原判決認定のように、「被告人には前科前歴がないこと」(二四丁)によっても明らかである。被告人は、ただ告発のことは裁判のことだろうと考えていたにすぎないのである。しかし、前述のように、当時、被告人は、多少税金は納付しなければならなくなるだろうということはわかっていても、起訴されるとは夢想だにしていなかったのである。したがって、原判決の認定するように、「関谷証人は、取調べの初期の段階において、本件調査終了後の処分につき意見を求められた際、本件を検察庁に告発することを前提として取調べている旨被告人に告げている。」との供述はにわかに措信できない。

仮りに、関谷査察官が右のようなことを説明したとしても、被告人が供述するように、右査察官に対し、被告人らの場合には税金四、五千万円納付すれば全部すむ、告発もしないし、罰金もとられない旨の約束をしていた旨の供述は十分措信できるのである。なぜなら、当時被告人が告発される危険性のあることを理解しておれば、直ちに顧問弁護士や顧問税理士に相談するのはもちろん、本件査察事件にこれらの専門家を弁護人および税務代理人として関与させていた筈である。このことは何人も異論のないところである。ところが、原判決はこの点についても何等の判断をしていない。原判決は、都合の悪い点はすべて判断を回避している。前記証拠決定が認定するように、被告人が本件査察直後から告発されたり、あるいは、起訴される危険性があることを理解していたのであれば、被告人一人で査察官の取調べに応ずることなどあり得ない。若し、被告人が本件査察直後から告発されて起訴される危険性のあることを理解していたのであれば、なぜ、本件査察事件につき、顧問弁護士や顧問税理士を弁護人および税務代理人に選任して本件に関与させなかったのか、という疑問に対し、原判決は、何等かの判断を示すべきであったのである。ところが、原判決は、この点に関し何等の判断をもしていない、ことは前述したとおりである。被告人が本件査察事件につき、終始顧問弁護士を弁護人に選任せず、本件に関与させずに、被告人一人で取調べに応じてきたという客観的事実こそ、査察官が被告人に対し、前述のような弁護人選任権排除の約束や、刑事処分を免除するという利益供与の約束、をしていたことを物語るものである。

5 なお、附言するに、原判決は、「永松税理士は、被告会社が本件で強制調査を受けた昭和五三年五月一六日、右事件の調査を担当していた査察官らと面接しているほか、少なくとも同年九月二〇日、同年一一月二五日及び同年一二月二一日の三回、被告人及び被告会社の経理担当者らとともに東京国税局へ出頭しており、同年九月二一日には立川税務署にも出頭した。そして、関谷査察官から被告会社の昭和五〇年九月期ないし昭和五二年九月期における各所得額を示されて、それに添った修正申告をするように勧められたので、被告人と相談のうえ、被告会社を代理して、昭和五〇年九月期分については本件で起訴される前の昭和五三年一〇月二七日に、昭和五一年及び昭和五二年の各九月期分については起訴後の昭和五三年一二月一九日にそれぞれ修正申告をした。」旨認定している。原判決がいかなる理由で右のような事実を認定したのか、その理由は不明であるが、顧問税理士であった永松税理士は本件に関与している事実を認定したかったものと推測される。しかし、このような事実認定は全く無意味である。その理由は次のとおりである。

(一) 原判決は、「永松税理士は、被告会社が本件で強制調査を受けた昭和五三年五月一六日、右事件の調査を担当していた査察官らと面接している」旨認定する。

しかし、本件査察当日に永松税理士が査察官と面接したとしても、当時はまだ査察官と被告人との間には前記第一点記載の弁護人(および税務代理人)選任権を侵害する約束、および、前記第二点記載の刑事処分免除の利益供与の約束は、いずれもなされていなかったものである。右の各約束がなされたのは、被告人が自ら東京国税局に出向いて査察官と話合った同月一九日前後頃である。したがって、同月一九日前後以後に永松税理士が被告人らの税務代理人として、形式的にではなく、実質的に税務代理行為をしたか否かということが問題となるのである。ところが、永松税理士は右日時頃以後には、被告会社の税務代理人として査察官に対し、実質的な税務代理行為としての交渉等をしていない、ことは以下に述べるとおりである。

また、原判決は、「(被告会社が本件で強制査察を受けた当日)、他の査察官が被告会社の取引先である清水建設の関係者から事情を聴取した。」旨認定している(三丁)。原判決は、いかなる理由でこのような事実を認定したのか、その趣旨は不明であるが、査察官は取引先である清水建設の裏付捜査をやっている。という事実を認定したかったものと推測される。そうでなければ、このような事実を認定することは無意味である。しかし、このような事実認定は全く無意味である。前記第一点記載の弁護人選任権を侵害する約束並びに前記第二点記載の利益供与の約束(清水建設の関係者の取調べをしないこと)は、同じく同月一九日前後頃になされている。したがって、同月一九日頃以後に清水建設の関係者を取調べなかったという客観的事実だけが問題となるのであって、同月一六日の本件査察当日は右約束成立前であることが明らかであるから問題外ということになる。したがって、原判決が、本件査察日当日に、査察官が清水建設の関係者を取調べた旨認定したのは無意味である。

(二) 次に、原判決は、「永松税理士は、……少なくとも同年九月二〇日、同年一一月二五日及び同年一二月二一日の三回、被告人及び被告会社の経理担当者らとともに東京国税局へ出頭しており、同年九月二一日には立川税務署にも出頭した。」旨認定している。しかし、永松税理士が昭和五三年九月二〇日、東京国税局に、また、翌二一日立川税務署に出頭したのは、昭和五〇年九月期の修正申告をするに必要な所得金額を聞きに行っただけである。また、永松税理士が同年一一月二五日東京国税局に出頭したのは、昭和五一年および同五二年の各九月期の修正申告をするに必要な各所得金額を聞きに行っただけである。この点は原判決も、「そして、関谷査察官から被告会社の昭和五〇年九月期ないし昭和五二年九月期における各所得金額を示されて、それに添った修正申告をするように勧められた」旨認定していることによっても明らかである。後述するように、被告人らは右修正申告をするように「勧められた」のではなく、「強要された」のであるが、この点については後記第九項において詳述する。被告人らは、永松税理士には右修正申告書の記載だけを依頼したのであって、本件査察事件に関し、税務代理人として国税局ないし査察官と交渉したり、折衝したりすることや、被告人らの利益になるように実質的に税務代理人として活動することを依頼したこと全くない(被告人の前記陳述書第二四項、第二五項)。永松税理士が右修正申告のため、国税局に出頭したときには、本件査察事件の捜査はほぼ終了していた時期である。そのため、国税局では被告人に対し修正申告を強要し、かつ、前記三期の各確定所得金額を算出していたのである。このことは、右出頭日と前記質問てん末書の作成日とを対照するときわめて明らかである。その結果、被告会社は原判決が認定するように、永松税理士に各修正申告書を作成してもらい、「昭和五〇年九月期分については本件で起訴される前の昭和五三年一〇月二七日に、昭和五一年及び昭和五二年の各九月期分については起訴後の昭和五三年一二月一九日にそれぞれ修正申告をした。」のである。而して、永松税理士が同年一二月二一日に国税局に出頭したのは、被告会社が前記二期分の修正申告書を同月一九日立川税務署に提出したことを報告に行っただけのことである。

七、本件査察直後頃、被告会社に対する嫌疑は、水増外注費と水増人件費だけであって、本件仮名預金等の利息の問題は、まだ調査の対象になっていなかったことは、関谷証人の供述によって明らかである(第二一回公判の供述、七六四丁)。したがって、査察官としては、水増外注費と水増人件費のほ脱所得の見込額を推計し、その見込税額を把握していたことは当然のことである。当時、査察官が本件の水増外注費と水増人件費のほ脱税額を四、五千万円と推計していたのは妥当であって、容易に推認できるところである。

この点につき、検察官も、「捜索に着手した際には、ほ脱見込額を一応推計する」(前記意見書二六頁)ことを認めているだけでなく、査察官である関谷証人も同様の供述をして、本件査察直後に被告会社のほ脱見込額を把握していたことを認めている(第二二回公判、八四二丁、八四三丁)。また、国税局に告発基準のあることは半ば公然の事実である、ことは前述したとおりである。右のような水増外注費と水増人件費だけでは、告発の対象にならないのではないかと推測される。したがって、前記証拠決定が、「査察直後の初期の段階で脱税額や検察庁への告発の見込等についていまだ十分把握していないと認めるのが自然である」旨の認定が誤りであるだけでなく、このような誤った認定に基づいて、被告人が前記のような利益供与の約束をしたという供述は不自然であると認定したのは明らかに誤りである。

もちろん、査察直後のほ脱見込額と調査終了時におけるほ脱認定額とが異なる場合の生ずることがあるのは当然のことである。蓋し、そのために、長期間をかけて調査するのである。しかし、今ここで問題としているのは、査察官が査察直後のほ脱見込額を把握していたか否か、ということである。査察直後の初期の捜査段階において、最終的なほ脱税額や告発の見込等について、いまだ十分把握していないのは当然のことである。しかし、当時査察官がほ脱税額や告発の見込みについて、ある程度の金額や見込みを把握していたことも、前述したところからこれまた事実である。したがって、査察官が被告人に対し、ほ脱見込額を開示したり、告発の有無につき見解を表明することも可能である。

以上の次第であるから、査察官と被告人との間に、前記のような利益供与の約束がなされたという被告人の供述は、前記証拠決定が認定するように不自然ではなく、十分信用できるのである。

八、次に、被告人が検察官の取調べに際し、それまでの査察官に対する態度をかえ、自供をひるがえすこともできたのに、それ以前と同様の自供をしているのは、以下に述べるような理由が存在したためである。したがって、被告人が検察官の取調べに際し、査察官が作成した前記質問てん末書の内容と同様の供述が記載された検面調査書(検乙一八)に署名押印したのは、前記証拠決定が認定するように不可解ではなく、十分理由が存在するのである。

1 昭和五三年一一月中旬頃になって、検察官から被告人夫婦および息子達並びに被告会社の従業員に対し、取調べのため呼出があった。当時、被告人は査察官から検察官に告発されたことを知らなかった。そのため、被告人は右呼出を受けるや直ちに国税局に相談に行き、統括官や田中清隆総括主査らに会って事情を聞いている。その際、統括官らは被告人に対し、被告人が検察官の処に出頭し、一言謝罪すればよいようになっている。そうすれば、検察官の処で厳しい取調べを受けることもないと説明し、被告人を安心させている。また、統括官らは被告人に対し、国税局の方から検察官に対し、被告人の国税局の取調べに対する協力の態度などについての成績表に、最高の点数をつけたものを送付してあるから安心して取調べを受けるようにしなさい。いずれにせよ、検察官の処で最終の結論が出るからと教示した。これは査察官が被告人に対し、安心して検察官の取調べに応ずるように説明したものである。そのため、被告人は、査察官が被告人との前記約束に基づき検察官との間に了解ができているものと理解し、安心して帰宅したのである(被告人の前記陳述書第二七項)。

2 当時、被告人は、国税局が前記第一点記載の約束を守り、清水建設の関係者の取調べを全くしなかったため、国税局や査察官を信用していたのである。そのため、被告人は、国税局が約束を守るものと信用し、被告人の方でも約束を守り、弁護士や税理士を関与させずに、被告人一人で国税局の取調べに応じてきたのである。また、被告人は、国税局が後記第三点記載の約束を守り、本件仮名預金等から三千万円に利息をつけた金額を被告人に返還してくれる、ものと確信していたのである。

そのため、検察官から取調べのために呼出があった際にも、被告人は態々国税局に相談に行き、統括官らに相談している(前記1参照)。当時、被告人は告発されたことも知らないし、起訴されることなど夢想だにしていなかったのである。なぜなら、もし当時被告人が告発とか、起訴されるおそれのあることを理解しておれば、態々国税局に相談に行くことなど絶対にあり得ない。当時被告人がこれらの客観情勢を正しく理解しておれば、国税局に相談など行かずに、顧問弁護士や顧問税理士の処に相談に行っている筈である。ところが、実際に被告人が本件法人税法違反被告事件につき弁護人を選任したのは、原判決も認定するように起訴(昭五三年一一月二四日)後に裁判所からの弁護人選任の催告に応じた同年一二月四日である。当時、被告人は、本件査察事件の一連の手続として検察官の取調べを受けるにすぎず、最終的には修正申告によって税金を納付すれば全部解決し、その後に、後記第三点記載の約束に基づき、本件仮名預金等から三千万円が返還されるものと理解していたのである。そのため、被告人は検察官の取調べの際にも、顧問弁護士を弁護人に選任しなかっただけでなく、本件査察事件につき終始相談をせず、かつ、顧問税理士にも、前記のように国税局側と交渉させたり、折衝させたりしたことは一度もなく、たんに修正申告書の作成に関与させたにすぎなかったのである。

3 そのため、被告人は、検察官の取調べを受ける被告人の家族や被告会社の従業員に対し、「国税局との間には話合いが成立しているから、検察官の取調べの際には、逆わずに検察官のいうとおりに、事実関係を全部認めるよう」にと指示したのである。被告人自身も、右のような経過があったため、検察官の取調べの際には、査察官に対する前記質問てん末書の供述記載をひるがえすこともなく、前記質問てん末書の供述内容のとおりに供述記載した検面調書(検乙一八)に署名押印してきたのである(陳述書第二八項)。関谷証人の証言によると、被告人は検察官の取調べ(同年一一月一六日)の後に、再び国税局に出向き、査察官に対し、検察官の取調べには前記質問てん末書の供述内容どおりに供述してきた旨の報告をしている(第二一回公判、七六一丁、七六二丁)。被告人がこのような報告をしたのは、前記1、2記載のような経過が存在したためであり、首尾一貫している。

ところが、前記証拠決定は、この点に関し、前記第一点の約束があったとすれば、「被告人鈴木がそれまでの査察官に対する態度をかえ自供をひるがえすことも十分予想される本件告発後の検察官の取調べにおいてそれ以前と同様の内容の自供をしていること」は不可解というほかない、旨認定していることは前述したとおりである(前記第八項冒頭部分参照)。

しかしながら、被告人が検察官の取調べに際し、それまでの査察官に対する質問てん末書の供述記載と内容の異なる供述をせず、右内容どおりの供述をしたのは、前記1記載ないし3記載の事情によるものであって、十分理由が存在するものであるから、これを不可解と認定した前記証拠決定は誤りである。

4 ところで、息子の寛は、実際に被告会社から営業手当および賞与を全部支給されていたので、国税局の取調べのときから水増であることを否認していた。そのため、査察官の取調べの際にも、寛は営業手当および賞与は実際に全額支給を受けていたと供述し、水増を否認していた(第六回公判の同人の証言、一二二丁ないし一二四丁)。寛が国税局の取調べの際に、給料や賞与金の水増を否認していたことは、関谷証人も認めている(第二一回公判、七八三丁)。そのため、検察官は寛に対し、被告人や他の従業員も営業手当(給料)や賞与金の水増計上を自供しているのであるから、寛だけ一人で頑張っても駄目だといって、水増計上であることを認めるように説得していた。しかし、寛は、後述するように、営業手当および賞与金の全額の支給を受けていたのであるから、水増計上を否認したのは当然のことである。

5 寛は、昭和五三年一一月二〇日検察官の取調べを受け、検面調書(検甲一の二四)が作成されている。藤本日誌(弁証二七)によると、この日の欄に、「地検(寛同乗)」と記載されており、寛が被告人の社長専用車に被告人と同乗し、検察官の取調べを受けるため東京地検に出頭していることが判明する。

これは、被告人が息子の寛の取調べに際し、東京地検に付き添って行ったのである。寛は、検察官の取調べにも、事実ありのままに、自分は営業手当等の給料および賞与金を全額支給を受けており、水増計上ではない、と否認していた。息子の寛は、被告人と異なり、国税局が被告人との後記約束を守り三千万円を返還してくれることを信用しておらず、査察官が取調べの方便のために被告人を欺しているのではないか、と疑問をもっていた。

そのため、実際に、寛は検察官の取調べを受けた際にも、被告会社から給料や賞与金を全額支給を受けていたと供述した。そこで、検察官は寛に対し、被告人や他の従業員も給料や賞与金の水増計上を自供しているのであるから、寛一人で頑張っても駄目だといって、水増計上を認めるよう説得した。そこで、被告人はやむなく寛を取調べ室の外に連れ出し国税局と被告人との間に約束ができているから自供しても大丈夫だといって説得し、検察官のいうとおりに供述記載した検面調書に署名押印するように強く説得したのである。そのため、寛はついにあきらめて、しぶしぶ被告人の説得に応じ、検察官のいうとおりに記載された検面調書(検甲一の二四)に署名押印したのである(被告人の前記陳述書第二八項)。

6 検察官から取調べを受けた被告人および寛以外の、土田武夫(検甲一の二二)、大杉喬(検甲一の二三)、鈴木きみ子(検甲一の二五)なども、すべて被告人から事前に、国税局と被告人との間に約束ができているから大丈夫であるから、検察官の取調べの際には、逆わずに検察官のいうとおりに全部認めるように指示されていたので、これらの従業員や被告人の家族が検察官に取調べられたときには、検察官のいうとおりに記載した検面調査に、そのまま署名押印したのである。

したがって、被告人の検面調書(検乙一八)をはじめ、これらの家族や従業員の検面調書は、いずれも任意性がなく、証拠能力を有しないものである(被告人の前記陳述書第二八項、鈴木きみ子証言、第一〇回公判、三七三丁ないし三七八丁、大杉喬証言、第三回公判、一九丁ないし二一丁、同第四回公判、三一丁、三二丁、三五丁、三六丁、三六丁、鈴木寛証言、第五回公判、八九丁ないし九一丁)。

九1 次に、被告人が本件起訴後に査察の結果を認めて修正申告したのは、査察官に強要されたり、欺罔されたりしたためである(被告人の前記陳述書第二四項ないし第二六項、第三〇項ないし第三二項)。この点につき、関谷証人は、被告人に対し修正申告を要求したのではなく、慫慂した旨供述している(第二二回公判、八八五丁)が、これは事実に反する。関谷証人のこの供述を受けて、原判決は、「そして、関谷査察官から被告会社の昭和五〇年九月期ないし昭和五二年九月期における各所得額を示されて、それに添った修正申告をするように勧めれられた」旨認定しているが、修正申告をするように勧められた旨の認定は明らかに誤りである。被告人は被告会社が修正申告をすることを渋っていたが、査察官から再三に亘って修正申告をするように強要されている。また、査察官は被告人に対し、修正申告に応ずれば、(一)本件仮名預金等から三千万円を利息をつけて戻してやる(被告人の前記陳述書第二九項ないし第三二項)等と欺罔されている。そのほか、(二)査察官は被告人に対し、家族従業員の第一工事から支給された給料手当および賞与金を認めてやるとか、(三)家族従業員名義の実名預金を認めてやる等と申し向け、もし、修正申告に応じない場合には、(一)本件仮名預金等から三千万円を返還しないとか、(二)家族従業員の第一工事から支給された給料手当および賞与金を家族従業員以外の他の従業員の場合と同様に否認し、水増計上と認定するとか、(三)家族従業員名義の実名預金等については贈与税および利子税を課税する、等と申し向けて強要している。そのため、被告人は裁判で争うよりも査察官の強要するままに修正申告に応ずることもやむを得ないと思料し、修正申告に応じたのである。

2 査察官が被告人に対し、法人成り当時の営業用個人資産が実際には一億円以上あったのに、これを減額して三千万円であったことにすれば、本件仮名預金等から三千万円を返還すると偽計に基づく約束をしていたことは、後記第三点において詳述するとおりである。被告人は、査察官から被告会社が修正申告をすれば本件仮名預金等から三千万円に利子をつけて戻してやるが、修正申告をしなければ右三千万円を返還しないと、圧力をかけられたためやむなく修正申告に応じたものである。

また、被告会社が家族従業員に支給した営業手当等の給料手当および賞与金、並びに、第一工事が家族従業員に支給した給料手当および賞与金については、その支給方法は全く同一であった。しかるに、国税局は、第一工事が家族従業員に対して支給した給料手当および賞与金については、その支給を肯定した処理を認めているが、本件で問題となっている被告会社が家族従業員に支給した営業手当および賞与金については、水増計上と認定し、否認する処理をしている。これは明らかに矛盾である。査察官は被告人に対し、修正申告に応じなければ、第一工事が家族従業員に支給した給料手当および賞与金を、被告会社の場合と同様に水増計上と認定して否認すると圧力をかけ、修正申告を強要している。

また、査察官は、被告会社から家族従業員に支給した営業手当および賞与金が水増計上であったことを根拠付けるために、被告人の妻きみ子が現実に家族従業員に交付した現金や、家族従業員名義で実名預金したもの等は、親子の関係から贈与した旨の前記質問てん末書を作成している。そのため、国税局は、被告会社に対し水増人件費を認定する結果として、家族従業員に対しては贈与を認定しなければならない筋合いである。そのため、査察官は被告人に対し、被告会社が修正申告に応じなければ、家族従業員の実名預金に対し贈与を認定して贈与税および利子税等を課税すると圧力をかけ、これまた修正申告を強要している。国税局は、家族従業員に対する営業手当および賞与金の支給を否認するのであれば、家族従業員に対する贈与を認定し、贈与税等の課税処分をしなければ首尾一貫しないのである。査察官は、被告会社に修正申告を事実上強要する手段として、第一工事の水増人件費の問題および被告会社の家族従業員に対する贈与の問題を持出していたのである。

したがって、被告人の立場に立てば、当時被告会社が修正申告に応じたのは、前記証拠決定認定の如く「不可解」ではなく、それなりに合理的理由が存在したのである。

一〇、以上の次第であって、本件査察直後の取調べの段階において、査察官が被告人に対し、再三に亘り、本件査察事件は税金四、五千万円納付すれば全部すむ、告発もしないし、罰金もとられない、旨利益供与の約束をしたことは明らかであって、被告人は右約束に基づき、税金四、五千万円を納付すれば全部片付くのであれば仕方ないとあきらめ、査察官のいうとおりに事実を全部認める趣旨の前記質問てん末書の作成に応じたものである。したがって、前記質問てん末書に記載された自白は、右利益供与の約束に基づくものであって、憲法第三八条第二項、刑訴法第三一九条第一項に違反し、かつ、前記最高裁の判例にも違反するものである。而して、右違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄されるべきである。

第三点 原判決には、憲法第三八条第二項並びに最高裁判所の判例に違反して、任意性に疑いがあり証拠能力がない質問てん末書を採用して事実を認定した第一審判決を是認した違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄されるべきである。

一、いわゆる偽計による自白の証拠能力に関し、最高裁大法廷昭和四五・一一・二五判決は、「捜査手続といえども刑訴法一条所定の精神に則り、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ適正に行われるべきものであることにかんがみれば、捜査官が被疑者を取り調べるにあたり偽計を用いて被疑者を錯誤に陥れ自白を獲得するような尋問方法を厳に避けるべきことはいうまでもないところであるが、もし偽計によって被疑者が心理的強制を受け、その結果虚偽の自白が誘発されるおそれがある場合には、右の自白はその任意性に疑いがあるものとして、証拠能力を否定すべきであり、このような自白を証拠に採用することは、刑訴法三一九条一項の規定に違反し、ひいては憲法三八条二項にも違反するものといわなければならない。」(刑集二四・一二・一六七〇頁)旨判示している。

この事案では、「M検察官が被告人の取調にあたり、『奥さんが自供している。誰がみても奥さんが独断で買わん。参考人の供述もある。こんなことで二人共処罰される事はない。男らしく云ったらどうか。』と説得した事実のあることが記録上うかがわれ、すでに妻が自己の単独犯行であると述べている本件被疑事実につき、M検察官は被告人に対し、前述のような偽計を用いたうえ、もし被告人が共謀の点を認めれば被告人のみが処罰され妻は処罰を免れることがあるかも知れない旨を暗示した疑いがある。要するに、本件においては前述のような偽計によって被疑者等が心理的強制を受け、虚偽の自白が誘発されるおそれが濃厚であり、もしそうであるとするならば、前記尋問によって得られた被告人の検察官に対する自白およびその影響下に作成された司法警察員に対する自白調書は、いずれも任意性に疑いがあるものといわなければならない。」と判示している(鬼塚賢太郎、偽計による自白の証拠能力と憲法三八条二項、最高裁判所判例解説、刑事編、昭和四五年度、四〇三頁、山田森一、偽計による自白の証拠能力と憲法三八条二項、法学研究四六・七・一三二頁、荻原太郎、偽計による自白、証拠法大系、一〇〇頁、下村幸雄、偽計による自白の証拠能力と憲法三八条二項、判例タイムズ二六〇・一一一頁、小田中聡樹、ジュリスト昭和四五年重要判例解説、偽計による自白の証拠能力、一五五頁、伊藤栄樹、偽計による自白、警察学論集、二四・四・九七頁、井戸田侃、偽計による自白の証拠能力、判例評論一四七・二四頁、泉山禎治、偽計による自白、(別冊ジュリスト)刑事訴訟法判例百選(第四版)、一五二頁、能勢弘之、偽計による自白と証拠能力、刑事訴訟法、セミナー法学全集3、二一九頁、龍岡資晃、約束・偽計による自白、判例タイムズ三九七・一八頁)

二、本件においては、法人成り当時の営業用の個人資産の評価が問題となったのであるが、査察官は被告人に対し、法人成り当時の営業用の個人資産が実際には一億円以上あったのに、これを減額して三千万円であったことにすれば、本件仮名預金等から三千万円を返還する、という偽計に基づく約束をしている。この約束をしたため、被告人は国税局が本当に本件仮名預金から三千万円を返還してくれるものと誤信し、被告人の営業用の個人資産が三千万円しかなかったことを認める旨を記載した、前記質問てん末書(検乙九)の作成に応じたものである(被告人の前記陳述書第一一項11)。

査察官が被告人に対し、法人成り当時の営業用の個人資産が三千万円であったことを自供すれば、本件仮名預金等から三千万円を被告人に返還する旨の約束をしたのは、偽計に基づくものであって、被告人は右偽計に基づく約束を信用して誤信し、右個人資産が三千万円であったことを認める趣旨の供述が記載されている前記質問てん末書の作成に応じたものである。したがって、前記質問てん末書は、前記最高裁の判例に判示するとおり、憲法第三八条第二項、刑訴法第三一九条第一項に違反し、証拠能力を有しないものである。

三、前記第一点において前述したように、本件査察直後頃に、査察官と被告人との間に、早期解決をするために、清水建設の関係者の取調べをしない代りに、弁護士や税理士などの代理人を関与させずに、被告人一人で取調べに応じ、全面的に協力する、旨の弁護人選任権を侵害する約束ができていた。

そのため、被告人は右約束を守って、顧問弁護士や顧問税理士がいたのに拘らず、これらを弁護人等に選任せず、したがって、本件にはこれらの顧問を一切関与させずに、被告人一人で国税局の取調べに応じ、全面的に取調べに協力してきていた。また、国税局側でも被告人との右約束を守って、本件査察後には、清水建設の関係者を取調べて裏付捜査をすることを一切やらなかった。そのため、被告人は、当時査察官が右約束を遵守して、清水建設の関係者を取調べないことに感謝していたのである。したがって、最初の段階では、被告人は国税局を信用していたのである(被告人の前記陳述書第一一項11)。

また、前記第二点記載の約束もあり、被告人は国税局側を信用し、また調査の結果についても、税金四、五千万円納付すれば全部すみ、告発もされないし、罰金もとられない、と安心していたのである。

ところで、本件査察後から同年八月初旬頃までの取調べは、専ら北立土木の水増外注費の問題と従業員の水増人件費の問題だけであり、本件仮名預金等の利息の問題はまだ調査の対象になっていなかった。このことは、前記質問てん末書一四通のうち、昭和五三年五月一六日ないし同年八月八日(検乙四ないし七)の四通が、いずれも右二点の問題に関する被告人の供述を記載していること、また、同年九月七日付質問てん末書(検乙八)以後のものが、被告人の持込資産や個人財産の引き継ぎ、本件仮名預金等の増加等に関するものである、ことによっても明らかである。また、被告人は、同年八月二日に、鈴木商店時代および法人成り直後頃の被告会社の帳簿、請求書、領収書、契約書、伝票などを任意提出し、領置してもらっている(弁証二〇)。これは被告会社設立前後の財産状態を明らかにするためであって、被告人の個人資産が一億円以上あったことを証明するためであった(後記第一六項参照)以上によっても明らかなように、昭和五三年八月初旬頃から、国税局側は鈴木商店時代の個人資産、本件仮名預金等の増加状況等の調査を開始した、ことが判明するのである。

四、ところが、昭和五三年九月初め頃になって、法人成り当時の営業用の個人資産の評価をめぐって、査察官は被告人に対し、個人資産が当時一億円以上存在したという被告人に、後記第四点記載のような脅迫的な取調べを行った上で、右個人資産が一億円以上あったという主張を撤回させ、三千万円だけを認めさせたのである。この点については後記第四点において詳述する。その際、査察官は、右脅迫的な取調べと並行して、右個人資産を三千万円に減額して認めさせる代りに、被告人に対し本件仮名預金等の中から三千万円を返還することを再三に亘って約束し、その代りに右個人資産を三千万円に減額して認めるように迫ったのである。その際、関谷査察官は、被告人に対し三千万円を返還するのであるから、前記質問てん末書の供述記載内容については、事実と違うというような異議を申立てないように説得したのである。被告人は、本当に本件仮名預金等の中から三千万円を返還してくれるのか不安であったため、質問てん末書に記載してくれるように申入れた結果、関谷査察官は質問てん末書に、仮名預金等のうち三千万円が被告人の個人資産であることを認める旨記載してくれたのである。しかし、この質問てん末書は検察官において未開示である。この質問てん末書が検察官の主張する証拠未提出の三通の中に含まれているか否かは現在不明である。また、被告人は関谷査察官に対し、右質問てん末書のコピーをくれるように懇請したが、関谷査察官は「社長それは間違いない、国税局が嘘をいうことはない。」といって、コピーもくれなかったし、またメモをとることも許可しなかった。被告人は、前記第一点記載の弁護人選任権を侵害する約束をさせられたが、国税局側が約束通り清水建設の関係者を取り調べないので、信用していたため、まさか国税局の査察官が偽計を行使して嘘をいうとは考えなかったため、本当に本件仮名預金等の中から三千万円を返還してくれるものと信用していたのである(被告人の前記陳述書第一一項1)。そのため、被告人は、右個人資産が三千万円である旨の供述が記載された前記質問てん末書の作成に応じたものである。

五、また、被告人は、査察官が被告人との間で前記第一点記載の約束を守って、清水建設の関係者の取調べをしなかったため、感謝し、査察官を信用していた。そのため、被告人は、被告会社の倒産だけはなんとか阻止できたと感謝していた。そこで、被告人は、法人成り当時の営業用の個人資産が一億円以上あったものを三千万円に減額されても、三分の一だけでも、個人資産として本件仮名預金等の一部を認めてもらえるのであれば、助かると考えた。この取調べ当時、被告人は税法の知識は全くなかったから、関谷査察官のいうままに、三千万円を本件仮名預金等の中から返還する旨の約束をそのまま信用した。しかし、実際には、右個人資産を全く認めてもらえないことが、起訴後になって判明した。被告人は、田中清隆、関谷隆らの査察官に欺されていたことが、最後になって判明したのである。しかし、これは起訴された後のことであって、右取調べ当時、被告人は、右査察官らを信用し、また、右のような約束を信用していたのである(被告人の前記陳述書第一一項11)。

六、被告人は、法人成り当時の営業用の個人資産が、一億円以上あったものを三千万円に減額することを認めるについては、妻きみ子と相談している。国税局から清水建設の関係者を取調べられると、被告会社を倒産させるおそれがあったが、被告会社を倒産させれば元も子もなくなるので、被告会社を倒産させるよりも、三千万円だけでも被告人の許に本件仮名預金等の一部が戻ってくれば、あきらめるより外はない、と被告人夫婦が話し合ったのである。被告人は、幸いに、子供達は成人し、三人共被告会社に勤務しており、また一生懸命働けばお金を儲けることができるであろう、と考えた。ここで、国税局に逆って、被告会社を倒産させてしまえば、子供達の首をしめるのと同じ結果になるし、また、多数の従業員やその家族を路頭に迷わせる結果になる、国税局は三千万円返還すると約束してくれているのであるから、あきらめよう、と被告人夫婦で相談した。これはあくまでも、三千万円を被告人に返還するという査察官の約束を信用して、前記個人資産を三千万円に減額することを認めたのである。このような約束に基づいて、前記質問てん末書が作成されたのである。ところが、この約束は査察官の偽計に基づくものであって、被告人を取調べる方便として、被告人を欺すために行なわれたものであることが、前述のように、起訴後になって判明したのである。また、被告人が査察官との間で、このような偽計に基づく約束をさせられるようになったのは、前記第一点記載の約束の外に、前記第二点記載のように、税金四、五千万円納付すれば全部すみ、告発もされないし、罰金もとられない、という査察官との約束を一方的に信用していたことも大きな原因となっていた(被告人の前記陳述書第一一項12)。

七、ところが、この点につき、原判決は、「もっとも被告会社が法人成りした当時、被告人の個人財産が如何程あったかについて、関谷査察官と被告人との間には若干議論したことはあるが、しかし、被告人は、査察官から示された関係資料等を検討した結果、従前の主張に誤りのあることに気付き、結局三、〇〇〇万円位の個人資産があったことを認めるに至ったものであって、一億円相当の個人財産があったことを前提とし、これを三、〇〇〇万円しかなかったことにすれば、本件仮名預金等から三、〇〇〇万円を返還する約束の下に前記のような供述をしたものではない。」(五丁)と認定したうえで、前記のように、「原審で取り調べた被告人の収税官吏に対する質問てん末書一四通及び査察官に対する供述調書一通は、所論が指摘するような約束や経過で作成されたものとは認め難く、むしろ被告人が任意に供述したものを録取して作成されたものと認めるのが相当である。」旨判示(七丁表)、右各供述調書に証拠能力を認めたのである。

しかしながら、原判決の右認定が誤りであることは、前記第一項ないし第六項において前述したところからきわめて明らかであるが、更に、その誤りであり、かつ、憲法第三八条第二項、刑訴法第三一九条第一項に違反する理由を以下において明らかにする。

八、第一に、被告人が法人成り当時、営業用の個人資産の評価について、一億円以上あったという主張を撤回して、三千万円であったことを認めるに至ったのは、原判決が前項で認定するように、被告人が査察官から示された「関係資料等」を検討した結果、従前の主張に誤りがあることに気付いたためではない。原判決が認定する「関係資料等」というのは、前記質問てん末書(検乙八)添付の資料を指している。ところが、この資料は、いずれも被告会社設立後のブルドーザー等機械類の売買関係の書類であって、個人資産の評価に関する資料ではない。弁護人が再三に亘って指摘しているように、査察官は、当時、法人成りの際の個人資産の評価について、具体的に証拠資料を調査せず、裏付捜査の手抜をやっている。この点について、第一審の判決も全く同様であって、「法人成り当時の被告人の個人資産の状況、特に純資産の額についてはかなりの年月が経過しこれを証するに足る客観的な資料も存在しないので、必ずしも明らかではない」(一二丁表二行から四行目)旨判示し、具体的な認定をさけている。しかるに、原判決は、この点につき、乱暴にも、「被告会社設立当時、被告人がその所有する営業用資産の一切を被告会社に無償で譲渡したものであることは、すでに認定したとおりであって、その当時における右譲渡にかかる営業用資産の評価額が確定されなければ、本件仮名預金等の帰属が決し得ないとは到底いえない」旨判示し(二三丁表)、その前提として、「被告人はその所有に係る建築機械等のたな卸資産は勿論、預貯金及び現金等を含めた一切の営業用資産を被告会社設立と同時に被告会社に無償で譲渡したことが認められ、したがって、これから転化したと認められる本件仮名預金等も被告会社に帰属するものというべきである。」旨判示する。(九丁裏、一〇丁裏、一一丁裏)。

九、しかし、このような乱暴な事実認定には絶対に承服することができない。原判決が認定するような、法人成り当時の営業用の一切の個人資産を被告会社に無償で譲渡したという証拠は、本件訴訟において、一切提出されていないのであって、原判決は、無証拠によって、右のような無償譲渡を認定しており、明らかに憲法第三一条、刑事訴訟法第三一七条に違反するものである。原判決は、なぜこのような乱暴な認定をしたのであろうか。その答は、第一に、有償譲渡の場合には、現物出資、財産引受、事後設立、自己取引等に関する商法所定の手続を必要とするが、本件においては右手続をいずれも経ていないので、本件の譲渡は無効であり、したがって、前記営業用の個人資産は鈴木商店当時から現在まで被告人の個人所有のままであり、これらの資産から転化したと認められる本件仮名預金等も被告人の個人所有である、旨の弁護人の控訴趣意第三点第二の主張を潜脱するためである。第二に、本件仮名預金等の帰属を決するうえで、被告会社が法人成りした当時、被告人が如何程の個人資産を有していたか、有償譲渡の場合にはその評価が重要であり、そして、第一審に提出した客観的な証拠資料を精査し、審理を尽しておれば、被告人の個人資産が一億円以上あったことを明らかにすることができたに拘らず、前記のように、第一審判決がその評価をさけたのは審理不尽の違法がある、旨の控訴趣意第四点の主張を潜脱するためである。原判決は、客観的な証拠を全く無視することによって、無償譲渡であると故事付け、第一審判決を破棄するのを回避したのである。

本件捜査時において、本件仮名預金等の帰属を決定するうえで、法人成り当時の被告人の営業用の個人資産の評価が最も重要であり、査察官と被告人との間でその評価が問題となったのはなぜか、ということを検討する必要がある。具体的には、法人成り当時の被告人の右資産が、被告人の主張するように一億円以上あったのか、それとも、査察官の認定するように三千万円であったのか、の問題である。この問題につき、査察官と被告人との間に意見の対立のあった、ことは第一審判決および原判決とも認めるところである。すなわち、前記証拠決定は、「ところで、同年八月初旬ころから被告人鈴木と関谷査察官との間で法人成り当時の被告人鈴木光の個人資産が問題となり、被告人鈴木は個人資産が一億円以上存在したと主張したが、関谷査察官はこれをそのまま認めることはできないとして同被告人に資料の提出等を求めた」(四丁裏)こと、および、「法人成りの際の個人資産の評価について被告人鈴木と関谷査察官との間で意見が対立していた」(九丁表)旨認定しており、また、原判決は、「もっとも、被告会社が法人成りした当時、被告人の個人資産が如何程あったかについて、関谷査察官と被告人との間で若干議論したことはあるが」と認定している(五丁表)。

原判決の右認定が誤りであって、事実は、査察官が一方的に被告人に対し、前記個人資産一億円以上あったという主張を撤回させ、該個人資産が三千万円であったこと、該個人資産を法人成りの際全部被告会社に譲渡したこと、を認めさせるために、脅迫的取調べをしたのである。この点については、後記第四点において詳述するとおりである。

一〇、仮りに百歩を譲っても、原判決の認定するように、査察官と被告人との間では、法人成り当時における被告人の営業用の個人資産の評価について、意見の対立があったのである。なぜ、このような意見の対立があったのかといえば、法人成りの際に、被告人の営業用の個人資産が被告会社に有償譲渡されたか否かが、問題となっていたためである。原判決も認定するように、無償譲渡の場合には、譲渡の対価は存在しないのであるから、対価を算出するために、該個人資産の評価額を確定する必要はないが、有償譲渡の場合には、対価(代金額)を確定する必要があり、そのためには、該個人資産の評価額を確定する必要があったためである。当時、査察官は有償譲渡であることを前提に、その対価(代金額)を確定するために、被告人の営業用の個人資産の評価額を確定しようとしていたのであって、そのため、被告人は右評価額を一億円以上あったと主張し、査察官は三千万円(これには何等の根拠も客観的な裏付もないことは関谷証人自身認めているところである―第二二回公判、八二四丁、八二五丁)を認めさせようとして、両者間で対立していたのである。原判決認定のように、仮りに、無償譲渡であれば、該個人資産の評価額が問題になることはあり得ない。該個人資産の評価額が問題となっていたという事実こそ、有償譲渡の有無が問題となっていたことを物語るのである。したがって、既にこの点において、無償譲渡と認定した原判決の認定が誤りであることはきわめて明白である。

一一、次に、前記質問てん末書の供述記載を検討するに、次の1、2のような供述記載によっても明らかなように、法人成り当時の被告人の個人資産の評価額がいくらであったかの問題と、法人成りの際に被告人が被告会社に右個人資産を有償譲渡したことの問題とから成り立っている。具体的には、法人成り当時、被告人の個人資産の評価額は三千万円であって、被告人は法人成りの際に右個人資産を全部被告会社に売却(有償譲渡)しているが、売却代金(対価)を被告会社から受領しておりず、右売却代金を被告会社に無期限無利息で貸付けている、という趣旨のものである。右供述記載以外に、前記質問てん末書には、被告人が右個人資産を被告会社に無償譲渡した旨の供述記載は全く存在していない。これらの供述記載からも、無償譲渡と認定した原判決が誤りであることはきわめて明らかである。

1 昭和五三・九・七付質問てん末書(検乙八)によると、被告人は妻きみ子と二人の記憶に基づいて法人成り当時の個人資産が現金および預貯金六、七千万円と建設機械、スクラップ等三、四千万円、合計一億円であった旨の同年九月六日付申述書(弁証二八)を提出し、右預貯金の内容を説明したところ、関谷査察官から被告会社設立後の建設機械等の売買契約書等を示されて、これらの機械等が被告会社設立後に被告会社名義で売買されていることから、右申述書記載の資産が存在した時期につき記憶にずれのあることに気付き、そのため、右申述書を撤回し、法人成り当時、被告人の個人資産がいくらあったかは頭を冷やして後日述べること(問、答、二ないし四)、並びに、個人資産は被告会社設立と同時に被告会社に引き継がれたこと(問、答五)、の供述記載がなされている。すなわち、右質問てん末書は、第一に、法人成り当時における被告人の個人資産の評価に関する部分と、第二に、法人成りの際に、被告人から被告会社に対する右個人資産の引き継ぎ関係の部分とからなっている。

2 次に、昭和五三・九・一一付質問てん末書(検乙九)によると、法人成り当時の被告人の個人資産は三千万円で、被告会社設立と同時に被告会社に譲渡したこと、引継(譲渡)財産の対価(代金)は被告会社から受領しておらず、右対価部分だけ被告人が被告会社に貸付けているが、利息の契約はしていないので無利息であること、被告会社に引継いだ財産は被告人個人財産のうち、土地建物および家具等の家庭用資産以外のもの全部であること、などが供述記載されている。

右供述記載によると、法人成り当時における被告人の営業用の個人資産の評価額は三千万円であって、被告人は、法人成りの際に右個人資産を被告会社に全部有償譲渡したが、その対価(代金)を被告会社から受領せず、被告会社に無利息で貸付けていることになる。右有償譲渡の対価額が明確に記載されていないが、当時の評価額が三千万円であると明示しているのであるから、特段の事情のない本件においては、対価すなわち代金は評価額(時価)である三千万円ということになる。この点は、次のように、関谷証人の供述によって、なお一層明白となる。

一二、 この点に関する関谷証人の供述は次のとおりである(第二二回公判、八二五丁、八二六丁)、

問 (弁護人……以下同じ)会社設立当時に持っておった約二、〇〇〇万円の商品を、会社ができてからどういうふうにしたというようにあなたのほうは調査してますか。

答 被告人の供述では第一重機へ引継いだということですので……。

問 引継いだということはどういう意味でしょうか。

答 私も被告人に聞きましたところ、譲渡したという意味ですと答えてくれました。

問 譲渡したというのはどういう意味ですか。

答 ある人からある人に譲り渡したということです。

問 有償ですか無償ですか。

答 被告人は有償だと答えたと記憶しています。

問 そうすると、売買ですか。

答 売買といいますか、通常、譲渡と言っていますけれども。

問 譲渡というのは、要するに、品物を相手に売ってお金をもらうということでしょう。有償というのは、もらう約束をするということですね。

答 そうですね。約束することです。

問 ただでくれてやったということじゃないわけですね。

答 そうです。そういうふうに供述したと記憶しています。

問 譲渡はいつやったということですか。

答 設立の日ですね。設立と同時にというふうに供述してくれたと記憶します。

問 代金はいくらですか。

答 だから三、〇〇〇万円ぐらいじゃないでしょうか。

問 代金三、〇〇〇万円。

答 ……三、〇〇〇万円ということは言ってなかったかもしれませんが、要するに、三、〇〇〇万円あるということですから、現金預金で一、〇〇〇万円、それから機械が二、〇〇〇万円ということですから、三、〇〇〇万円あったというふうに供述しているはずですから、そうすると、対価三、〇〇〇万円という意味じゃないですか。

問 そうすると、現金も預金も譲渡したと言ってたんですか。

答 現金も預金もすべて引継いだと言っていました。

問 引継はすなわち有償の譲渡だということですね。

答 それは被告人が供述しましたということです。

一三、 関谷証人の右供述を整理すると、被告人は、法人成りと同時に、被告人の個人所有に係る機械等の商品(二、〇〇〇万円相当)および現金・預金(一、〇〇〇万円相当)をすべて被告会社に引継いでいる。引継ぎすなわち譲渡であって、右譲渡は有償譲渡である。被告人は右個人資産を被告会社に無償で譲渡したことはない。被告人は右譲渡代金が右個人資産の評価額である三、〇〇〇万円であると供述しなかったかも知れないが、関谷査察官は右評価額が三、〇〇〇万円であったので、右譲渡代金も三、〇〇〇万円であると理解していた。このように、関谷証人の供述によっても、前記質問てん末書の記載と同様に、被告人が法人成りの際に個人資産を被告会社に譲渡したのは、原判決認定のように、無償譲渡ではなく、有書譲渡(売買)である。原判決が認定した無償譲渡であることを立証する証拠は、本件においては一つも提出されていない。原判決は、無証拠によって恣意的に無償譲渡を認定したものであって、憲法第三一条、刑訴法第三一七条に違反し、この点でも判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄されるべきである。

一四、本件捜査当時、査察官は、法人成り当時の被告人の個人資産を三千万円と評価し、かつ、法人成りと同時に全部被告会社に譲渡し、その譲渡代金三千万円を被告会社に無期限無利息で貸し付けている、という構成をしていたことは、前記質問てん末書の被告人の供述記載をみればきわめて明らかである。また、査察官は、本件仮名預金等は被告人個人の資産ではなく、被告会社の資産であると認定していたことも、同様に前記質問てん末書の供述記載によって明らかである(前記第一一項参照)。

ところで、査察官が右譲渡代金三千万円の処理をどのように認定したかが問題となるのであるが、この点に関し、検察官は、「査察官作成の修正貸借対照表の中で、社長(被告人)の過年度借入金三、〇〇〇万円が計上してあることが判明した。すなわち、査察官は、(被告)会社の創業以来、引き続き三、〇〇〇万円を被告会社に無利息無期限で貸し付けていると認定をしている。証人関谷隆は、この処理を失念して証言していたものと思われる。」(前記意見書四〇頁、四一頁)と主張している。国税局における右のような修正貸借対照表の処理によっても、有償譲渡と認定していたことは明らかであって、この点でも無償譲渡と認定した原判決は誤りである。したがって、査察官の立場では、被告人は被告会社に対し、法人成り当時から現在まで引き続き、譲渡代金三千万円を無利息無期限で貸し付けているのであるから、被告人は被告会社に対し、いつでも右貸付金三千万円の返還を請求できることは理論上当然のことであり、被告人は被告会社から三千万円の返還を受けられるわけである。

他方、査察官は、本件仮名預金等はすべて被告会社の資産であると認定していたのであるから、本件仮名預金等から被告人に対し三千万円を返還することも可能である。このことは、検察官も、「査察官が、被告会社から三、〇〇〇万円を返してもらう権利があるように処理する(これは仮名預金三、〇〇〇万円分で返してもらうことも可能である)と言った……」(右意見書四一頁、四二頁)と主張し、肯認している。したがって、本件捜査当時、査察官は被告人に対し、本件仮名預金等から三千万円を返還してやるということは、検察官も認めているとおりに、可能であり、不自然ではない。査察官が右のような発言をしたとしても、査察官の立場としては当然のことであって、少しも不自然ではない。

一五、前述のように、本件捜査当時、法律に無知な被告人が顧問弁護士や顧問税理士を関与させずに、一人で国税局の取調べに応じていたのである。そのため、法人成り当時の持込資産の処理をどのように認定されるのか、本件仮名預金等の帰属をどのように認定されるのか、等に関しては被告人はなんらの知識を持ち合せていなかった。ちなみに、査察官が被告人の持込資産の処理に関し、被告会社に代金三千万円で譲渡したと認定し、右譲渡代金三千万円を被告会社に対する貸付金として計上し処理していることを、被告人が初めて承知したのは、第一審における検察官の前記意見書(昭和五六・一二・八付)によってである。このように無知な被告人に対し、査察官は特別の温情をもって被告会社から三千万円を返還させるとか、本件仮名預金等から三千万円を返還する等と申し向けて、あたかも特別の取り扱いによって、三千万円を被告人の個人資産と認めるように印象づけたのである。査察官は、それを取引きの材料として、被告人に対し、本件仮名預金等から三千万円を返還するから、その代りに、法人成り当時の個人資産が一億円以上であったという主張を撤回して、三千万円であったことを認めさせるために、偽計を行使したのである。前述のように、査察官の立場では、被告人が被告会社から三千万円の返還を受けるのは当然のことであって、これを本件仮名預金等から返還を受けさせることも可能であったことになる。これは査察官の特別の取り扱いでもなければ、温情的な取り扱いでもなく、当然のことである。ところが、査察官は、被告人に対し、こをあたかも特別の取り扱いないし温情的な取り扱いと思い込ませるように説明し、法人成り当時の個人資産が三千万円であったことを認めさせるための取引き材料に利用し、被告人を欺したのである。査察官が被告人に三千万円を返還すると何回も約束したので、税法に無知な被告人は、三千万円を被告会社の所得計算の上で差し引いてくれるものと理解したのである。

一六、被告人が法人成り当時の個人資産の評価について、一億円以上あったという主張を撤回して三千万円であったことを認めるに至つたのは、原判決が認定するような、被告人が関谷査察官から示された「関係資料等」を検討した結果、従来の主張に誤りがあったことに気付いたためではない。原判決の認定にある「関係資料等」というのは、前記質問てん末書(検乙八)添付の資料を指している。ところが、この資料は、いずれも被告会社設立後のブルドーザー等機械類の売買関係の書類であって、個人資産の評価に関する資料ではない。弁護人が再三に亘って指摘しているように、査察官は、当時、法人成りの際の個人資産の評価について、具体的に資料を調査せず、捜査の手抜をやっている。この点は第一審判決も全く同様であって、「法人成り当時の被告人の個人資産の状況、特に純資産の額についてはかなりの年月が経過しこれを証するに足る客観的な資料も存在しないので、必ずしも明らかでない」(一二丁表二行から四行目)旨判示し、具体的な認定をさけている。査察官が押収ないし領置した証拠資料に基き裏付捜査をやれば、法人成り当時の被告人の個人資産が三千万円ではなく、一億円以上存在したことは容易に認定できたのであって、この点は後記第七点(原判決の審理不尽による訴訟手続の法令違反)において述べるとおりである。原判決自体、前記のように、無償譲渡という無証拠による認定をしたために、法人成り当時の個人資産の評価について具体的な判断をしなかったため、査察官がなぜ法人成り当時の個人資産の評価について裏付捜査の手抜をやったのか、という疑問に対しては、原判決はなんらの判断も示していない。本件において法人成り当時の個人資産の具体的な評価は、最重要な問題であるから、さけて通ることはできない筈である。査察官は、個人資産の評価については、当然裏付捜査をすべきであったのに、なんらの裏付けや根拠もなしに三千万円と認定したのは全く違法かつ不当である。査察官がなんらの裏付けや根拠もなしに三千万円と認定したのは、本件仮名預金等から三千万円を被告人に返還するという偽計に基づく約束をしていたためである。しかし、右個人資産の評価が三千万円であるという客観的な裏付けや根拠は全く存在しないことは再三述べたとおりである。そのためか、さすがに第一審判決も個人資産の評価を三千万円と認定することができなかったのである。それなら原判決も積極的に個人資産の評価について具体的な判断を示すべきであったのに、無償譲渡を理由にこれを回避したのは甚だしい審理不尽である。原判決は、被告人が査察官から関係資料等を示されたことが原因で、個人資産が一億円以上あったという主張を撤回をし、三千万円であったことを認めるに至ったと認定しているが、抽象的に「関係資料等」などと趣旨不明な認定をせずに、もっと具体的に認定すべきである。具体的に関係資料等とはなにを指すのか、原判決も明確にすることはできない筈である。なぜなら、元々右三千万円を根拠付ける資料など全く存在しないからである。それが証拠に、前述のように原判決自体、個人資産の評価を三千万円と認定していないのである。したがって、原判決はこの点において矛盾している。原判決も、いわゆる「関係資料等」によっては、被告人の個人資産の評価が三千万円であったことを認定できなかったのに、査察官が被告人に右関係資料等を示して右評価が三千万円であったことを認めさせた、というのは自己矛盾である。

一七、また、被告人は、前記質問てん末書(検乙八)において、個人資産が一億円以上あったという主張を撤回させられ、三千万円であったことを認めさせられている(検乙九)が、「なぜ個人資産が三千万円と評価されたのか」、これについても裏付捜査は一切行なわれていないし、関谷証人自身裏付捜査をしていないことを認めている(第二二回公判、八二四丁、八二五丁)。検察官も、個人資産が三千万円であると評価する客観的な証拠は一切提出していない。したがって、法人成り当時の被告人の個人資産が三千万円であったと評価できる客観的証拠など全く存在しないのである。それ故、法人成り当時の被告人の個人資産が三千万円である、という前記質問てん末書(検乙九)の供述記載自体、全く根拠のないものであることは明白である。この点についても、原判決はなんらの判断を示していない。さすがに第一審判決はこのような形式的な供述記載を信用しなかったためか、判断をさけたことは前述したとおりである。また、前記質問てん末書(検乙九)によると、法人成りの際に、個人資産三千万円を現金・預金を含めてすべて被告会社に譲渡した、旨供述記載されているが、この供述記載自体きわめて不自然かつ不合理であることも、弁護人が再三指摘したとおりである。法人成りの際に現金・預金を含めた個人資産の全部を譲渡することなどありえない。なぜこのような不自然かつ不合理な供述記載になったのか、についても原判決はなんらの判断も示していない。原判決は、都合の悪い部分についてはすべて判断をさけている。これらの供述記載自体、客観的事実に反することきわめて明白である。これらの供述記載は、被告人が客観的な事実を供述したものではなく、国税局の都合によって、国税局の都合のよにように事実が歪曲されている。国税局にとっては、現金・預金を含めた個人資産全部を被告会社に譲渡されたことにしないと、都合が悪かったのである。そうでないと、本件仮名預金等が全部被告会社の所有であるという理屈に破綻をきたす結果となるからである。そのため、無理に客観的事実を歪曲した供述記載をしたのである。

八、以上の次第であって、被告人が法人成り当時の個人資産の評価について、一億円以上あったという主張を撤回して、三千万円であることを認めるに至ったのは、原判決が認定するように、「被告人が、関谷査察官から示された関係資料等を検討した結果、従前の主張に誤りがあることに気付き、結局三千万円位の個人資産があったことを認めるに至った」ものではなく、査察官から三千万円を本件仮名預金等から返還すると、偽計に基づく約束をさせられた結果である。そのほか、後記第四点において述べるように、脅迫的な取調べを受けたことも原因である。被告人は、このような偽計に基づく約束をさせられたため、国税局が本当に本件仮名預金等の中から三千万円を返還してくれるものと誤信し、法人成り当時における被告人の個人資産が三千万円しなかったことを認める旨を記載した前記質問てん末書(検乙九)の作成に応じたものである。したがって、右質問てん末書は、前記最高裁の判例に判示するとおり、憲法第三八条第二項、刑訴法第三一九条第一項に違反し、証拠能力を有しないものである。しかるに、原判決は、このように証拠能力のない右質問てん末書を採用して事実を認定した第一審判決を是認した違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄されるべきである。

第四点 原判決には、憲法三八条第二項に違反して、任意性に疑いがあり証拠能力がない質問てん末書およびその影響下に作成された検面調書を採用して事実を認定している第一審判決を是認した違法があり、右違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄されるべきである。

一、査察官は、本件仮名預金等の取調べをするに際し、被告人に対し、法人成りの際に個人資産が一億円以上あったものを三千万円に減額させたり、あるいは、個人資産全部を被告会社に譲渡したことを認めさせるために、前記第三点記載の偽計による約束をさせたほかに、脅迫的な取調べを行っている(被告人の前記陳述書第一一項7ないし9、第二三項、第一八回公判、六三七丁ないし六四二丁、第二五回公判、九二四丁ないし九二九丁、九四四丁ないし九四八丁)。このような脅迫的取調べおよび前記第一点ないし第三点記載の約束等によって、被告人は、所謂九月六日付申述書を撤回させられ、前記質問てん末書(検乙八ないし一四)が作成されたものである。したがって、これらの質問てん末書は憲法第三八条第二項、刑訴法第三一九条第一項に違反し、任意性に疑いがあり証拠能力を有しないものである。

二、しかるに、原判決は、この点につき、「本件は、被告人の身柄を拘束しないまま任意で取調べたものであるうえ」(五丁裏)、「被告人が査察官から事情聴取された場所は、いずれも東京国税局査察部の調室で、その広さは約三・三平方メートルしかない狭い部室であるけれども、被告人の取調べに当った査察官らは、被告人の疲労に十分配慮し、主として午前一〇時三〇分ころから午後六時ころまでの間に取り調べ、遅くなったときでも午後一〇時三〇分ころまでには終了し、連日深夜にわたって取り調べたことはなく、しかも、被告人は、取調べに総じて協力的であったので、数名の査察官らが右調室で被告人を取り囲み、所論のような罵声を浴せたり、脅迫文言を告知することは勿論その事実もなかった」(四丁)旨認定し、前述のように「原審で取り調べた被告人の収税官吏に対する質問てん末書一四通及び検察官に対する供述調書一通は、所論が指摘するような約束や経過で作成されたものとは認め難く、むしろ被告人が任意に供述したものを録取して作成されたものと認めるのが相当である。」(七丁表)と判示し、これらの供述調書に証拠能力を認めている。

三1 しかしながら、原判決の右認定は、関谷証人の供述をそのまま鵜飲みにして、形式通りに皮相的な認定をしたにすぎないものであって、誤りである。関谷証人の供述が信用できないことは、以下に述べるところから明らかである。しかるに、原判決は、被告人の供述を信用しないだけでなく、藤本証言および右証言を客観的に裏付ける藤本日誌(弁証二七)をも排斥したのは、明らかに採証法則の違反である。

原判決は、「本件は、身柄を拘束しないまま任意で取り調べたものである」ことを前提に、取調時間についても、「主として午前一〇時三〇分ころから午後六時ころまでには終了し、連日深夜にわたって取り調べたこともなく」と認定している。

しかし、任意の取調べであるから、その供述調書には任意性があるとは限らないのであって、実際の任意取調べが半強制的に行なわれることは、裁判実務においても屡々問題になっているところである。

2 取調時間に関し、原判決は、「主として午前一〇時三〇分ころから午後六時ころまでには終了し」た旨認定しているが、関谷証人自身このような供述はしておらず、原判決はなにを根拠(証拠)にこのような認定をしたのか理解に苦しむものである。すなわち、関谷証人は、最初検察官の主尋問に対し、取調べ開始時刻は、最も早くて午前一一時頃からであり、最も多かった取調べ開始時刻は午後一時か二時頃からであり、また、取調べ終了時刻は、最も遅い日で午後一〇時半頃であり、最も多かったのは午後六時位だったと記憶している旨供述している(第二一回公判、七五〇丁)。次に、関谷証人の反対尋問に対し、昭和五三年九月一一日および同月一六日に各四通宛の質問てん末書を作成した(本件にそのうち検乙九ないし一四が提出されている)取調時間につき、大体午前一一時頃から午後九時ないし一〇時頃までである旨供述している(第二一回公判、七七二丁ないし七七四丁)。また、関谷証人は、同月六日、七日の取調べ終了時刻は、同じように、午後九時ないし一〇時であった旨供述している(第二一回公判、七七四丁)。関谷証人は、同第二二回公判において、弁護人の反対尋問に対し、朝早い取調べ開始時刻は午前一〇時頃であり(七九六丁)、もっと早い時刻の取調べ開始時刻は記憶にない(同丁)し、取調べ終了時刻が深夜に及んだことはない(七九七丁)旨供述している。また、同月一一日の取調時間に関し、午前一〇時半ないし一一時頃から午後九時頃までと供述している(第二二回公判、八〇〇丁)。

3 以上のように、関谷証人の取調時間に関する供述は変遷しており、検察官の主尋問に対しては平均的取調時間を午後一時ないし二時頃から午後六時頃まで一日当り四、五時間と供述していたが、弁護人の反対尋問に対して、平均取調時間を午前一一時頃から午後九時ないし一〇時頃まで一日当り一〇時間ないし一一時間と供述し、右供述が変遷している。したがって、関谷証人は、検察官の主尋問に対する取調時間の供述を弁護人の反対尋問に対する供述によって訂正している。それ故、原判決の取調時間に関する前記認定が誤りであることはきわめて明らかである。この点、前記証拠決定が「被告人を主として取調べた関谷証人は同被告人を国税局の調査室(一坪半か二坪程度の部室)で午前九時ないし一〇時ころから午後九時ないし一〇時ころまで取調べたと述べている」旨認定している(一〇丁裏)。この点、被告人の供述によると、取調時間は午前九時ないし一〇時頃から夜の一〇時ないし一二時に及んでいたが(第一八回公判、六三九丁、被告人の前記陳述書第一一項7)、右供述は後述のように藤本証言および藤本日誌(弁証二七)の記載によっても証明されるのである。

4 このように、一日中継続して長時間取調べを続行したという客観的事実こそ、形式は任意取調べであっても、実質は半強制的な取調べであったことを物語る客観的な証拠である。たとえば、一日の中で数時間の取調時間であった場合に、いつでも退席できる等、実質的な被疑者の任意性が保障されていれば格別、本件の場合のように、一日のうちで一〇時間以上に亘る長時間の取調べが続行されているのに、単なる任意取調べの形式をとったことをもって、その供述が任意にされた疑いがないことの保障とすることはできない。

四、関谷証人の供述が信用できず、取調時間に関する原判決の前記認定が誤りであることは、客観的な証拠である藤本日誌(弁証二七)の記載および藤本証言によっても裏付けられる。すなわち

1 藤本日誌(弁証二七)によると、昭和五三年九月四日(月)の欄は、「早朝六:〇〇国税局―本社」という記載になっている。この記載の意味は藤本証言によると、九月四日は午前六時に立川市内の被告人宅より被告人を乗せて東京国税局まで送り、被告人の取調べの終るまで同所で待ち、同所から再び被告人を乗せて清水建設の本社まで送り、再び右本社から府中市内の被告会社まで戻ってきたことになる。午前六時に立川市内の被告人宅を出発した時間以外、国税局の取調時間は不明である。しかし、午前六時に右被告人宅を出発すれば、早朝の高速道路を通過するので、東京国税局には午前七時ころには到着している。したがって、午前七時過ぎころには取調べを開始したものと推定でき、原判決が午前一〇時三〇分ころから取調べを開始したという認定が誤りである。

翌九月五日(火)の欄は、「本社(土田)」という記載になっている。この記載の意味は、被告会社(府中市内)から土田武夫工事部長を乗せて清水建設の本社まで送り、また右本社から同人を乗せて被告会社まで戻ってきたことになる。この場合、「土田同乗」と記載されていないので、被告人が乗っていないことは明らかである。したがって、九月五日は、社長専用車を使用せず、被告人一人で国税局に出頭し、取調べを受けている可能性がある。

2 また、藤本日誌によると翌九月六日(水)の欄には、「国税局九:三〇―二二:〇〇伊藤外科経由」と記載されている。この記載は藤本証言によると、被告会社から被告人を乗せて午前九時半に東京国税局に到着し、午後一〇時まで同所で待ち、午後一〇時に再び被告人を乗せて国税局を出発し、途中被告人の妻きみ子の入院先である新宿区内の伊藤外科病院に立ち寄って、被告会社まで戻ってきたことになる(藤本証人の第二三回公判の供述、八六五丁、八六六丁)。この日の被告人に対する取調時間は、午前九時半から午後一〇時まで一二時間半である。この日の取調時間によっても原判決の認定が誤りであることは明らかである。この日に被告人は、所謂九月六日付申述書(弁証二八)を提出している。したがって、この日前後に被告人が取調べを受けたのは、法人成り当時の個人資産の評価等についてである。このことは翌九月七日の取調べにおいて、同日付質問てん末書(検乙八)の作成にあたり、被告人が九月六日付申述書を撤回させられていることによっても明らかである。査察官と被告人との間で、法人成り当時における個人資産が三千万円なのか一億円なのかについて見解が対立し、関谷証言にいう議論をしたのはこの頃である。しかし、関谷証言は取調時間についても、客観的な証拠である藤本日誌の記載と異っており、全く信用できないことは明らかである。したがって、関谷証言にある被告人と議論したという供述は信用できず、査察官四、五人ないし五、六人から脅迫的取調べを受けたという被告人の前記供述の方が信用できるのである。

次に、九月七日(木)の欄は、「伊藤外科―本社」という記載になっている。この記載の意味は、被告会社から被告人を乗せて新宿区内の伊藤外科に立ち寄り、清水建設の本社まで行き、再び右本社から被告会社に戻ってきたことになる。しかし、この日、被告人は国税局において取調べを受け、同日付質問てん末書(検乙八)を作成されている。被告人は右質問てん末書において、九月六日付申述書を撤回させられている。この日被告人は社長専用車を帰して、被告人一人で国税局に出頭したものと思われる。右藤本日誌の記載および藤本証言に被告人の供述(前記陳述書第一一項7)を総合すると、少なくとも、被告人は九月四日から七日まで連日に亘り取調べを受けていたことは明らかである。

3 また、藤本日誌の同年一〇月二五日(水)の欄に、「七:〇〇信濃町」(寛同乗)~国税局夜半まで」という記載があり、翌一〇月二六日(木)の欄には、「前夜遅くなったため臨休」という記載がある。藤本証言によると、これらの記載は、右一〇月二五日立川市内の被告人宅から午前七時に被告人と息子の寛を同乗させて、信濃町のマンションに立ち寄り、東京国税局まで被告人を送り、同所にて翌日午前〇時半ころまで待ち、右時刻ころに再び被告人を乗せて府中市内の被告会社まで戻り、それから八王子市内の藤本証人宅に帰宅したのは午前二時ころであった。そのため、帰りの車中で被告人より翌日は臨時に休むように指示を受け、翌二六日藤本証人は臨時休業したものである(右証人の第二三回公判、八六八丁、八六九丁、八八一丁ないし八八三丁)。この日の取調べによって被告人の質問てん末書(検乙一七)が作成されている。立川市内の被告人宅を午前七時に出発すれば、府中市内から高速道路を通り、途中信濃町のマンションに立ち寄ったとしても、東京国税局には一時間ないし一時間半あれば到着することができる。したがって、東京国税局には、午前八時ないし八時半ころには到着していた筈である。被告人は、それから深夜の翌日午前〇時半ころまで東京国税局において、延々一六時間位継続して査察官の取調べを受けていたわけである。この日の取調時間によっても原判決の認定が誤りであることは明らかである。

4 このような長時間に亘る取調べによって作成された質問てん末書の供述記載が任意になされる筈もなく、かつ、特信性のないことも明らかである。肉体的および精神的疲労が大きく、被告人の自由意思に基づく供述や、正常な判断に基づく供述を期待することは無理である。検察官は、土田武夫に対する取調べが深夜に及んだことが一回あることを認めている(前記意見書一三頁)。この点に関し、原判決は、関谷証人を採用して深夜にまで及ぶ取調べを否定しているが、右証言の信用できないこと、したがって、原判決の認定が誤っていることは藤本日誌の右記載および藤本証言によってきわめて明らかである。このような長時間に亘る継続的取調べという客観的事実の前には、「被告人の身柄を拘束しないまま任意で取り調べたものであるうえ、被告人の取調べに当った査察官らは、被告人の疲労等に十分配慮し、主として午前一〇時三〇分ころから午後六時ころまでの間に取り調べ、遅くなったときでも午後一〇時三〇分ころには終了し、連日深夜にわたって取り調べたことはない」旨認定している原判決が、全く誤りであって説得力を欠くものであることは明らかである。

五、しかも、原判決の認定によると、被告人が査察官から取調べを受けた国税局の調室の広さは、わずか三・三平方メートル(一坪)の狭い部室である。検察官も、「たしかに東京国税局査察部の調室は狭く、証拠物や書類を周囲に置くとせいぜい二~三人しか椅子に掛けられないと思われ、周囲がベニヤ板の壁であるため、隣室の声がよく通って快適な環境ではない。」ことを認めている(前記意見書一七頁)。この狭い取調室に机が二つと椅子が置いてある(関谷証人の供述、第二一回公判、七七四丁、被告人の供述、第一八回公判、六三八丁、六三九丁、被告人の陳述書第一一項7)。このような狭い取調室のなかで、一日一二時間ないし一三時間という長時間に亘り継続して取調べを受けたという客観的事実自体、査察官が事実上強制して取調べをしたことを証明するものである。

査察官は、法人成り当時における個人資産が一億円あったという主張を撤回させ、被告人に右個人資産が三千万円であったことに減額させるに際には、関谷査察官一人だけでなく、四、五人ないし五、六人で被告人一人の取調べにあたり、右供述を得るために脅迫的取調べをしている(被告人の供述、第一八回公判、六三九丁、六四〇丁、被告人の前記陳述書第一一項7、第二五回公判、被告人の供述、九二五丁ないし九二九丁、九四八丁)。この点につき、関谷証人は、五、六人の査察官で被告人を取調べたことは否認したが、査察官二人で同時に被告人を取調べたことのあることを認めている(第二一回公判、七五〇丁、七七四丁)。しかし、関谷証人の供述が信用できないことは前述したとおりである。仮りに百歩を譲り、関谷証人の供述するように、査察官二人で被告人一人を取調べたものであるとしても、前述のような、わずか広さ一坪の狭い取調室のなかで一日一二時間ないし一三時間という長時間に亘る継続した取調べを受けたこと自体、事実上強制して取調べを行ったことを物語るものである。

六、次に、原判決は、「被告人は、取調べに総じて協力的であった」ことをもって、脅迫的な取調べの行なわれなかった理由の一つにしている。しかしながら、右認定も明らかに誤りである。なぜなら、被告人が国税局の取調べに全面的に協力していたのは、本件査察直後に、前記第一点、第二点記載の各約束がなされていたためである。ところが、昭和五三年八月頃になって、本件仮名預金等の帰属が問題となり、その原資をめぐって法人成り当時の個人資産の評価が問題となった。そのため、被告人は法人成り当時の個人資産が一億円以上あったことを認めてもらうために、昭和五三年八月二日、鈴木商店時代および法人成り直後頃の被告会社の帳簿、請求書、領収書、契約書、伝票、約束手形等を任意提出し、領置してもらっている(弁証二〇)。その他にも、鈴木商店時代の商品等が写っている写真(弁証二、一八)、作業日誌(弁証三〇、三一)、金銭出納帳(弁証二九)、手張(弁証一)等を持参したが、査察官は調査する意思がなく、右領置物以外は必要ないことを理由に被告人に返還している。査察官は、このような証拠物を時間をかけて精査したうえで、被告人の事情聴取をすれば、法人成り直前の個人資産を明確にできた筈である。ところが、査察官は、このような〓付捜査をやらず(この点は、関谷証言が認めている、第二二回公判、八二四丁、八二五丁)、裏付捜査の手抜きをやり、同年九月初旬頃から、一方的に被告人に対し、前記個人資産が一億円以上あったという主張を撤回させ、個人資産が三千万であったこと、個人資産を法人成りの際全部被告会社に譲渡したことを認めさせるために、脅迫的取調べをしたのである。原判決自体、「被告人が法人成りした当時、被告人の個人資産が如何程あったかについて、関谷査察官と被告人との間で若干議論したことはある」ことを認めている。被告人が査察官から脅迫的な取調べを受けたのは、同年九月初旬頃、法人成り当時の個人資産の評価に関して取調べを受けたときである。したがって、被告人が国税局の取調べに協力していたときとは、その時期が異なる。それ故、原判決が被告人は取調べに総じて協力的であったことをもって、被告人に対する脅迫的な取調べがなかったことの理由と認定したのは誤りである。

七、次に、原判決は、「被告人の取調べに当った査察官らは、被告人の疲労等に十分配慮し」、脅迫的な取調べをした事実がなかった旨認定する。

しかし、このような認定は、関谷証言を鵜飲みにしただけのものであって、次に述べるような客観的事実に反することは明らかであり、何等合理的根拠のあるものではない。なぜなら、法人成り当時における被告人の個人資産の評価を三千万円と認定する客観的な資料の取調べをしていないことは、右取調べを担当した関谷査察官自身が認めているところである(関谷証言、第二二回公判、八二四丁、八二五丁)。関谷証言によると、被告人の個人(鈴木商店)時代にどの程度の金額の取引をやったか、どれ位の収入をあげ、どれ位の利益をえていたかについては、証拠資料に基づく裏付調査をしていないことを認めている。その頃に作成された前記質問てん末書(検乙九)には、法人成り当時、被告人の個人資産は、預貯金が実名、仮名・無記名合せて多くとも四〇〇万円であり、これに現金六〇〇万円を合せても多くとも一、〇〇〇万円ぐらいであり、また、建設機械、部品、資材等は二、〇〇〇万円ぐらいであったと記憶している(問二の答(二)、(三))旨供述記載されている。右供述記載自体、被告人の記憶を記載した形式になっており、収集された資料を基に事実を追求するという態度でなされたものでないことは、関谷証人の前記証言によって明らかであるだけでなく、関谷証人は明白に裏付調査をやらなかったことを認めている(第二二回公判、八二一丁ないし八二三丁)。このような裏付調査をやることは、きわめて面倒であるだけでなく、調査に長時間を要するので、査察官としては右調査を省略する手抜きをやり、被告人の自白だけによって、右個人資産の評価をする必要があった。そのため、国税局側は、何等の裏付調査をやらずに、前記質問てん末書記載の被告人の自白だけによって、右個人資産の評価を三千万円と認定している。前述のように、当時、査察官は、法人成りの際に右個人資産が被告会社に有償譲渡されたと認定していたのであるから、右譲渡代金に相当する右評価額をいくらと認定するかは、最も重要な問題であった筈である。そのため、右捜査当時、法人成りの際における個人資産の評価について、被告人の一億円以上存在したという主張と、査察官の三千万円だけ認めようとする主張とが対立したのである。この点につき、原判決は、「被告会社が法人成りした当時、被告人の個人資産が如何程あったかについて、関谷査察官と被告人との間で若干議論したことがあった」旨認定していることは前述したとおりである(前記第三点第九項、第一〇項)。この点につき、関谷証言は、「第一重機の設立時における個人資産の金額について、多少議論がありました」と供述しており(第二一回公判、七五一丁)、原判決は右証言によって前記のように認定したものと思われる。関谷証人は、更に、「個人資産がいくらあるかということについて」、「意見の対立といいますか、議論がありました」(第二一回公判、七七五丁、第二二回公判、八一三丁)と供述し、「個人資産一億円を認められないが、三千万円を認めろと説得したことはなく、三千万円というのは被告人自身が申立てた金額です」と供述している(第二一回公判、七七六丁)。しかし、関谷証人の右供述は全く信用できない。なぜなら、右三千万円の評価については何等の根拠がなく、これを裏付ける証拠も全く存在しないのである。関谷証言のように、もし、被告人の方から個人資産が三千万円位存在したと申立てても、査察官の方で無条件で鵜飲みにして認めることは絶体にあり得ない筈である。このことは被告人名義で国税局に提出された「申述書」がすべて査察官の起案した下書き(原稿)通りに清書の上、被告人名義で提出されていたことによっても明らかである。関谷証人は否定しているが、前記九月六日付申述書(法人成り当時の個人資産が一億円以上存在した旨のもの)も、関谷査察官が原稿を記載してくれたものであことは被告人が供述するとおりである(第二五回公判、九二四丁)。このことは、検察官が不同意のため証拠提出を撤回した弁証二一号証(申述書原稿)が全部関谷査察官の筆跡であり、同じく弁証二二号証(申述書原稿)が全部丸田忠彦査察官の筆跡であることを、関谷証人自身が自認していることによっても明らかである(第二一回公判、七八〇丁、七八一丁、第二二回公判、八〇七丁ないし八一〇丁)。右の事実からも明らかなように、前記個人資産の評価が三千万円であることは、国税局側から出たものであり(第二五回公判、被告人の供述、九二七丁、第一八回公判、同六四二丁)、査察官は被告人に対し、一億円以上存在したという主張を撤回させて、三千万円であったことを認めさせる必要があったのである。しかも、この三千万円という評価には、全く合理的な根拠はなく、かつ、何等の裏付け証拠もなかったのであるから、査察官は、被告人にこれを認めさせるために、脅迫的な強制による取調べをする必要があり、また、前記第三点記載のような偽計による約束をする必要があったのである。すなわち、査察官は被告人に対し、個人資産の評価が三千万円であったことを認めさせるために、脅したり、すかしたりのあの手、この手を用いたのである。

八、以上の次第であって、原判決は脅迫的な取調べがなかった旨認定したが、その理由がすべて誤りであることが明らかとなった。本件取調べが脅迫的であったか否かは、どのような取調べ方法であったか否かによって認定すべきである。右認定にあたって問題となるのは、(一)取調べ時間、(二)取調べ場所、(三)取調べ査察官の数、(四)取調べ方法などである。更に重要なことは(五)右取調べによって作成された質問てん末書の供述記載の内容である。客観的事実に反する記載がなぜなされたか、を検討すれば、脅迫的な取調べが行なわれたか否かは自から明らかである。

1 まず、取調べ時間が一日一二時間ないし一三時間の長時間に亘り継続して行なわれ、かつ、早朝から深夜にまで及んだことがあることは前記第三項、第四項において述べたとおりであり、これには藤本日誌(弁証二七)の記載および藤本証言によって客観的事実が認定でき、原判決の認定が誤りであることは明らかである。

2 次に、国税局の取調室がわずか一坪の狭い部屋であることは原判決も認定している(四丁裏)とおりである。関谷証言によると、その狭い部屋に机が二つ置いてある(第一八回公判、被告人の供述、六三八丁、六三九丁、被告人の陳述書第一一項7参照)。また、右取調べ室は、「周囲がベニヤ板の壁であるため、隣室の声がよく通って快適な環境ではない」ことは検察官も認めるとおりである(前記意見書一七頁)(前記第五項参照)。

3 このような狭い取調べ室において、前記第三項、第四項記載のように長時間に亘り継続して、査察官が同時に四、五人ないし五、六人入ってきて被告人を脅かしたり、どなったり、または、机をたたいてどなりつけたり等して取調べを行なっている。この点に関する被告人の供述は具体的であり、かつ、明白である(第一八回公判、被告人の供述、六三九丁ないし六四二丁、被告人の前記陳述書第一一項7、8、第二五回公判、被告人の供述、九二四丁ないし九二九丁)。主として被告人をどなったり、脅かしたりしたのは、太田栄一査察官である。太田栄一査察官は頭を坊主刈りにしていたため被告人の記憶に明確に残っている。一度に二、三人宛で被告人を脅迫している。太田栄一査察官などは被告人に対し、「国賊」とか「税金泥棒」などとどなっている。また、査察官たちは被告人に身分証明書を示して、口口に「俺達は国家権力を背負っているのだ。やりたいことでできないことはない」等とすごんでみせたのである。被告人はこの状況を、「やくざ映画を地でいっているような状況でございましたから私も観念しました」と供述している(第二五回公判、九二九丁、九四八丁)。査察官たちは取調べの際に、脅かし役となだめ役との分担を決めている。このように、脅かして取調べをすることを、査察官たちの間では「タタキ」と呼んでいる。総括主査の田中清隆と担当の関谷隆の両査察官は専らなだめ役であって、直接の担当でない査察官たちが脅かし役で被告人を脅迫したのである。

4 そのほか、査察官たちは被告人に対し、いずれも押収した証拠資料である被告会社の簿外交際費の禀議書および被告人の手帳を示して、本件仮名預金等が被告会社の所有に帰属することを認めなければ、これらの禀議書や手帳に記載されている清水建設の関係者を片っぱしから呼出して徹底的に取調べるが、それでもよいか、等と脅かしている。この禀議書や手帳には、いつ清水建設のだれとゴルフをしたとか、いつ清水建設のだれと飲食したかとか、いくら支出した、ということが具体的に記載されている。この点は関谷証言も認めていることである(第二一回公判、七八四丁、七八五丁、第二二回公判、八五四丁)。前述のように、被告人は清水建設の関係者の取調べだけは絶体にさけたいと考えていたのであるから、査察官からこのように脅かされては、査察官のいうままに自供する以外に方法がなかったのである(被告人の供述、第一八回公判、六三七丁ないし六四二丁、被告人の前記陳述書第一一項8、第二五回公判、被告人の供述、九二七丁ないし九二九丁)。このような脅迫的取調べを受けたのは被告人一人だけではなく、息子の鈴木寛も同様の脅迫的取調べを受けている(証人鈴木寛の第六回公判の供述、一二二丁、一二三丁)。被告人が清水建設の関係者が取調べられることを極度におそれていたことは、査察官も十分承知していたため、前記第一点記載のような約束をしたのである。そのため、査察官は取調べの際に被告人のこのような弱点を利用し、脅迫的な取調べをして、本件仮名預金等が被告会社の所有に帰属することを認める趣旨の前記質問てん末書を作成したのである。

5 なぜ、査察官たちは被告人に対し、このような脅迫的な取調べを行なったのか、というと、法人成り当時、被告人の個人資産の評価が三千万円であったこと、法人成りの際、右個人資産を全部被告会社に譲渡したこと、したがって、本件仮名預金等が被告人の個人資産でなく被告会社の資産であること、等を認めさせるためである。一般の査察事件においては、仮名・無記名預金の帰属については、当事者から事情聴取するのはもちろんであるが、それにもまして、証拠物に基づいて客観的な裏付捜査を行なうのである。このような客観的な裏付捜査をすることによって、当事者の供述が事実に合致するかどうかが証明されるわけである。したがって、仮りに被告人が本件仮名預金等がすべて被告会社に帰属することを認めた場合であっても、その供述が真実であるかどうかの裏付捜査をやる必要があり、このような裏付捜査をやるのが一般である(憲法第三八条第三項)。被告人は、前記第六項で前述したように、法人成りの際に、個人資産が一億円以上存在したことを理解して貰うために、証拠資料を持参し、その一部を領置してもらったが、査察官たちは、調査する意思がなく、領置物以外は必要ないことを理由に被告人に返還している。このような証拠資料を時間をかけて精査したうえ、被告人より事情聴取をすれば、法人成り当時の被告人の個人資産の評価を明確にすることができた筈である。ところが、査察官たちはこのような裏付捜査を全くやっていない。被告人は、前記第一点および第二点記載のような約束が査察官との間にできていたために、査察官のいうままに取調べに応じ、査察官のいうことを肯定してきたため、査察官は、被告人の弱点を十分に承知していた。査察官は、前記第一点において詳述したように、被告人が清水建設の関係者を取調べられることを極度におそれていたことを十分に承知していた。そのため、査察官は、被告人のこの弱点を利用して、被告人に対し心理的な圧力を加え、被告人に個人資産が三千万円であったことを認めさせたり、法人成りと同時に個人資産全部を被告会社に譲渡したことを認めさせ、あるいは、本件仮名預金等がすべて被告会社の所有に帰属することを認める趣旨の前記質問てん末書を作成したのである。これは個人資産の評価や本件仮名預金等の帰属の認定が、証拠資料を精査して認定することがきわめて困難であったためと推測される。鈴木商店時代から約二〇年間に及ぶ預金の増加を逐一裏付捜査することはきわめて大きな労力を必要とするだけでなく、法人成り当時の預金額を確定できなければ不可能である。そのため、これらの裏付捜査を省略して手間を省くために、被告人の自白にたよったのである。その証拠に、これらの裏付捜査は全く行なわれていない。

6 また、この点に関する質問てん末書の供述記載内容自体からも、裏付捜査を行なっていないことは容易に判明するのである。この点の詳細については、後記第五点の第五項1ないし7において述べるとおりである。

九、そのほか、査察官は、昭和五三年八月初旬頃、被告人に対し従業員の水増人件費の問題を捜査した際にも、脅迫的な取調べをしている(被告人の前記陳述書第二三項、第二五回公判、被告人の供述、九二八丁、九二八丁、九四八丁)。右のような脅迫的な取調べの結果、同月八日付質問てん末書(検乙七)が作成されている。

すなわち、被告人は、最初、寛、茂樹、良子(結婚後は大杉喬)等の家族従業員には、現実に給料および賞与を支払っており、水増しではない、その証拠に、これら家族従業員の実名の預貯金等が増加していること、寛は毎月結婚の際購入した住居の月賦返済をしていること等の説明をしたところ、査察官は、その支払は親子の関係でくれてやった(贈与した)ものである旨主張し、右主張を認めさせるために、前述したと全く同じような方法で脅迫的な取調べを行なっている。

一〇、以上述べたとおり、前記質問てん末書を作成するについて、査察官が被告人に対し脅迫的な取調べを行なったことは、取調べ時間、取調べ場所、取調べ査察官の数、取調べ方法、前記質問てん末書の供述記載の内容、脅迫的取調べをする必要性、関谷証言の信用できないこと等から明らかであって、前記質問てん末書は憲法第三八条第二項、刑訴法第三一九条第一項に違反し、任意性に疑いがあり証拠能力を有しないことが明らかである。しかるに、原判決は、証拠能力がない前記質問てん末書およびその影響下に作成された検面調書を、証拠能力を有するものとして採用し、これに基づいて事実を認定した第一審判決を是認したものであるから違法であり、右違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄されるべきである。

第五点 原判決には、憲法第三一条、刑事訴訟法第三二二条第一項に違反して、証拠能力がない質問てん末書およびその影響下に作成された検面調書を採用して事実を認定している第一審判決を是認した違法があり、右違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄されるべきである。

一、昭和五三年九月一一日および同月一六日付で作成された被告人の査察官に対する質問てん末書各四通(合計八通)は、いずれもその日に被告人に質問し、被告人から応答のあったところを録取したものではなく、関谷査察官が課税技術上、あるいは、告発所得計算上の便宜にために、予め一方的に作成しておいたものを、当日被告人に読み聞かせたり、黙読させたりしただけで、被告人に署名押印させたものであって、被告人の供述を録取したものではないから刑事訴訟法第三二二条第一項に違反し、ひいては法律の適法な手続を保障した憲法第三一条に違反し、違法に収集した供述証拠として証拠能力を有しないものである。右八通のうち、第一審において六通(検乙九ないし一四)が証拠採用されている。

査察官は、被告人に対し、前記第三点記載の偽計による約束をしたり、あるいは、前記第四点記載の脅迫的取調べをすることによって、前記目的のためこれらの質問てん末書を予め一方的に作成しておいて、被告人には単に読み聞かせや黙読をさせたうえ、署名押印だけをさせたものである。また、被告人は、これらの質問てん末書の署名押印にあたり、あまりにも内容が事実と異るので、査察官に対しその記載内容が事実と違うと異議を申立てると、査察官は、この通りでいいんだ、結論に影響はないんだ、といって取り上げてくれず、残土処分代とか、人工代の水増計上など、被告人に一言も説明しないのに、査察官が推測に基づいて、課税技術上、あるいは、告発所得計算上の便宜のために、辻褄合わせのため一方的に記載した前記質問てん末書に署名押印させたものである(被告人の前記陳述書第一一項5、第二三項)。したがって、前記質問てん末書は、いずれも供述録取書の実体を有しないものであって、証拠能力がないものである。

二、しかるに、原判決は、前記九月一一日および同月一六日付の質問てん末書を作成した事実を認定したうえで、「それらをいずれもその都度被告人の面前で作成したことはもとより、右質問てん末書を読み聞かせ、あるいは被告人自身に閲読させて、その記載内容に誤りがないか否かを確認し、被告人から訂正があった部分については、その旨を付加訂正して作成したものであって、被告人は、右質問てん末書の記載内容に誤りがないことを認めて署名し、かつ、押印ないし指印をしている。」(四丁表)旨認定し、また、前述のように(前記第三点)、「被告会社が法人成りした当時、被告人の個人資産が如何程あったかについて、関谷査察官と被告人との間で若干議論したことはあるが、しかし、被告人は、査察官から示された関係資料等を検討した結果、従前の主張に誤りがあることに気付き、結局三〇〇〇万円位の個人資産があったことを認めるに至った」(五丁)旨認定し、前同様に、「原審で取調べた被告人の収税官吏に対する質問てん末書一四通及び検察官に対する供述調書一通は、所論が指摘するような約束や経過で作成されたものと認め難く、むしろ被告人が任意に供述したものを録取して作成されたものと認めるのが相当である。」と判示し、右各調書に証拠能力を認めている。

しかし、原判決の右認定は、明らかに誤りがある。原判決は、前同様に、関谷証言を鵜飲みにして右のような認定をしているが、関谷証言が信用できず、客観的な証拠資料に反していることは再三前述したとおりである。原判決は、これらの客観的な証拠を無視し、全く形式的な理由によって前記質問てん末書の証拠能力を認めているのであり、事案の真相を正しく理解していないものであって、弁護人としては誠に遺憾に耐えないところである。そこで以下に原判決の右認定が誤りである理由を明らかにする。

三、成程、前記質問てん末書の一応の形式は、他の質問てん末書と同様である。しかし、前記質問てん末書の「形式」に徴すると、被告人に対する他の各質問てん末書と同様に、いずれも査察官が「関係資料等」を基に被告人に質問し、被告人が査察官から示された「関係資料等」を検討した結果応答して供述したところを録取した、とは到底看取できない。このことは次のことからも明らかである。

1 右九月一一日付質問てん末書(検乙九)の記載内容は、法人成り直前の昭和三五年一〇月一七日現在の被告人個人資産の額および法人成り時の個人資産を被告会社に譲渡したことの二点について質問し、これに対する被告人の応答を記載した形式になっている。被告人が法人成り当時、被告人の個人資産が三千万円であることを認めたのは、この質問てん末書においてである。右質問に際し、査察官が右個人資産が三千万円であったことを証する「関係資料等」を基に質問したとか、被告人に示した旨の記載は全くない。

2 次に、同日付質問てん末書(検乙一〇)の記載内容は、昭和四九年九月末現在の本件仮名預金等の額、右預金等の資金源、残土処分代、水増人工代、右預金等の帰属および右預金等を本件仮名預金等にした理由等について質問し、これに対する被告人の応答を記載した形式になっている。右質問に際し、査察官が「関係資料等」を基に質問したとか、被告人に示した旨の記載はこれまた全くない。

3 次に、同日付質問てん末書(検乙一一)の記載内容は、自昭和四九年至同五二年の各九月末現在の簿外預金等の有無、右期間中における預金等の増加の有無、および、簿外預金等をした理由、並びに、預金メモ(検甲二の四四、九四)の確認について質問し、これに対する被告人の応答を記載した形式になっている。右質問に際し、査察官が「関係資料等」を基に質問したのは、右預金メモに関する「問五」の部分だけである。

4 次に、前記九月一六日付質問てん末書(検乙一二)の記載内容は、同年五月一九日付質問てん末書(検乙五)を読み聞かせて、水増工事代金(有限会社北立土木関係)額に誤りがあるかどうかを質問し、これに対する被告人の応答を記載した形式になっている。右質問に際し、査察官が右質問てん末書(検乙五)以外に、「関係資料等」を基に質問したとか、被告人に示した旨の記載は全くない。

5 次に、同日付質問てん末書(検乙一三)の記載内容は、水増工事代金(北立土木関係)について質問し、これに対する被告人の応答を記載した形式になっている。右質問に際し、査察官が「関係資料等」を基に質問したとか、被告人に示した旨の記載は全くない。右検乙一二と検乙一三には、北立土木の水増工事代金関係の同一項目に関する応答が記載されており、項目別に分けて作成したものでないだけでなく、右両応答を比較すると、同一日に応答のあったものを記載したものとは応答の形式から理解できないことは後記第四項6で述べるとおりである。

6 次に、同日質問てん末書(検乙一四)の記載内容は、水増給料および水増賞与並びに雑収入について質問し、これに対する被告人の応答を記載した形式になっている。右質問に際し、査察官は大杉喬作成の申述書一綴および被告人の差押えられた手帳二冊を示している旨の記載があるだけである。

7 以上の次第であって、前記質問てん末書六通(検乙九ないし一四)のうち、査察官が被告人に対し「関係資料等」を示して質問した形式になっているのは、検乙一一の預金メモに関する「問五」の部分と、検乙一四の水増給料および賞与、雑収入に関する大杉喬作成の申述書および被告人の差押えられた手帳二冊の、わずか二個所だけである。その他の大部分の質問てん末書の作成にあたり、いずれも査察官は「関係資料等」を基に被告人に質問したものでもなく、また、これに被告人が応答して供述したものを録取したものでないことは前記各質問てん末書の記載形式から明らかである。したがって、原判決の前記認定は誤りである。なお、この点については前記第三点において詳述したとおりである。

四、次に、前記質問てん末書が作成された昭和五三年九月一一日および同月一六日に、査察官が被告人に質問し、被告人から応答のあった供述を録取して、前記各質問てん末書四通宛を作成することは、その日の各取調べ時間からして物理的に不可能であるという客観的事実がある。

これに対し、原判決は、前記のように、「それら(前記質問てん末書)をいずれもその都度被告人の面前で作成したことはもとより、右各質問てん末書を読み聞かせ、あるいは被告人自身に閲読させて、その記載内容に誤りがないか否かを確認し、被告人から訂正の申立があった部分については、その旨付加訂正して作成したものであって、被告人は右質問てん末書の記載内容に誤りがないことを認めて署名し、かつ押印ないし指印をしている。」旨認定している。

原判決の右認定は、客観的事実を全く無視した暴論であって、弁護人は絶体に承服できない。原判決は、関谷証人の証言を信用できるという誤った前提に立って、右証言を鵜飲みにした判断をしているが、関谷証人の証言は、客観的事実に反し、到底信用できるものではない。以下この点を明らかにする。

1 関谷証人の証言が信用できないことは、藤本日誌(弁証二七)の記載および藤本証人の証言によってきわめて明白である。

前記質問てん末書(検乙九ないし一一)を含む四通の質問てん末書が第一回目に作成された昭和五三年九月一一日の藤本日誌の欄には、「国税局一〇:〇〇~一二:〇〇(方南町経由)」と記載されている。この記載の意味は、藤本証言によると、被告人を社長専用車に乗せて午前一〇時に東京国税局に到着し、同日正午に再び被告人を乗せて右国税局を出発し、方南町を経由して被告会社の府中営業所まで帰ってきたということである(藤本証言、第二三回公判、八六七丁、八七四丁、八七五丁)。

また、第二回目の前記質問てん末書四通(検乙一二ないし一四を含む)が作成された同月一六日の藤本日誌の欄には、「国税局一三:〇〇~一九:〇〇」と記載されている。この記載の意味は、藤本証言によると、社長専用車に被告人を乗せて午後一時に東京国税局に到着し、午後七時に被告人を乗せて再び右国税局を出発し、被告会社の府中営業所まで帰ってきたということである(藤本証言、第二三回公判、八六七丁、八七四丁、八七五丁)。

藤本日誌の記載および藤本証人の証言によると、被告人が国税局にいた時間は、右九月一一日午前一〇時から正午までのわずか二時間足らずであり、右九月一六日は午後一時から午後七時までの六時間足らずである。このような短時間内に前記各四通宛の質問てん末書を作成することは、時間的に不可能である。仮りに、百歩を譲り前記認定のように、「右各質問てん末書を読み聞かせあるいは被告人自身に閲読させて」、「被告人が右質問てん末書の記載内容に誤りがないことを認めて署名し、かつ、押印ないし指印をしている」というのであっても、わずか二時間では前記四通の質問てん末書をまとめあげて記載することは物理的に不可能である。これが十分に可能であることを前提とする原判決の前記認定は、人間業ではなく神業を対象とする非常識な判断との誹りを免れない。また、六時間足らずでは、前記四通の質問てん末書をたんに記載するだけで時間的に精一杯であって、原判決の前記認定のように、「いずれもその都度被告人の面前で作成したことはもとより」、右各質問てん末書を読み聞かせ、あるいは、被告人自身に閲読させて、「その記載内容に誤りがないか否かを確認し、被告人から訂正の申立てがあった部分については、その旨を付加訂正して作成した」ことなど、これまた時間的に不可能である。

2 右の点につき、関谷証言によると、前記質問てん末書の作成に要した時間であるが、右九月一一日付の四通は、大体午前一一時ころから夜九時ないし一〇時までの一〇時間前後であり、右九月一六日付の四通も同じ位の時間であると思うが記憶にない旨供述している(第二一回公判、七七一丁ないし七七三丁、第二二回公判、七九四丁ないし八〇〇丁)。ただし、関谷証言は、右九月一六日の取調べ時間は、午後一時ころから夜九時ころだったように記憶している旨、供述を変更している。

また、関谷証言は、右九月一一日および一六日の各前日に、四通宛の質問てん末書を作成しておいて、右一一日および一六日に被告人に署名押印だけをさせたこともなく、署名押印後に東京国税局の建物の一階にあるコーヒー店において、田中清隆および関谷隆の両査察官、被告人の三人でコーヒーを飲みながら雑談したこともない、旨否定している(第二一回公判、七七二丁、七七三丁、第二二回公判、七九七丁ないし七九九丁)。

3 しかし、関谷証人の右証言が誤りであることは、前記1記載のように、藤本日誌の記載および藤本証人の前記証言と対比すれば、きわめて明らかである。関谷証人自身、取調べ当日被告人に質問して被告人の応答を記載した質問てん末書四通を作成することが、二時間では不可能なことを認めている(第二二回公判、七九八丁、七九九丁)。

そのため、関谷証人は、右九月一一日および同月一六日に、いずれも被告人に質問し、被告人との応答をその日に録取して質問てん末書四通宛を作成するのに、「時間的に可能な範囲を想定」して、前記2記載のように、午前一一時ころから午後九時ないし一〇時ころまでという約一〇時間前後の取調べ時間を供述している。しかし、関谷証人の右証言は、一日に四通宛の質問てん末書を作成する取調べ時間としては、時間的に矛盾はないが、前記1記載の藤本日誌の記載および藤本証人の証言に照して、客観的事実に反することは明らかであって、信用できない。

4 また、関谷証人の証言が信用できないことは、次の供述によっても明白である。

(一) すなわち、まず検察官の問に対し関谷証人は、取調べ開始時刻で最も早い時間は午前一一時ころからであり、最も多い開始時刻は午後一時ないし二時頃からである、また、取調べ終了時間は午後六時頃だと記憶している、また、取調べ終了時間が午後一二時とか午前一時まで及んだことはない、旨供述している(第二一回公判、七五〇丁)。関谷証言によると、通常の取調べ時間は、一日四、五時間、多いときでも七時間前後ということになり、取調べが深夜にまで及ぶことはないことになる。

(二) ところが、弁護人の問に対し関谷証人は、取調べ開始時刻は、朝早くとも午前一〇時ころからではなかったかと思う、もっと早くから取調べた記憶はなく、取調べの終了が深夜まで及んだことはない、旨供述している(第二二回公判、七九六丁、七九七丁)。

(三) 更に、前記質問てん末書四通を作成した日の取調べ時間につき、関谷証人は、右九月一一日および同月一六日付の各四通は、大体午前一一時ころから夜九時ないし一〇時までの一〇時間前後であると思うが記憶にない、旨供述している(第二一回公判、七七一丁ないし七七三丁、第二二回公判、七九四丁ないし八〇〇丁)。

(四) 関谷証人は、最初、検察官の問に対して、通常の取調べ時間は午後一時ないし二時ころから午後六時ころまで一日四、五時間と供述していながら、右九月一一日および九月一六日の両日の取調べ時間は記憶にないと供述する一方、「大体午前一一時ころから夜九時ないし一〇時まで一〇時間前後であると思う」と供述し、通常の取調べ時間の約二倍の取調べを要した旨供述している。関谷証人がこのような変遷する供述をしているのは、質問てん末書四通宛を作成するのに時間的に可能な範囲を想定したためである。すなわち、関谷証人は前記質問てん末書四通を二時間ないし六時間の取調べ時間で作成することが不可能であることを十分承知しているために、通常の取調べ時間として供述した四、五時間の約二倍にあたる一〇時間ないし一一時間と供述している。

(五) しかし、関谷証人の右証言が信用できないことは、藤本日誌の記載および藤本証人の証言によって明らかである。被告人が早朝から深夜にまで及ぶ脅迫的取調べを受けていたことは、前記第四点の第三項、第四項において述べたとおりである。

5 以上のように、関谷証人の証言は、証言の都度取調べ時間が変遷しているだけでなく、客観的な証拠である藤本日誌の記載および藤本証人の証言と矛盾し、到底信用できないことが明らかである。しかるに、原判決が関谷証言を採用し、前記質問てん末書が被告人の供述を録取して作成された旨認定し、藤本日誌(弁証二七)および藤本証言を排斥したのは明らかに誤りである。

6 なお、関谷証人は、数通の質問てん末書を一日で作成したのは項目別に分けたためである、旨供述している(第二一回公判、七五四丁)。しかし、右供述は不自然であって到底信用できない。なぜなら、同一日に同一人の供述調書を数通作成することは異例であって、実務においては一般に行なわれていない。一通のなかに項目を分けて供述を記載すれば十分であって、数通に分ける特別の必要性ないし理由は全くないためである。のみならず、質問および応答としての供述の対象はそれぞれ異るのであるから、同一内容の供述を重複して記載した質問てん末書を作成することはあり得ないから、関谷証人の供述するように、項目別に分けて別個の質問てん末書を作成する理由は全く存在しない。項目別に分けて数通作成するのはたんなる時間と労力の無駄である。右各四通の質問てん末書に記載されている供述の内容および範囲が広範囲に亘っており、同一日に質問し、その応答として被告人の供述したものをまとめて記載したとは到底解することは不可能であり、関谷証人の右供述は不自然であり、到底信用できない。

右質問てん末書が同日に作成されたものでないことは、次の供述記載によってもきわめて明らかである。

すなわち、前記九月一六日付質問てん末書四通のうち、検乙一二および検乙一三の二通の記載内容は、前述のように(前記第三項4、5)、北立土木の水増工事代金についての問答である。関谷証人は、数通の質問てん末書を一日で作成した理由を項目別に分けるためと供述しているが、検乙一二および検乙一三の二通の項目はいずれも北立土木の水増工事代金に関するものであるから、二通の質問てん末書に分けて記載する必要性は全くなかったことになる。この点が関谷証人の右供述を信用できない第一点である。次に、関谷証人の右供述が信用できない第二点は、右両質問てん末書の左記供述記載内容を対比すると、該供述記載内容から同一日に供述したものでないことが明確に看取できるのである。

(一) 「また、私はそのうら金を直接受取っていないと申しましたが、あとでよく思い出してみたところ、確かに私がうけとっていたことに気がついたのです。金銭の授受について少しルーズなところがあったので、私自身が受取ったことを忘れていたのです。申しわけありませんでした。」(検乙一二の問二の答)

(二) 「うら金は(有)北立土木の佐野社長から土田や大杉良子を通じてすべて現金で受取り妻のきみ子に渡しました。現金は袋に入れてあり、一、〇〇〇、〇〇〇円単位のものは銀行の帯付がついていました。その銀行の名前は記憶していません。」(検乙一三の問二の答)

もし、関谷証人の供述するように、右(一)、(二)の両供述記載が同一日の問答によるものであるとすれば、右(一)、(二)記載のような供述内容にはならない筈である。右(一)、(二)の供述記載は同一日ではなく、異る日に別個に記載されたものであることは、右供述記載を対比すればきわめて明らかである。

五、次に前記質問てん末書の供述記載が右質問てん末書の「形式」だけでなく、「内容」からも、査察官が被告人に対する質問およびこれに対する応答を録取して作成したものでなく、課税技術上、あるいは、告発所得計算上の便宜のために、辻褄を合わせるために、一方的に作成したものであることは明白である。以下この点を明らかにする。

1 前記各質問てん末書(検乙九ないし一四)の記載内容を形式上からみても、前記が右各質問てん末書の作成にあたり、「関係資料等」を基に被告人に質問したとか、あるいは、被告人が「関係資料等」を検討したうえで応答した旨の記載はほとんど存在しないことは前述したとおりである(前記第三項1ないし7)。

2 次に、「内容」についてであるが、右九月一一日付質問てん末書(検乙九)には、法人成り直前の個人資産が現金六〇〇万円、預貯金四〇〇万円の計一、〇〇〇万円、建設機械、部品、資材等二、〇〇〇万円の合計三、〇〇〇万円存在した旨の供述記載がある。関谷査察官は、なにを根拠に法人成り直前の被告人の個人資産を三千万円と認定したのか。法人成り当時の被告人の個人資産の評価について、国税局はなんらの裏付捜査もやっていない。裏付捜査をやっていないことは関谷証人自身認めているばかりでなく、検察官からもこの点に関する証拠は全く提出されていない。したがって、法人成り当時の被告人の個人資産の評価が三千万円である、旨の右質問てん末書の供述記載は客観的にも全く根拠がない。原判決は、なにを根拠に、「被告人は、査察官から示された関係資料等を検討した結果、従前の主張に誤りがあることに気付き、結局三〇〇〇万円位の個人財産があったことを認めるに至った」等と認定したのか、その根拠を具体的に明示してもらいたいものである。原判決の右認定が誤りであることは、右に述べたことによってもきわめて明らかである(前記第三点)。本件捜査当時、被告人の個人資産の評価が問題となったのは、法人成りの際、被告会社への「有償譲渡」(売買)が前提となっていたことは前述したとおりである。ところが、原判決は、他方において、前記質問てん末書の三千万円の対価による有償譲渡の供述記載を無視して、前記質問てん末書の供述記載とは全く異る「無償譲渡」を認定している。このことは、原判決自体、前記質問てん末書の供述記載自体、客観性に欠けるとみていた証拠である。

3 第二に、右質問てん末書(検乙九)には、被告人は、法人成りの際、現金、預金を含めた個人資産全部を被告会社に譲渡した旨の供述記載がある。しかし、この点についても、関係資料等は全く存在しない。その証拠に、検察官から、法人成りの際に、被告人が個人資産全部を被告人に譲渡した、ことを立証する証拠資料は全く提出されていない。右供述記載以外、個人資産の譲渡を証明する客観的な資料等は一切存在しない。後記第六点記載のように、被告人は、法人成りの際に、個人資産全部を被告会社に譲渡したことはないから、譲渡していないことを証明する証拠資料は存在する(後記6)が、譲渡したことを証明する証拠資料が存在しないのは当然のことである。右質問てん末書(検乙九)の「問四」に対する「答」欄に、「私(被告人)個人から第一重機へ個人資産のすべてを引継ぎ譲渡したわけですが、これらに関する契約書等一切ありません。作成しませんでしたから。」という供述記載があり、右譲渡を証明する証拠資料等が存在しないことは、右供述記載によっても明白である。

この点につき、原判決は、「被告人は、その所有に係る建設機械等のたな卸資産は勿論、預貯金及び現金等をも含めた一切の営業用資産を被告会社設立と同時に被告会社に無償で譲渡したことが認められ、したがって、これから転化したと認められる本件仮名預金等も被告会社に帰属するものというべきである。」(九丁裏)と判示し、「無償譲渡」を認定している。しかし、右質問てん末書には、有償譲渡の供述記載はあるが、無償譲渡の供述記載は全く存在しない。原判決は、有償譲渡という供述記載自体を不自然、かつ不合理と判断したため、右質問てん末書供述証拠に基づかずに無償譲渡を認定している。

4 第三に、右質問てん末書(検乙九)によると、被告人は法人成りのとき「現金、預貯金を含めた個人資産全部」を被告会社に譲渡した旨供述記載されている。しかし、一般には、法人成りの際に、個人所有の現金、預貯金を会社に譲渡するという会計処理は行なっていない。法人成りの際、個人が会社に現金、預貯金等を支出する方法は、一般には、金銭出資による株式の払込を除けば、「貸付」である(法人成りの経理と税務、牟田口実、中央経済社、一七二頁)。この点は関谷証言も認めるところである(第二二回公判、八二八丁)。

被告会社が法人成りした際には、顧問税理士がおり、顧問税理士であった飯島税理士が設立手続や設立後の被告会社の会計処理を行っていた(第二二回公判、関谷証言、八三三丁、第二五回公判、被告人の供述、九二三丁)。したがって、右供述記載のように、現金、預貯金を被告会社に譲渡したのであれば、飯島税理士が被告会社の帳簿類にその旨の記載をしている筈である(同九二三丁)が、設立直後の被告会社の帳簿類には現金、預貯金の譲渡を証明する記載は全く存在しない。査察官が押収した証拠資料や領置した証拠資料(弁証二〇)の中にも、被告人が被告会社設立の際に現金、預貯金を被告会社に譲渡したことを証明するものはなんら存在しない。反対に、後記6記載のように、法人成り直後に被告人が被告会社に繰り返し金銭を貸付けたり、機械部品を売却しており、その合計額は約四〇〇万円に達している。もし、右供述記載のように、法人成りの際に、被告人が現金、預貯金を含む個人資産全部を被告会社に譲渡していたのであれば、その後に繰り返し合計四〇〇万円の金銭を被告会社に貸付けたりすることは不可能である。この点でも、原判決が無償譲渡と認定したのは誤りである。

このように右供述記載は客観的証拠と矛盾する。この点、関谷証言によっても、被告人が右供述記載のように供述したからというだけのことであって、なんらの裏付捜査をしていないことを認めている(第二二回公判、八二六丁、八二七丁)。関谷証言によると、被告人の供述を鵜飲みにしたということである。原判決はこの点につき、「預貯金及び現金等をも含めた一切の営業用資産を被告会社設立と同時に無償で譲渡した」旨認定している。すなわち、原判決は、「現金、預貯金を含めた個人資産全部」という右供述記載を採用せず、個人資産のうちの営業用資産という限定的認定をしている。この点でも右供述記載は非常識かつ不合理であることが明白である。それでは、なぜ法人成りの際に現金、預貯金を含む個人資産全部を譲渡した旨の供述記載となったのであろうか。答は簡単である。これは査察官が課税技術上、あるいは、告発所得計算上の便宜のために、非常識かつ不合理な供述記載を一方的に行ったものである。すなわち、これは法人成りの際に現金、預貯金を含めた個人資産全部を譲渡したことにしないと、本件仮名預金等の中に被告人個人所有のものが含まれることになり、その特定が不可能となり、国税局に都合が悪いため、査察官は、「現金、預貯金を含めて全部譲渡した」、というきわめて非常識かつ不合理な供述記載をしたのである。したがって、このような質問てん末書の供述記載内容自体、非常識かつ不合理である。

5 第四に、右質問てん末書(検乙九)の供述記載内容自体が非常識かつ不合理である典型は、現金、預貯金を含めて「全部譲渡」した旨の記載である。被告人が法人成りの際に、仮りに、現金、預貯金を被告会社に譲渡したことがあったとしても、常識的に考えても、全部譲渡することなど絶体にあり得ない、ことは何人も首肯するところである。被告人としても、個人の生活があるから生活費も必要であり、かつ、病気、子供の入学、結婚等による不時の出費や将来の支出に備えるため、現金、預貯金を必要とするから、現金、預貯金を全部譲渡することなど常識的に考えても絶対にあり得ない。したがって、この供述記載内容自体、非常識かつ不合理である。このことは、右質問てん末書(検乙九)の「問六」に対する「答」として「私(被告人)個人等個人名義の土地、建物、それに家具等家庭用資産以外のものを全部引継ぎました」と供述記載されていることによっても明らかである。すなわち、被告人所有の個人資産のうち、個人生活に必要な家庭用資産を除外した旨の供述記載がある。現金、預貯金についても、家具等の家庭用資産と全く同じような除外理由がある筈である。また、右供述記載によると、被告人個人名義の土地、建物は家具等家庭用資産と同様に、引継対象資産から除外されているが、被告人の個人資産のうちでも、営業用資産である府中営業所の土地建物は被告会社に引継がれた(ただし、譲渡したのではなく賃貸である)が、被告人ら家族が居住している立川市内の自宅は被告会社に引継いでいない。したがって、被告人個人名義の土地建物を引継対象資産から除外した旨の右供述記載自体誤りであるし、また、現金、預貯金を含めて全部譲渡した旨の供述記載自体も誤りである。そのためか、原判決は、右質問てん末書のこれら供述記載が誤りであることを前提に、「被告人は、被告会社設立と同時に、個人所有にかかる建設機械、部品、資材、スクラップ等のたな卸資産のみならず、預貯金、現金等を含めたすべての営業用資産を被告会社に無償譲渡し、土地、建物を除いては被告人の個人所有として留保したものはない。」(一〇丁裏)旨認定している。すなわち、原判決の右認定は、右質問てん末書の供述記載とは異なり、「預貯金、現金等を含めたすべての営業用資産」と認定し、「個人資産」のうちの「営業用資産」という限定をしている。すなわち、原判決の右認定によると、被告人の個人資産であっても「営業用資産」でないものは、現金、預貯金であっても譲渡の目的物から除外したという趣旨である。したがって、原判決自体、右質問てん末書の供述記載自体が非常識かつ不合理であることを認めている。

6 第五に、もし、前記質問てん末書(検乙九)の供述記載のように、法人成りのときに、被告人が機械類の商品や現金、預貯金を全部被告会社に譲渡したのであれば、被告人は機械部品や現金、預貯金を所有していない筈であるから、被告会社に売却したり、貸付たりすることはできないわけである。ところが、査察官が領置した証拠物(弁証二〇)の中に存する被告会社の設立直後における帳簿(弁証三三ないし三七)によると、被告人は、被告会社に対し設立直後から繰り返し次のように機械部品を売却したり、あるいは、金銭を貸付けたりしている。その合計は約四〇〇万円である(弁証一九〇の陳述書第四項、第五項、第七項、第二五回公判、被告人の供述、九四二丁、九四三丁)。これは被告人が被告会社設立時に、機械の部品や現金、預金等を全部被告会社に譲渡した事実が存在しないことを証明する明白かつ客観的な証拠物である。被告人は法人成り後も現金、預金を所有していたため、被告会社に貸付けることができたし、また、機械の部品を所有していたので、被告会社に売却できたのである。

(一) 昭和三五・一〇・二九・現金、部品買入鈴木より、三〇万円(三菱銀行当座預金勘定―弁証三三)

(二) 同三五・一二・三〇、鈴木より(借入金)二四万円(右同および借入金勘定―弁証三三および三五)

(三) 同三五・一〇・二九、部品鈴木より買入れ、二〇万円(現金勘定―弁証三四)

(四) 同三五・一一・二八・借入金鈴木光より一五万円(右同および借入金勘定―弁証三四、同三五)

(五) 同三五・一二・六、借入金鈴木光より一〇万円(右同)

(六) 同三五・一二・一四、借入金鈴木光より七〇万円(右同)

(七) 同三六・一・二八、借入金鈴木より二〇万円(右同)

(八) 同三六・四・一五、借入金鈴木より一〇万円(右同)

(九) 同三六・一〇・二〇、鈴木光より借入金七三万円(現金出納張―弁証三七)

(十) 同三六・一一・六、鈴木光より借入金五〇万円(右同)

(十一) 同三六・一一・一八、鈴木光より借入金九〇万円(右同)

査察官が領置したこれらの帳簿類を調査しておれば、容易に右貸付や売却の事実を承知することができた筈である。ところが、査察官は、右のような帳簿の記載に基づいて、被告人に質問していないことは前記質問てん末書(検乙九)の記載自体からきわめて明らかである。ましてや、前記4および5記載のように、法人成りのときに被告人の個人資産である現金、預金を全部譲渡したという供述自体、非常識かつ不合理であるから、この点の裏付捜査をするのは、査察官として当然の責務である。ところが、右質問てん末書の記載によっても明らかなように、右の点につき査察官が疑問に思って質問をした旨の記載もなければ、裏付捜査もしておらず、かかる重要事項の調査を放置している。査察官としては、現金、預金等を含めた個人資産を「全部譲渡」したことにしないと課税技術上ないし告発所得計算上都合が悪いので、前述のような「全部譲渡」という非常識かつ不合理な供述記載となったのである。なぜなら、個人資産を全部譲渡していないとなると、本件仮名預金等のうち、被告人個人分と被告会社とを区別しなければならないが、これはきわめて困難であり、かつ、法人税の課税が不可能となり、本件ほ脱犯罪が成立しなくなるためである。そのため、査察官は、領置した前記帳簿類の証拠物を無視したのである。

以上の次第であって、領置した前記帳簿類によっても、被告人が法人成りの際に被告会社に対し、機械類の商品はもとより、現金、預金等を譲渡していないことは明白であり、前記質問てん末書(検乙九)の供述記載が客観的証拠に反するだけでなく、非常識かつ不合理であることが明らかである。

7 第六に、右質問てん末書(検乙九)によると、被告人は、引継(譲渡)財産の対価を被告会社に無利息で貸付けており、現在まで被告会社から右対価を受取っていない、被告人から被告会社に個人資産のすべてを引継ぎ譲渡したが、右譲渡に関する契約書等は必要がなかったので、作成しなかったため一切残っていない、旨の供述記載がある。

しかし、右供述記載内容だけでは、引継財産の対価が具体的に不明であり、不自然であるだけでなく、設立以来約二〇年経過しているのに、法人成り当時の譲渡代金を長期間に亘り無期限無利息で貸付けたままにしておくというのも不自然である。右供述記載によると、譲渡契約書等は作成しなかったとしても、被告会社の帳簿ないし決算書類等に右貸付金の記載がないのも不自然である。右供述記載以外に、譲渡代金を準消費貸借によって被告会社に貸付けて契約を締結した証拠や、右貸付代金が存在する証拠等は、全く存在しないのである。前述のように、被告会社には、法人成り以来顧問税理士がいたのであるから、帳簿類の整理、決算書類および法人税の申告書類の作成等の事務を取扱っていた(第二五回公判、被告人の供述、九二三丁)。したがって、右供述記載のように、もし、右譲渡代金を被告会社に貸付けているのであれば、被告会社の帳簿類、決算書類等にその旨の記載がある筈である。前記6記載のように、当時被告人個人から被告会社に貸付けた貸付金について、被告会社の帳簿類にその旨記載されている(弁証三三ないし三七)事実によっても、このことは明らかである。それ故、被告会社の帳簿類、決算書類等に、このような貸付金の記載がないことは、右貸付けのないこと、および、右貸付金を発生させた「譲渡」のなかったこと、を証明する客観的な裏付け証拠である。したがって、右供述記載は、客観性がなく信用できないことが明らかである。そのため、原判決は、右質問てん末書の有償譲渡という供述記載を信用せず、無償譲渡を認定したものと思われる。

8 第七に、前記質問てん末書(検乙九)の供述記載によると、被告人は、昭和四九年九月末日現在の本件仮名預金等の残高二億余円の源資につき、本件仮名預金等の額にほぼ相当する簿外資金が被告会社に存在していたことを認め、右簿外資金の内容および金額として、(A)残土処分代六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円、(B)人工代の水増分五、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万円、(C)法人成りの際被告人から引継いだ建設機械、資材等の売却代金約二、〇〇〇万円、(D)仮名・無記名預金の利息、をあげている。右供述記載は、関谷査察官が昭和四九年九月末現在の本件仮名預金等の残高二億余円の源資につき、被告会社の簿外資金によるものであることの辻褄を合わせるため、課税技術上ないし告発所得計算上の便宜のために、作文したものであって、一応簿外資金の内容や金額について辻褄が合っている。右供述記載は、被告人が任意にありのまま事実を供述したものを記載したものではなく、関谷査察官が最初から意図的に本件仮名預金等の残高に合致させるために、その源資となった簿外資金の存在したことを記載したものである。そのため、本件仮名預金等の額にほぼ相当する簿外資金の存在したような内容の供述記載になっているのは当然のことである。しかし、問題は、前記質問てん末書のこのような供述記載が、客観的な証拠によって裏付けられているかどうか、である。ところが、このような供述記載にある簿外資金が当時被告会社に存在したかどうかについては、査察官は何等の裏付捜査をしていない。このことは関谷証人自身認めている。また、検察官も、右簿外資金の存在を証明する客観的な証拠はなに一つ提出していない。このような前記(A)、(B)の簿外資金が被告会社に存在した旨の供述記載が全く信用できない、ことについては後記9および10において詳述するとおりである。また、前記(C)の法人成りの際における被告人の個人資産が約二、〇〇〇万円(預貯金を含めて三、〇〇〇万円)ではなく、少くとも一億円以上であったことは客観的証拠によって十分証明できる、ことについては後記第七点において詳述するとおりである。更に、前記(C)の法人成りの際に、被告人は個人資産を被告会社に譲渡したことがない、ことについては後記第六点において詳述するとおりである。このような供述記載自体、何等の客観性を有するものではなく、到底信用できるものではない。

9 第八に、前記質問てん末書(検乙一〇)の供述記載によると、本件仮名預金等の資金源として、「残土処分代が六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円位であった」などとなっている。しかし、右供述記載自体によっても明らかなように、残土処分代金六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円位という大雑把な供述記載であって、何等具体的な根拠があるものでなく、かつ、客観的な証拠によつて裏付けられたものではない。この供述記載は少しも具体性がないし、かつ、客観性もない。残土の出た工事場所、日時、残土処分場所、残土処分代金額、右代金支払者の住所氏名など具体的な特定に必要な事項については全く供述記載がない。すなわち、右供述記載内容が空虚であって、何等客観性、具体性を有するものではない。関谷証言によっても、残土処分代が被告会社の簿外資金として、右供述記載のように六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円位という大金があったのかどうかにつき、裏付捜査を全くやっていないことを認めている(第二二回公判、八三九丁)。裏付捜査をやっていないだけでなく、これを裏付ける客観的な証拠も全く提出されていない。右供述記載自体によっても、残土処分代に関する明細書はなく、裏帳簿類のものは一切記帳したことがなく、メモしていたこともないから、内訳といわれても現在では全くわからない、ことになっている(問四の答)。結局、右供述記載以外には裏付証拠は皆無である。このような供述記載自体、具体性がなく、不正確であるだけでなく、客観性もなく不自然であって、到底信用できるものではない。原判決は、なにを根拠に、このような供述記載をもって被告人の任意の供述と解すのか、全く理解に苦しむところである。このような全く裏付けも具体的根拠もなく、かつ、客観性もない空虚な供述を「唯一の証拠」として採用し、被告会社に本件仮名預金等の資金源としての簿外資金が六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円位存在した、と認定した第一審判決を是認した原判決は、憲法第三八条第三項にも違反するものである。右供述記載以外に、なにを根拠に残土処分代が六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万位あったというのか、客観的な裏付証拠があるなら示してもらいたいものである。このような裏付証拠は皆無であるから示せるわけがない。しかるに、原判決は、以上の点を全く無視して、前記質問てん末書がその都度被告人の面前で作成されたものであって、被告人の任意の供述を記載したものである旨認定している。しかし、この認定が誤りであることは前述したところから明らかである。

10(一) また、前記質問てん末書(検乙九)には、残土処分代が六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円位あった旨の供述記載のほかに、本件仮名預金等の資金源として、「水増し人工代が五、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万位あった」旨の供述記載がある。しかし、右供述記載も、残土処分の供述記載と同様に、何等具体的根拠もないし、客観的な裏付証拠も存在しない。右供述記載によると、人工代の水増計上に関する明細書もないし、裏帳簿類に記載したものは一切なく、メモにしておいたものもないため、内訳は全く不明である(問四の答)。関谷証人は、人工代の水増計上の有無につき、裏付捜査をやっていないことを明確に認めている(第二二回公判、八四〇丁)。査察官が裏付捜査をやらなかっただけでなく、これを裏付ける客観的な証拠は検察官から全く提出されていない。この点につき、なぜ裏付捜査をやらなかったのか、という疑問が生ずるのは当然である。査察官の本件捜査がこのようにずさんなのは、査察官と被告人との間に、前記第一点ないし第三点記載のような種々の取引ないし約束がなされていたため、査察官は被告人が争うとは予想できなかったためである。そのため、査察官は、全く裏付捜査をやらずに手抜きをし、前述のような大雑把な供述記載をした前記質問てん末書を作成したのである。

(二) 人工代の水増しとは、架空人件費のことであるから、架空人件費を計上しているかどうかを調査することは可能である。もし、被告人が本当に前記のような人工代の水増計上の供述をしたのであれば、査察官は、その供述の真否を確認するために裏付捜査をすべきであったし、また、右裏付捜査をすることは可能であった。すなわち、被告会社の工事代金(その主たるものは人工代である)は、毎月所定日に元請の清水建設から被告会社の取引銀行の所定の預金口座に送金される。また、清水建設から毎月支払われる人工代は出来高払いであって、清水建設の現場監督者が記帳している出面帳に基づいて計算されるので、右出面帳と被告会社の人工代の支払を記載した帳簿とを対照すれば、人工代を操作したか否かを明らかにすることができる。また、清水建設から毎月送金されて入金する人工代の明細を明らかにすることは、清水建設の人工代の支払を記載した買掛帳簿、被告会社の取引銀行の送金明細、被告会社の工事代金の売上帳簿等によって可能である(第二五回公判、被告人の供述、九二二丁)。すなわち、人工代の水増計上があったか否かの裏付捜査をやるには、清水建設ないし清水建設の関係者を取調べる必要がある。被告人が人工代の水増し計上問題の取調べを受けたのは、前記質問てん末書(検乙一〇)が作成された昭和五三年九月一一日である。本件査察開始(同年五月一六日)から約四ケ月後である。すなわち、「本件査察開始から四ケ月後においても、清水建設の関係者を取調べる必要性があった」、ことは右の事実によっても明らかである。したがって、前記第一点に関し、原判決が「関谷査察官が被告人から本件脱税の事実について事情を聴取した際、清水建設の関係者を取り調べないで欲しい旨の申出があったけれどども、強制調査に着手した当日すでに他の査察官が清水建設の関係者から事情を聴取していたので、更に取調べる必要がなかったため、被告人の右申出を聞き流した」旨認定した(四丁裏から五丁表)のは明らかに誤りである。原判決は、「本件査察後に清水建設の関係者を取調べる必要がなかった」と認定したが、前述のように、人工代の水増し計上の有無を調査するためには、「工事代金の支払人である清水建設および清水建設の関係者を取調べる必要があった」のである。原判決の右認定はこの点で明らかに誤りである。

(三) 他方、人工代の水増計上の有無を調査するには、人工代の支払先を調査する必要がある。ところで、被告会社は、労務者を直接雇用したり、労務者に直接賃金(人工代)を支払っていた事実はない。被告会社の支払う人工代は、すべて被告会社の協力業者(光和会に所属するいわゆる下請業者)に一括して支払っている。労務者を雇用しているのは、これらの下請業者であって、被告会社ではなく、被告会社はこれらの下請業者に毎月まとめて人工代を支払っている(第二五回公判、被告人の供述、九二二丁)。このことは押収した被告会社や下請業者の関係帳簿を調査すれば簡単に判明する筈である。どの下請業者に毎月いくらの人工代を支払ったかは帳簿上明白であって、清水建設から送金された工事代と対比すれば、人工代の水増計上の有無を調査することは可能である(同九二二丁)。したがって、前記質問てん末書に供述記載されているように(問四の答)、もし、人工代の水増計上をやる場合に、帳簿類に記載せずにやることや、帳簿処理をしないでやることは、絶対に不可能である。税務の専門家である査察官が前記のような供述記載を信用することはあり得ない。査察官が人工代の水増計上の有無につき裏付捜査をやらなかったのは、他に特別の事情があったためと考える以外に理解の仕様がない。この特別の事情こそ、前記第一点記載のように、清水建設の関係者を取調べない代りに、弁護人選任権を放棄するという約束がなされたことである。もし、人工代の水増計上をやるのであれば、入金と出金との辻褄を合わせる必要があるから、必ず帳簿類に記載する必要があり、まず帳簿の記載の辻褄を合わせる帳簿処理が不可欠な筈である。前記供述記載のように、帳簿処理をやらずに人工代の水増計上をやることは不可能である。このことは査察官も十分承知していた筈である。このような前記質問てん末書の供述記載が全くでたらめであることは、査察官が裏付捜査の必要があり、かつ、裏付捜査をやることができたのに、裏付捜査を全くやっていない、ことによって明らかである。

六1 以上の次第であって、前記九月一一日付および同月一六日付質問てん末書各三通(検乙九ないし一四)は、いずれもその日に関谷査察官が被告人に質問し、被告人から応答のあったものを録取したものではなく、関谷査察官が課税技術上ないし告発所得計算上の便宜のため、予め一方的に作成しておいたものに、当日被告人に署名押印させたものである。関谷証人は、予め一方的に右各質問てん末書を作成したことを否定し、これらの質問てん末書はその日に被告人に質問し、その応答を記載して作成した旨供述するけれども、右供述は信用できないことは前述したとおりである。すなわち、

2 右九月一一日の取調時間は僅か二時間足らずであり、右九月一六日の取調時間はこれまた六時間足らずである。右取調時間内に関谷査察官が被告人に質問し、被告人から応答のあったものを質問てん末書に記載したうえ、被告人に読み聞かせたり、あるいは、黙読させて、被告人に署名押印させ、四通宛作成することは、右取調時間からして物理的に不可能であるという客観的事実が存在する。右事実は藤本日誌(弁証二七)および藤本証言によって明らかである。

3 また、右各質問てん末書の一応の形式は、他の質問てん末書と同様であるが、いずれも査察官が被告人に対し「関谷資料等」を示して質問し、被告人がこれらの関係資料等を検討した結果、応答したものを記載したものではない。このことは、右質問てん末書の供述記載によって明らかである。

4 更に、右各質問てん末書の供述記載の内容はいずれも非常識かつ不自然であって、原判決自体、右供述記載を信用せず、右供述記載と全く異る事実を認定しているように、右供述記載は客観的事実と異なる非常識かつ不合理なものであることが明らかである。しかるに、査察官は、これらの供述に対し何等の裏付捜査をしておらず、右供述記載の具体性および客観性が担保されていない。

5 したがって、査察官がこれらの質問てん末書を予め一方的に作成しておいて、被告人には、単に署名押印だけをさせ、右供述記載が事実と異なるので異議を申立てても、その訂正に応じてもらえなかった、旨の被告人の供述が信用できるのである。それ故、右各質問てん末書は、被告人の供述を録取したものではないから刑事訴訟法第三二二条第一項に違反し、ひいては法律の適法な手続を保障した憲法第三一条に違反し、違法に収集された供述証拠であるから証拠能力を有しないものである。しかるに、原判決は、これらの証拠能力がない前記質問てん末書およびその影響下に作成された検面調書を採用して事実を認定している第一審判決を是認した違法があり、右違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄されるべきである。

第六点 原判決には、憲法第三一条、刑事訴訟法第三一七条に違反して、事実を認定した違法があり、右違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄されるべきである。仮りに然らずとするも、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな重大な事実の誤認があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するので、原判決は破棄されるべきである。

第一 個人資産の譲渡について

一、本件受取利息の問題点は、本件受取利息が被告人個人(およびその家族を含む。以下同じ)の所得であるか、あるいは、被告会社の所得であるか、ということである。この問題を解決するためには、本件受取利息の発生源である本件仮名預金等が被告人個人に帰属するか、あるいは、被告会社に帰属するか、を確定する必要がある。本件仮名預金等が被告人個人に帰属すれば、それから発生した受取利息は被告人個人の所得であることになる。

ところで、本件仮名預金等の帰属を確定するうえで重要な問題は、第一に、被告会社に法人成りした当時、被告人の営業用の個人資産の評価がいくらであったか、ということであり、第二に、右法人成りの際、被告人の営業用の個人資産は被告会社に譲渡されたか否か、という点である。なぜなら、本件仮名預金等の大部分は、被告人が法人成り当時所有していた建設機械、部品、資材、スクラップ、預貯金および現金等の営業用の個人資産およびその利息から転化したものである。したがって、法人成り当時の被告人の営業用の個人資産の評価を明らかにすることは、本件仮名預金等に転化した原資を明らかにすることができるとともに、法人成りの際に、営業用の個人資産が譲渡されたか否かを明らかにすることによって、本件仮名預金等の帰属を明らかにすることができるからである。

法人成り当時の営業用の個人資産につき、原判決は、「被告会社設立当時、被告人がその所有する営業用資産の一切を被告会社に無償譲渡したものであることは、すでに認定したとおりであって、その当時における右譲渡にかかる営業用資産の評価額が確定されなければ、本件仮名預金等の帰属が決し得ないとは到底いえない」旨認定し(二三丁表)、その評価をさけている。このように個人資産の評価をさけた原判決には、審理不尽の違法および無証拠により無償譲渡を認定したのは憲法第三一条、刑事訴訟法第三一七条に違反する違法があるので、この点は、後記第七点においてその理由を明確にする。

二、ところで、(一)本件受取利息の発生源である本件仮名預金等のうち、有限会社北立土木に対する工事代金の水増分を定期預金にした二一〇〇万円および貸付信託にした一五〇〇万円、以上合計三六〇〇万円は被告会社の所有に帰属するが、その他のものは被告人ら個人に帰属するものである。また、(二)昭和五二年九月期に売却した仮名・無記名債券も、その購入資金は被告人ら個人の仮名預金等を払戻した金員であるから、右定期預金および貸付信託の利息分を除いた、本件受取利息および債権売却益は被告人ら個人の所得である。

なぜなら、本件仮名預金等のほとんどは、被告人が法人成り当時所有していた個人資産(建設機械、部品、資材、スクラップ、預貯金、現金等)総額一億円以上およびその利息から転化したものであって、これらの個人資産が法人成りの際に被告会社に譲渡されたことはないから、本件仮名預金等は被告人個人の所有に帰属するものであって、被告会社の所有に帰属するものではないからである。すなわち、第一に法人成りの際、被告人所有の営業用の個人資産は少なくとも一億円以上存在したこと、第二に、被告人は法人成りの際に右個人資産を被告会社に譲渡したことがないこと、第三に、本件仮名預金等のほとんどは右個人資産およびその利息から転化したものであるから被告人ら個人の所有に帰属するということである。

三、ところで、被告人が鈴木商店当時所有していた営業用の個人資産を被告会社設立と同時にすべて被告会社に譲渡し、被告会社の所有となったか否かという問題に対し、原判決は、「被告人は、その所有に係る建設機械等のたな卸資産は勿論、預貯金及び現金等をも含めた一切の営業用資産を被告会社設立と同時に被告会社に無償譲渡したことが認められ、したがって、これらから転化したと認められる本件仮名預金等も被告会社に帰属するものというべきである。」と判示し(九丁裏)、「被告人は、被告会社設立と同時に、個人所有に係る建設機械、部品、資材、スクラップ等のたな卸資産のみならず、預貯金、現金等を含めたすべての営業用資産を被告会社に無償で譲渡し、土地、建物を除いては被告人の個人所有として留保したものはない。」旨認定し(一〇丁裏)、結論として、「以上のように、被告人は、被告会社設立当時、その所有に係る土地、建物を除き、他の資産をすべて被告会社に無償で譲渡したので、これから転化したものと認められる本件仮名預金等もすべて被告会社に帰属するものというべく、したがって、被告会社が法人成りした当時、被告人の所有していた建設機械等の営業用資産の一切が被告会社に帰属し、それを源資とする本件仮名預金等も、すべて被告会社に帰属する」と判示している(一一丁裏)。

四、しかし、原判決が認定するような、被告人が法人成り当時、営業用の一切の個人資産を被告会社に無償で譲渡したという証拠は、本件訴訟において一切提出されていない。原判決は、無証拠によって、乱暴にも右のような無償譲渡を認定している。原判決の右認定は、明らかに、憲法第三一条、刑事訴訟法第三一七条に違反するものである。本件訴訟において、法人成り当時、被告人が営業用の個人資産を被告会社に譲渡した趣旨の証拠は、被告人の前記質問てん末書(検乙九)および関谷証言(第二二回公判、八二五丁、八二六丁)だけである。後述のように、これらの証拠は、いずれも有償譲渡(売買)に関するものであって、原判決の認定したような無償譲渡(贈与)に関するものではない。原判決が認定した無償譲渡に関する証拠は、本訴において全く提出されていない。

1 この点につき、東京国税局は、有償譲渡と認定し、査察官作成の修正貸借対照表において、右譲渡代金三、〇〇〇万円を被告人からの借入金として処理している。すなわち、「査察官作成の修正貸借対照表の中で、社長(被告人)の過年度借入金三〇〇〇万円が計上してあることが判明した。すなわち、査察官は、(被告)会社の創業以来、引き続き三、〇〇〇万円を被告会社に無利息無期限で貸し付けていると認定している。」(検察官の昭和五六年一二月八日付意見書四〇頁、四一頁)。

2 また、検察官もこの点につき、査察官の右認定と同様、次のように有償譲渡であると主張している。「そして、被告人のいう個人時代の現金、預金及び商品たる機械等を法人に引き継ぎ譲渡したとするのは、被告会社を経営していく必要上、設立者として個人所有の現金及び預金はもとより、機械等商品の対価についても、無利息かつ無期限で貸し付けたものと評価すべきであり、これは、代表者勘定あるいは、代表者からの借入金とみるのが自然であり、被告人の真意にも沿うものと思料する。」(論告要旨第一、第二項、2、(三))。

五、このように、無償譲渡を認定する証拠が皆無なのに拘らず、原判決は、なぜこのような無証拠に基づく乱暴な無償譲渡という認定をしたのであろうか。その答は、

1 第一に、有償譲渡の場合には、現物出資、財産引受、事後設立、自己取引等に関する商法所定の手続を必要とするが、本件においては、右手続をいずれも経ていないことが証拠上明白であって、本件の有償譲渡は無効であり、したがって、前記営業用の個人資産は鈴木商店当時から現在まで被告人の個人所有のままであり、これらの資産から転化したと認められる本件仮名預金等も被告人の個人所有である、旨の弁護人の控訴趣旨第三点第二の主張を潜脱するためである。

2 第二に、本件仮名預金等の帰属を決するうえで、被告会社が法人成りした当時、被告人がいか程の個人資産を所有していたか、有償譲渡の場合にはその評価が重要であり、そして、第一審に提出した客観的な証拠資料を精査し、審理を尽しておれば、被告人の個人資産が三千万円であるという前記質問てん末書の供述記載が全く根拠がなく、実際には一億円以上あったことを明らかにすることができたに拘らず、前記のように、第一審判決がその評価をさけたのは審理不尽の違法がある、旨の控訴趣意第四点の主張を潜脱するためである。

原判決は、客観的な証拠を全く無視することによって、無償譲渡であると故事付け、第一審判決を破棄することを回避したのである。

六1 本件捜査時において、本件仮名預金等の帰属を確定するうえで法人成り当時における被告人の営業用の個人資産の評価が最も重要であり、査察官と被告人との間でその評価が問題となったのはなぜか、ということを検討する必要がある。具体的には、法人成り当時の被告人の右資産が、被告人の主張するように一億円以上あったのか、それとも、査察官の認定するように三千万円であったか、の問題である。この問題につき、査察官と被告人との間に意見の対立のあった、ことは第一審の証拠決定および原判決とも認めるところである。すなわち、右証拠決定は、「ところで、同年八月初旬ころから被告人鈴木と関谷査察官との間で法人成り当時の被告人鈴木光の個人資産が問題となり、被告人鈴木は個人資産が一億円以上存在したと主張したが、関谷査察官はこれをそのまま認めることはできないとして同被告人に資料の提出等を求めた」(四丁裏)こと、および、「法人成りの際の個人資産の評価について被告人鈴木と関谷査察官との間で意見が対立していた」(九丁表)旨認定しており、また、原判決は、「もっとも、被告会社が法人成りした当時、被告人の個人資産が如何程あったかについて、関谷査察官と被告人との間で若干議論したことはあるが」と認定している(五丁表)。

原判決の右認定が誤りであって、真実は、査察官が一方的に被告人に対し、前記個人資産一億円以上あったという主張を撤回させ、該個人資産が三千万円であったこと、該個人資産を法人成りの際全部被告会社に譲渡したこと、を認めさせるために、個人資産が三千万円であったことを認めれば、本件仮名預金等の一部である三千万円を被告人に辺還する、旨の偽計による約束をしたり、あるいは、脅迫的取調べをしたのである。この点については、前記第三点、第四点において詳述したとおりである。

2 仮りに百歩を譲っても、原判決の認定するように、査察官と被告人との間では、法人成り当時における被告人の営業用の個人資産の評価について、意見の対立があったことは明らかである。なぜ、このような意見の対立があったのかといえば、法人成りの際に、被告人の営業用の個人資産が被告会社に「有償譲渡」されたか否かが、問題となっていたためである。原判決も認定するように、無償譲渡の場合には、譲渡の対価は存在しないのであるから、対価を算出するために、該個人資産の評価額を確定する必要はない。反対に、有償譲渡の場合には、対価(代金額)を確定する必要があり、そのためには、該個人資産の評価額を確定する必要があったためである。当時、査察官は有償譲渡であることを前提に、その対価(代金額)を確定するために、被告人の営業用の個人資産の評価額を確定しようとしていたのであって、そのため、被告人は右評価額を一億円以上あったと主張し、査察官は三千万円を認めさせようとして、両者間で対立していたのである。三千万円という評価額には何等の根拠も客観的な裏付けもないことは関谷証人自身認めているところである(第二二回公判、八二四丁、八二五丁)。原判決認定のように、仮りに、無償譲渡であれば、該個人資産の評価額が問題になることはあり得ない。該個人資産の評価額が問題になっていたという事実こそ、「有償譲渡の有無」が問題となっていたことを物語るのである。したがって、既にこの点において、無償譲渡と認定した原判決の認定が誤りであることはきわめて明白である。

七、次に、前記質問てん末書の供述記載を検討するに、次の1、2のような供述記載によっても明らかなように、(一)法人成り当時の被告人の個人資産の評価額がいくらであったかの問題と、(二)法人成りの際に被告人が被告会社に右個人資産を「有償譲渡」したことの問題と、から成り立っている。具体的には、法人成り当時、被告人の個人資産の評価額は一億円以上あった旨の九月六日付申述書を撤回し、右評価額は三千万円であって、被告人は法人成りの際に右個人資産を全部被告会社に売却(有償譲渡)しているが、売却代金(対価)を被告会社から受領しておらず、右売却代金を被告会社に無期限無利息で貸付けている、という趣旨のものである。右供述記載以外に、前記質問てん末書には、被告人が、個人資産を被告会社に無償譲渡した旨の供述記載は全く存在しない。これらの供述記載からも、無償譲渡と認定した原判決が誤りであることはきわめて明らかである。

1 昭和五三・九・七付質問てん末書(検乙八)によると、被告人は妻きみ子と二人の記憶に基づいて法人成り当時の個人資産が現金および預貯金六、七千万円と建設機械、スクラップ等三、四千万円、合計一億円であった旨の同年九月六日付申述書(弁証二八)を提出し、右預貯金の内容を説明したところ、関谷査察官から被告会社設立後の建設機械等の売買契約書等を示されて、これらの機械等が被告会社設立後に被告会社名義で売買されていることから、右申述書記載の資産が存在した時期につき記憶にずれのあることに気付き、そのため、右申述書を撤回し、法人成り当時、被告人の個人資産がいくらあったかは頭を冷やして後日述べること(問、答、二ないし四)、並びに、個人資産は被告会社設立と同時に被告会社に引き継がれたこと(問、答、五)、の供述記載がなされている。すなわち、右質問てん末書は、第一に、法人成り当時における被告人の個人資産の評価に関する部分と、第二に、法人成りの際に、被告人から被告会社に対する右個人資産の引き継ぎ関係の部分とからなっている。

2 次に、昭和五三・九・一一付質問てん末書(検乙九)によると、この点に関する被告人の供述記載は次のとおりである。

(一) 「当時(昭和三五年一〇月一七日)の現金、預貯金の額を申しあげますと、多くても一〇、〇〇〇、〇〇〇円ぐらいだと記憶しています。その内訳は現金で多くとも六、〇〇〇、〇〇〇円ぐらい、預貯金で四、〇〇〇、〇〇〇円ぐらいでした。私はスクラップ屋でしたので、いつもふところに毎日四、〇〇〇、〇〇〇~五、〇〇〇、〇〇〇円もちあるいていました。ですから、多くとも六、〇〇〇、〇〇〇円ぐらい三五年一〇月一七日現在あったと申し上げました。

預貯金は実名、仮名・無記名あわせて多くとも四、〇〇〇、〇〇〇円ぐらい、主として富士銀行立川支店にありました。当時は現金より預貯金の方が少なかったと記憶しています。以上のように昭和三五年一〇月一七日現在で、現金、預貯金あわせて多くとも一〇、〇〇〇、〇〇〇円ありました」(問二の答(二))

(二) 「そのほか、昭和三五年一〇月一七日現在、私が所有していた建設機械、部品、資材等もすべて第一重機に設立と同時に引継ぎました。そのときの時価で二〇、〇〇〇、〇〇〇円ぐらいだと記憶しています。」(問二の答(三))

(三) 「これら(個人資産)は、すべて同年一〇月一八日第一重機設立と同時に、引継ぎました。引継ぎと申しましたが、それは私個人から第一重機に譲渡したという意味です。」(問二の答(二)末段)

(四) 「また、設立当時は会社と云ってもドンブリ勘定で個人の財産と第一重機の財産と区別することなく、第一重機の運転資金、あるいは第一重機の機械資材として利用していたわけで、そういう事情から云っても、やはり個人資産はすべて第一重機へ引継ぎ譲渡したと申しあげるわけです。」(問三の答五文)

(五) 「そして引継財産の対価はいまだに第一重機からもらっていません。引継財産の対価分だけ鈴木光が第一重機へ貸していることになります。」(問三の答末文)

(六) 「私個人から第一重機へ個人資産のすべてを引継ぎ譲渡したわけですが、これらに関する契約書等は一切ありません。作文しませんでしたから、そのようなもの必要がなかったのです。もちろん鈴木光が第一重機から利息を受けとる契約もしていませんし今のところ受取るつもりもありません。」(問四の答)

(七) 「また、利息についてですが、現在のところ利息に関する契約も行なっていませんし、利息を私個人が第一重機から受けとろうとは考えていません。……無利息であります。」(問五の答)

(八) 「私個人等個人名義の土地、建物それに家具等家庭用資産以外のものを全部引継ぎました。」(問六の答)

3 右質問てん末書(検乙九)の供述記載自体あいまいで趣旨不明な点があるが、右供述自体を整理すると次のようになる。

(一) 法人成り当時、被告人の個人資産は現金六〇〇万円、預貯金四〇〇万円、計一、〇〇〇万円、建設機械、部品、資材等二、〇〇〇万円、合計三、〇〇〇万円と記憶している。

(二) 被告人は被告会社設立と同時に、個人資産のすべてを被告会社に引継いだ。

(三) 引継いだという意味は譲渡したということである。譲渡契約書等は作成していない。

(四) 引継ぎ、すなわち譲渡した個人資産は、被告人個人名義の土地建物、家具等家庭用資産以外のもの全部である。したがって、現金、預貯金もすべて含まれる。

(五) 被告人は、譲渡代金を被告会社から受領しておらず、譲渡代金分を被告会社に貸し付けているが利息の支払を受ける約束はしていないので無利息である。また、譲渡代金についてはなんらの供述記載もない。

八1 この点に関する関谷証人の供述は次のとおりであって、前項記載の質問てん末書の供述記載と同趣旨である(第二二回公判、八二五丁、八二六丁)

問 (弁護人……以下同じ) 会社設立当時に持っておった約二、〇〇〇万円の商品を、会社ができてからどういうふうにしたというようにあなたのほうは調査していますか。

答 被告人の供述では第一重機へ引継いだということですので……

問 引継いだということはどういう意味でしょうか。

答 私も被告人に聞きましたところ、譲渡したという意味ですと答えてくれました。

問 譲渡したというのはどういう意味ですか。

答 ある人からある人に譲り渡したということです。

問 有償ですか無償ですか。

答 被告人は有償だと答えたと記憶しています。

問 そうすると、売買ですか。

答 売買といいますか、通常、譲渡といっていますけれども。

問 譲渡というのは、要するに、品物を相手に売ってお金をもらうということでしょう。有償というのは、もらう約束をするということですね。

答 そうですね。約束することです。

問 ただくれてやったということじゃないわけですね。

答 そうです。そういうふうに供述したと記憶しています。

問 譲渡はいつやったということですか。

答 設立の日ですね。設立と同時にというふうに供述してくれたと記憶します。

問 代金はいくらですか。

答 だから代金が三、〇〇〇万円ぐらいじゃないでしょうか。

問 代金三、〇〇〇万円。

答 ……三、〇〇〇万円ということは言ってなかったかもしれませんが、要するに、三、〇〇〇万円あるということですから、現金、預金で一、〇〇〇万円、それから機械が二、〇〇〇万円ということですから、三、〇〇〇万円あったというふうに供述しているはずですから、そうすると、対価三、〇〇〇万円という意味じゃないですか。

問 そうすると、現金も預金も譲渡したと言ってたんですか。

答 現金も預金もすべて引継いだと言ってました。

問 引継ぎはすなわち有償の譲渡だということですね。

答 それは被告人が供述しましたということです。

2 関谷証人の右供述を整理すると、被告人は、法人成りと同時に、被告人の個人所有に係る機械等の商品(二、〇〇〇万円相当)および現金・預金(一、〇〇〇万円相当)をすべて被告会社に引継いでいる。引継ぎすなわち譲渡であって、右譲渡は有償譲渡である。被告人は右個人資産を被告会社に無償で譲渡したことはない。すなわち、関谷証人は被告人が右個人資産を被告会社に無償譲渡したことはないと断言している。被告人は右譲渡代金が右個人資産の評価額である三、〇〇〇万円であると供述しなかったかも知れないが、関谷査察官は右評価額が三、〇〇〇万円であったので、右譲渡代金も三、〇〇〇万円であると理解していた。このように、関谷証人の供述によっても、前記質問てん末書の記載と同様に、被告人が法人成りの際に個人資産を被告会社に譲渡したのは、原判決認定のような、無償譲渡でなく、有償譲渡すなわち売買である。本件訴訟において被告人の個人資産の譲渡の有無に関する証拠は、前述した質問てん末書(検乙九)の被告人の供述記載(前記第七項)と関谷証言(前記第八項)だけである。この二つの証拠はいずれも原判決の認定するような無償譲渡を証明するものでなく、反対に、有償譲渡の証明に関するものである。そのため、前記第四項1、2記載のように、東京国税局は修正貸借対照表において有償譲渡を前提に、右譲渡代金三千万円を被告人から被告会社に対する貸付金として処理しており。また、検察官も本件訴訟において有償譲渡の主張をしていたのである。原判決が認定した無償譲渡であることを立証する証拠は、本件訴訟においては一つも提出されていない。原判決は乱暴にも無証拠によって恣意的に無償譲渡を認定したものであって、憲法第三一条、刑事訴訟法第三一七条に違反し、この点でも判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄されるべきである。

九、前記質問てん末書(検乙九)によると、被告人は法人成りのとき、「現金、預貯金を含めた個人資産全部」を被告会社に譲渡し、右譲渡は有償譲渡であって、対価は被告会社に無期限無利息で貸付けている旨供述記載されている。関谷証言も右供述記載と全く同趣旨である、ことはこれまた前述したとおりである(前記第八項)。しかるに、原判決は、一方において、右証拠のうち、「有償」、「譲渡」の「譲渡」の点だけを摘み食いして「有償」の点を無視し、他方において、全く証拠がないのに、「無償」、「譲渡」を作出し、「預貯金、現金等を含めたすべての営業用資産を被告会社に無償で譲渡した」旨認定している。しかし、原判決の右認定が誤りであることは次のことから明らかである。

一般の実務では、法人成りの際、個人所有の現金、預貯金を会社に譲渡するという会計処理は行っていない。法人成りの際、個人が会社に現金、預貯金等を支出する方法は、一般には、金銭出資による株式の払込を除けば、「金銭の貸付」である(牟田口実、法人成りの経理と税務、一七二頁)。この点は関谷証人も認めるところである(第二二回公判、八二八丁)。

また、一般に、現金という場合には、通貨を指し、通貨の売買は性質上あり得ないことは、関谷証人自身も認めるとおりである(前記八二七丁)。預貯金は払戻して現金にできるので、現金と同趣旨に理解できる。したがって、現金、預貯金の有償譲渡はあり得ないから、この点で前記質問てん末書の供述記載および関谷証言にある、法人成りの際、現金預貯金を含めた個人資産全部を被告会社に有償譲渡したことが、事実に反するものであることが明らかである。

次に、原判決認定のように、無償譲渡、すなわち、贈与が問題となるが、法人成りの際に、個人が会社に現金、預貯金を贈与するという会計処理もこれまた一般には行われていない。法人成りの際に、個人が会社に現金(預貯金も同じ)を支出する方法は、一般には、金銭出資を除けば、「金銭の貸付」という会計処理をすることは前述したとおりである。したがって、現金、預貯金を無償譲渡するのは特別の場合であるから、そこには特別の事情ないし理由がある筈である。原判決は、一般の会計処理方法である「金銭の貸付」とは異る「無償譲渡(贈与)」という法律的原因によって、現金、預貯金等の個人資産が被告会社に帰属したことを認定しているのであるから、なぜ無償譲渡と認定したのか、右認定の根拠となった特別の事情ないし理由を明確に判示すべきであったに拘らず、この点につき何等の判示をしていないのは理由不備の違法がある。そもそも、本件訴訟においては、無償譲渡を認定する証拠が皆無であって、右のような無償譲渡を認定する特別の事情ないし理由も存在しないのである。

一〇、次に、原判決の認定するごとく、法人成りの際に、被告人が「個人所有に係る建設機械、部品、資材、スクラップ等のたな卸資産のみならず、預貯金、現金等を含めたすべての営業用資産を被告会社に無償で譲渡した」のであれば、以後被告人は、機械、部品や現金、預貯金等を所有していない筈であるから、被告会社にこれら部品を売却したり、金銭を貸付けたりすることはできない筈である。ところが、査察官が領置した証拠物(弁証二〇)の中に存する被告会社設立直後における帳簿(弁証三三ないし三七)によると、被告人は、法人成りの直後から被告会社に対し、繰り返し機械部品を売却したり、あるいは、金銭を貸付けたりしている(前記第五点第五項6参照)。その合計は約四〇〇万円である(弁証一九〇の陳述書第四項、第五項、第七項、第二五回公判、被告人の供述、九四二丁、九四三丁)。これは被告人が法人成りの際に、機械部品や現金、預貯金等を全部被告会社に譲渡した事実がないことを証明する明白かつ客観的な証拠物である。被告人は、法人成りの際に、機械部品、現金、預貯金等を含めたすべての営業用資産を被告会社に譲渡せず、従前のまま被告人個人で所有していたため、法人成り後に、被告会社に売却したり、あるいは、貸付けることができたのである。原判決がこのように、明白かつ客観的な証拠を無視して、何等の証拠もないのに、「個人所有にかかる建設機械、部品、資材、スクラップ等のたな卸資産のみならず、預貯金、現金を含めたすべての営業用資産を被告会社に無償で譲渡した」旨認定したのは明らかに誤りである。

一一、被告会社が法人成りした際には、顧問税理士がおり、顧問税理士であった飯島税理士が被告会社設立手続や設立後の被告会社の会計処理を行っていた(第二二回公判、関谷証言、八三三丁、第二五回公判、被告人の供述、九二三丁)。したがって、原判決認定のように、「現金、預貯金を含めたすべての営業用資産を被告会社に無償で譲渡した」のであれば、飯島税理士が被告会社の帳簿類ないし決算書類等にその旨記載をしている筈である(同九二三丁)。このことは弁証三三ないし三七帳簿類に、被告人から被告会社に対する部品の売却ないし金銭の貸付が明確に記載されていることによって明らかである(前記第一〇項)。ところが、法人成り直後の被告会社の帳簿類には、現金、預貯金の無償譲渡を証明する記載がないのは勿論、その他の営業用資産を譲り受けた旨の記載も全く存在しない。査察官が押収した証拠資料や領置した証拠資料(弁証二〇)の中にも、被告人が被告会社設立の際に現金、預貯金を被告会社に譲渡したことを証明するものは何等存在しない。反対に、前記第一〇項のように、法人成り直後に、被告人が被告会社に繰り返し金銭を貸付けたり、あるいは、機械部品を売却したり、した旨の帳簿の記載がある(弁証三三ないし三七)。原判決は、このような明白かつ客観的な証拠を無視して、一体なにを証拠に、預貯金、現金等を含めたすべての営業用資産を被告会社に無償で譲渡した、等と認定したのであろうか。原判決の右のような認定は、全くの故事付けであって、不可解というほかなく、杜撰きわまりないものである。

一二、前記質問てん末書(検乙九)によると、被告人は、法人成りの際、現金、預貯金を含めた個人資産全部を被告会社に譲渡した旨の供述記載がある(前記第七項2)。被告人が法人成りの際に、仮りに、現金、預貯金を被告会社に譲渡したことがあったとしても、常識的に考えて、全部譲渡することなど絶対にあり得ない。被告人としても、個人の生活があるから、生活費も必要であり、かつ、病気、子供の入学、結婚等による不時の出費や将来の支出に備えるため、現金、預貯金を必要とするから、現金、預貯金を全部譲渡することなど常識的に考えても、絶対にあり得ない。したがって、現金、預貯金を含めて全部譲渡した旨の供述記載自体、非常識かつ不合理であって、真実を供述したものではない。このような供述記載は客観的証拠と矛盾することは前述したとおりである(前記第一〇項)。関谷証言によっても、被告人が右供述記載のように供述したからということだけのことであって、何等の裏付捜査をしていないことを認めている(第二二回公判、八二六丁、八二七丁)。法人成りの際に、被告人の個人資産である現金、預貯金を全部譲渡したという供述記載自体、非常識かつ不合理であるから、この点の裏付捜査をするのは査察官として当然の責務である。ところが、右質問てん末書の供述記載によっても明らかなように、右点につき査察官が疑問に思って質問した旨の記載もなければ、裏付捜査もしておらず、かかる重要事項の調査を放置している。このような供述記載となったのはなぜか、が問題であるが、査察官としては、現金、預貯金を含めた個人資産を「全部譲渡」したことにしないと、課税技術上ないし告発所得計算上都合が悪いので、前述のような「全部譲渡」という非常識かつ不合理な供述記載となったのである。すなわち、現金、預貯金を含めた個人資産を全部譲渡したことにしないと本件仮名預金等のうち、被告人個人の分と被告会社の分とが混在し、これを区別しなければならなくなるが、これはきわめて困難であり、国税局側にとって都合が悪いため、査察官は、現金、預貯金を含めた個人資産全部を譲渡したという、きわめて非常識かつ不合理な供述記載をしたのである。したがって、査察官は、この「全部譲渡」の有無につき裏付捜査をする意思はなく、実際にも裏付捜査をしなかったのである。このように、右質問てん末書の供述記載自体、非常識かつ不合理であって、到底信用できないのである。

一三、次に、右質問てん末書(検乙九)の供述記載によると、被告人は引継(譲渡)財産の対価を被告会社に無利息で貸付けており、現在まで被告会社から右対価を受取っていない、被告人から被告会社に個人資産のすべてを引継ぎ譲渡したが、右譲渡に関する契約書等は必要がなかったので、作成しなかったため一切残っていない、となっている。すなわち、右供述記載によると、法人成りの際、被告人は個人資産全部を被告会社に譲渡しているが、右譲渡は原判決の認定するように無償譲渡ではなく、有償譲渡である。右供述記載だけでは譲渡財産の対価(代金)が具体的に記載されておらず不明であるが、関谷証言によると(前記第八項)、右代金は個人資産の評価額三千万円であると理解していたということである。また、関谷証人は、右譲渡は無償譲渡ではないと断言し、有償譲渡であることを明確に認めている。そのため、国税局で作成した修正貸借対照表には、この対価相当分三千万円を被告人から被告会社に対する貸付金として計上している(前記第四項1)。この点からするも、無償譲渡と認定した原判決の認定が誤りであることは明らかである。

一四、また、原判決は、「被告会社が法人成りした当時、被告人の個人資産が如何程あったかについて、関谷査察官と被告人との間で若干議論したことがあった」旨認定していることは前述したとおりである(前記第三点第九項ないし第一五項、第四点第七項)。すなわち、原判決は、前述のように、一方において、被告人が法人成りの際に、個人資産を被告会社に無償で譲渡したことを認定していながら、他方において、査察官と被告人との間で、法人成り当時における被告人の個人資産の評価について、意見の対立があったことを認定している。しかし、原判決のこのような認定は矛盾である。なぜなら、このような意見の対立があったのは、法人成りの際における被告人の個人資産が被告会社に「有償譲渡」されたか否かが、問題となっていたためである。原判決が認定するように(二三丁表)、無償譲渡の場合には、譲渡の対価は存在しないから、対価(売買代金)を算出するために、右個人資産の評価額を確定する必要はないわけである。したがって、無償譲渡の場合には、査察官と被告人との間で、法人成りした当時における被告人の個人資産の評価について、議論をしたり、あるいは、意見が対立することはあり得ないのである。反対に、有償譲渡の場合には、対価(代金額)を確定する必要があり、そのために、右個人資産の評価額を確定する必要があったのである。当時、査察官は、有償譲渡であることを前提に、その対価を確定するため、被告人の個人資産の評価額を確定しようとしていた、ことは前記検乙八および検乙九の各質問てん末書の供述記載を対比すればきわめて明らかである。そのため、被告人は所謂九月六日付申述書を査察官に提出して、右評価額が一億円以上あったと主張し、査察官は何等の根拠もなく裏付もないのに右評価額が三千万円であったことを認めさせようとして、両者間で対立していたのである。仮りに、原判決認定のように、無償譲渡であれば、右個人資産の評価額が問題となることはあり得ない。右個人資産の評価額が問題となり、査察官と被告人との間で議論したという事実こそ、有償譲渡の有無が問題となっていたことを物語るものである。したがって、既にこの点において、原判決が無償譲渡であると認定したのが誤りであることはきわめて明白である。

一五、実際には、有償譲渡がなされなかったことは勿論、無償譲渡も行なわれたことはなく、この点に関する右質問てん末書の供述記載および関谷証言も信用できないことは次のことから明らかである。いずれにせよ、無償譲渡と認定した原判決は誤りである。

右質問てん末書(検乙九)の供述記載によると(前記第七項2)、譲渡財産の対価(代金)額が具体的に記載されておらず不明であるだけでなく、関谷証言によっても、右譲渡代金が右評価額三千万円であるとは被告人も供述しなかったかも知れないという程度であって、関谷証人は右評価額が三千万円であったので、右譲渡代金も三千万円であると理解していたと供述する。しかし、設立以来二〇年経過しているのに、被告会社が法人成り当時の右譲渡代金を長期間に亘り無期限無利息で貸付けたままにしておくというのも不自然である。右供述記載によると、右譲渡の際には譲渡契約書等は作成しなかったということであるが、被告会社の帳簿類ないし決算書類等に右貸付金の記載のないのも不自然である。右供述記載以外に、右譲渡代金を準消費貸借によって被告会社に貸付けた契約を締結した証拠や、右貸付金の存在する証拠等は、全く存在しない。前述のように、被告会社には法人成り以来顧問税理士がいたのであるから、帳簿類の整理、決算書類および法人税の申告書類の作成等の事務を取り扱っていた(第二五回公判、被告人の供述、九二三丁)。したがって、右供述記載のように、もし、被告人が右譲渡代金を被告会社に貸付けているのであれば、被告会社の帳簿類、決算書類等にその旨の記載がある筈である。前記第一〇項記載のように、当時、被告人個人から被告会社に貸付けた貸付金について、被告会社の帳簿類にその旨記載されている(弁証三三ないし三七)事実によっても、このことは明らかである。それ故、被告会社の帳簿類、決算書類等に、このような貸付けの記載がないことは、右貸付金自体がなかったことと、右貸付金を発生させた「譲渡」がなかったことを証明する客観的な裏付証拠である。したがって、右供述記載は客観性がなく信用できないことは明らかである。また、原判決が無償譲渡と認定したこと自体も誤りである。なぜなら、仮りに、無償譲渡があったとすれば、有償譲渡の場合と同様に、被告会社の帳簿類、決算書類等に被告人の個人資産を譲り受けた旨の記載がある筈だからである。これらの記載が一切存在しないのは、原判決の認定する無償譲渡もなかったことの客観的な証拠である。

一六、次に、原判決は、「被告会社では、無償で譲り受けたこれらの資産を営業の用に供して、その営業を開始したことはもとより、特に建設機械等のたな卸資産を被告会社の名で売却ないし賃貸するなど、その管理運用もすべて被告会社で行い、その収益もすべて被告会社で取得した。」旨認定する(一〇丁裏)。

しかし、右認定も「被告会社がこれらの資産を無償で譲り受けた」こと、および、「その収益も被告会社で取得した」点は誤りである。すなわち、被告人は、鈴木商店時代に組立てた個人資産であるブルドーザー、クレーン車等の建設機械を法人成り後に、被告会社に無償で使用させていたのであって、無償で譲渡したものではない。法人成り直後の被告会社の資産は、払込資本金一〇〇万円だけであって、被告人は、個人資産であるこれらの建設機械類を被告会社に無償で使用させていた。したがって、これは被告人と被告会社との間の使用貸借契約に基づくものであって、原判決が認定するような無償譲渡によるものではない。被告会社は、右使用貸借によって被告人より貸与されたこれらの建設機械等を自己使用して土木工事をしたり、あるいは、運転手付で他に賃貸し賃料収入を得ていた。後者は、被告会社が使用貸借により貸与された建設機械等を第三者に賃貸(転貸)したものである。被告会社が第三者に賃貸するのは、被告会社の所有物でなければならないわけではなく、被告人から無償で貸与されたものを、更に第三者に貸与(転貸)することも可能である。したがって、原判決が、被告会社は被告会社の名義でこれらの建設機械等を賃貸するなど、その管理運営もすべて被告会社で行い、その収益、すなわち、賃料収入を得ていたからといって、これらの建設機械等を被告人から無償で譲り受けた、と認定したのは論理の飛躍がある。被告会社は、被告人からこれらの建設機械等を無償で譲り受けなくとも、無償で貸与を受ければ、更に第三者に賃貸しすることができる。被告会社は、これらの建設機械等を大手建設会社に賃貸して得た賃料収入を被告会社の経費として費消したこともあるが、大手建設会社以外に賃貸した賃料収入を被告人個人の所有として、被告会社から被告人個人に支払ったこともある(被告人の供述、第一八回公判、六四四丁、六四五丁)。

また、原判決認定のように、被告会社がこれらの建設機械等を被告会社名義で売却したり、あるいは、新たに建設機械等を購入した際に下取りに出したこともあるが、これらの場合に、被告人は、被告会社の資金繰りをみて、右売却代金または下取り代金を原価として被告会社から受領している(同六四四丁ないし六四六丁)。これはあくまでも被告会社が被告人の個人資産を売却したり、あるいは、下取りに出したのであって、委託販売である。したがって、この点に関する原判決の前記認定は誤りである。

一七、また、原判決は、「被告人が従前個人で営んでいた建設機械等の販売や賃貸業は、その実態を失い、以後被告人の個人所得もなくなった」(一〇丁裏、一一丁表)と認定するが、右認定も誤りである。

1 すなわち、被告人は、法人成り後も引き続き、鈴木商店の営業を併行して継続していたものではないが、被告人個人名義で個人資産である機械類、部品、スクラップ等を販売したり、あるいは、鈴木商店時代に販売した機械類の割賦代金等を集金して収入および所得を得ていた(甲二の一〇二、弁証二〇九)。また、被告会社名義で売却した建設機械類、部品、資材等の営業用の個人資産についても、被告人が被告会社から逐次これらの販売原価を受領したり、あるいは、府中営業所の土地建物等の設備を被告会社に賃貸し、その賃料収入を得ていたものである(被告人の供述、第一八回公判、六四三丁ないし六五七丁)。被告人は、法人成り後も、これら個人資産の販売代金、賃料等によって、被告会社の役員報酬以外にも、相当の収入および所得を得ていた、ことは以下に述べるとおりである。

なお、被告人の個人資産であるスクラップは、法人成り後も被告会社で販売したことはなく、すべて被告人個人が現金で販売し、現金収入を得ていた。被告人が昭和四〇年頃に、被告会社が現在使用中の府中営業所(鉄筋コンクリート二階建)の建物を建築するために、右営業所の敷地に山積していた個人資産である大量のスクラップを販売し、一、八〇〇万円ないし二、〇〇〇万円位の収入を得たことがある。そのほか、貴金属等は昭和四四、五年頃までの間に、すべて被告人個人が個人資産として売却したものであって、被告会社で売却したことは全くない(同六五六丁、六五七丁)。したがって、被告人は、法人成り後も個人所得を得ていたのであって、「以後被告人の個人所得はなくなった」旨の原判決の認定は誤りである。

2 また、被告人は、法人成り後に、被告人が被告会社と併行して鈴木商店の営業を継続する意思があったなどと供述したことはない。被告人は、被告会社が鈴木商店の営業を引継いだことは認めているが、「営業の引継ぎ」すなわち「営業用の個人資産の譲渡」ではない、と供述しているのである。この点につき、原判決には誤認がある。被告人が鈴木商店時代に営業していた建設機械等の販売や賃貸業を、被告会社が引継いでいくためには、被告人の所有する営業用の個人資産である府中営業所の土地建物、右営業所内にあった什器備品等の物的設備、従業員、建設機械等を借受けたのである。府中営業所の土地建物は賃料を支払う賃借りであり、それ以外の什器備品や建設機械等は無償の使用借りである。その際、被告会社が被告人からこれらの営業用の個人資産を無償で譲渡を受けたことはなく、このような無償譲渡であることを立証する証拠は全く存在しない、ことは前述したとおりである。被告人は被告会社が鈴木商店の営業を引継いだのであるから、鈴木商店として従来の営業を併行してやっていくことは不可能であり、かつ、被告人にもその意思はなかったものである。しかし、「右営業の引継ぎ」と「被告人の営業用の個人資産の譲渡」とは全く別問題である。この点、原判決には誤りがある。前記質問てん末書の供述記載が「引継」すなわち「譲渡」(関谷証言も同趣旨)とあるのと同様に、原判決は、「営業の引継ぎ」すなわち「営業用の個人資産の譲渡」と誤認し、右質問てん末書が右譲渡を有償譲渡と供述記載していたのに、原判決は、右譲渡を無償譲渡と誤認した点が異っている。被告人は、法人成り後に、鈴木商店の従前の営業を継続していかなくとも、営業用の個人資産を引き続き所有し、順次これを売却し、金銭ないし預貯金等に転化させていったのである。したがって、「(法人成り)以後被告人の個人所得はなくなった」旨の原判決の認定も誤りである。

3 また、原判決は、「(法人成り)以後被告人の個人所得はなくなったので、被告人は昭和三六年以降所得税の申告を全く行っていない。」(一一丁表)旨認定し、この事実をもって、被告人が法人成り当時、営業用の個人資産を被告会社に無償譲渡したことの理由の一つとしている。

しかし、前述のように、この認定も誤りである。被告人は、法人成り当時所有していた一億円以上の個人資産を、被告会社に有償または無償を問わず「譲渡」した事実はなく、法人成り後も引き続き個人資産として所有し、これを順次売却処分して本件仮名預金等に転化させたものである。したがって、法人成り後に個人資産である建設機械等、資材、部品、スクラップ等を売却したことによる譲渡所得、預貯金等の利子所得等の所得のあったことは明らかである。被告人が法人成り後にも、これらの所得を得ていたことは前述したとおりである。被告人は、法人成り後に鈴木商店として被告会社と併行して営業していたわけではないから、営業所得の申告をしなかったのは当然のことである。被告人は、鈴木商店時代に取得した個人資産である建設機械等、資材、部品、スクラップ等の在庫を順次売却して現金に転化させたにすぎず、その対価を取得しただけである。したがって、被告人が法人成り後に、これらの売却によって得た所得につき、所得税の申告を怠ったという誹りは免れないとしても、これらの申告をしなかった故をもって、当時被告人に所得がなかったことにはならない。法人成り後に被告人に実質所得があったかどうかの問題は、申告所得とは別個に証拠に基づいて認定されるべきことである。

4 結局、原判決は、法人成りの際に、被告人が営業用の個人資産を被告会社に譲渡したかどうか、という問題につき、「被告人は、被告会社設立当時、その所有にかかる土地、建物を除き、他の資産をすべて被告会社に無償で譲渡した」(一一丁裏)旨認定している。しかし、本件訴訟に提出された全証拠によっても、被告人が法人成りの際に営業用の個人資産を被告会社に「譲渡」したことを認定することは、有償譲渡であっても不可能であって、原判決の認定した無償譲渡を認定する証拠は皆無である。前述のように、有償譲渡の証拠としては、前記質問てん末書(検乙九)の供述記載および関谷証言(前記第七項、第八項)があるが、これらの供述記載および証言が全く信用できないことは、前述した客観的証拠に照し明らかである。真実は、法人成りの際に、営業用の個人資産の譲渡は有償、無償を問わず一切行なわれていなかったのであって、事実上引き継がれただけである。この法律的原因は府中営業所の土地、建物の賃貸借を除けば、使用貸借であって、無償で使用を認めて引渡した(占有の移転)だけのことである。それ以外に何等の法律的手続をとった形跡は全くない。しかるに、原判決は、無償譲渡を認定する証拠は皆無であるに拘らず、あえて無償譲渡というきわめて乱暴な誤った認定をしている。このような原判決の認定はきわめて無責任である。このような杜撰な誤った認定によって、被告人らを有罪とするのはきわめて遺憾である。原判決は、第一審判決の誤った認定を破棄するのを回避するために、無理に故事付けて無償譲渡という事実を歪曲して認定している。原判決の右認定は、法律の適正な手続を保障した憲法第三一一条に違反し、かつ、「事実の認定は証拠による」という刑事訴訟法第三一七条の証拠裁判主義に違反するものである。自由心証主義は裁判官の恣意を許するものではなく、これはあくまでも証拠の存在を前提とするものであって、無証拠によって恣意的に事実を認定することを許すものではない。

第二 個人資産の譲渡と商法上の手続の欠缺について

一、仮りに、被告人が営業用の個人資産を被告会社設立と同時に被告会社に譲渡したとしても、それは前記第六点第一において詳述したように、有償譲渡であるから、現物出資(商法第一六八条)、財産引受(同条)、事後設立(同法第二四六条)および自己取引(同法第二六五条)等に関する商法所定の手続をする必要があるところ、これを経ていない本件の場合、右譲渡は無効であり、右個人資産は現在も依然として被告人個人に帰属する(控訴趣意書第三点第二参照)。

ところが、原判決は、この点につき、「現物出資、財産引受、事後設立及び自己取引が行なわれた場合において、それらが商法所定の要件を満していないときは、会社の財産的基礎を危うくし、会社の債権者を害するとともに、金銭出資をした他の株主をも害するおそれがあるので、商法は、その要件、手続き等を厳格に規定しているものの、その規定自体から明らかな如く、これらはすべて有償譲渡の場合に適用される規定であって、会社の財産的基礎を危うくすることのない無償譲渡には適用の余地がないところ、本件の場合、すでに認定したとおり、被告人は、被告会社設立当時、その所有する営業用資産一切を被告会社に無償で譲渡したものであるから、その譲渡につき、商法所定の手続きを経由していないとしても、これが無効になるものではないというべきである。」旨認定した。

しかしながら、「被告人は、被告会社設立当時、その所有する営業用資産一切を被告会社に無償で譲渡したものである」旨の原判決の認定が全くの誤りであることは、前記第六点第一において詳述したとおりである。原判決は、無償譲渡を認定する証拠が皆無であるに拘らず、第一審判決の誤った認定を破棄することを回避するのを唯一の目的として、無理に故事付けて無償譲渡という事実を歪曲して認定している。

二、しかし、原判決の右認定によっても、現物出資、財産引受、事後設立、および自己取引が行なわれた場合において、商法所定の手続を必要とするのはすべて有償譲渡の場合だけであって、無償譲渡の場合には適用の余地がないものである。そのため、被告人が法人成りの際に、営業用の個人資産を被告会社に譲渡したのであれば、その譲渡が有償譲渡であるのか、あるいは、無償譲渡であるか、が重大な問題となる。前記第六点第一において詳述したように、被告人が法人成りの際、営業用の個人資産を被告会社に譲渡した旨の証拠(被告人の質問てん末書(検乙九)の供述記載および関谷証言)はいずれも措信できず、右譲渡が行なわれた事実はなく、単に事実上の引渡(占有の移転)が行なわれ、使用貸借(府中営業所の土地建物については賃貸借)が行なわれたにすぎないものである。したがって、これらの営業用の個人資産は鈴木商店当時から法人成り後も、終始被告人個人の所有に属するものであって、被告会社の所有になったことはない。右個人資産から転化した本件仮名預金等も、被告人個人に帰属するものであって、被告会社に帰属するものではない。それ故、本件仮名預金等から発生した本件受取利息は、被告人個人の所得であって、被告会社の所得でないことはきわめて明白である。仮りに、百歩を譲り、前記質問てん末書(検乙九)および関谷証言(前記第六点第一第七項、第八項参照)にあるように、有償譲渡があったと解しても、右有償譲渡は売買であって、交換および代物弁済でないことは理論上および証拠上明白である。それ故、被告人が法人成りの際、営業用の個人資産を被告会社に有償譲渡(売買)したとしても、右譲渡は商法所定の手続を経ていないから無効であり、右個人資産は現在に至るまで被告人個人に帰属するものであって、被告会社に帰属するものではない。また、右個人資産から転化した本件仮名預金等も、被告人個人に帰属するものであって、被告会社に帰属するものではない。したがって、本件仮名預金等から発生した本件受取利息は、被告人個人の所得であって、被告会社の所得ではない。原判決が右譲渡を無償譲渡と認定したのは、明らかに誤りである。したがって、有償譲渡であれば、原判決も認めているように、次のような商法所定の手続を経る必要があり、これらの手続を経ていない本件においては、被告人から被告会社に営業用の個人資産を有償譲渡したのは無効であることが明白である。

三、まず第一に、現物出資の場合には、現物出資をする者の氏名、出資の目的たる財産、その対価、並びに、これに対してあたえる株式の額面無額面の別、種類および数、を原始定款に記載しなければ、無効であることは商法第一六八条の明定するところである。

被告会社の設立に際し、現物出資がなされたことはなく、資本金一〇〇万円が金銭出資されたことは証拠(検甲一の二八)上明らかであるから、現物出資によって、被告人の営業用の個人資産が被告会社に譲渡されたことはない(第一八回公判、被告人の供述、六四三丁)。

四1 第二に、財産引受の場合には、会社の成立後に譲り受けることを約した財産、その価格および譲渡人の氏名、をこれまた原始定款に記載しなければ、財産引受契約は無効であることは、これまた商法第一六八条の明定するところである。財産引受は、現物出資と同様に、目的物としての財産が過大に評価されると会社の財産的基礎を危うくするおそれがあり、また、法が厳格に規制をしなければ、事後設立(商法第二四六条)とともに、「現物出資に関する規定の潜脱行為として利用される弊害があるので、商法は、現物出資と同様、これを原始定款に記載し、かつ、厳重な法定の手続を経ることを要するものとし、かかる法定の要件を充した場合のみその効力を生ずる」(最高裁昭和四二・九・二六判決、民集二一・七・一八七〇)ものとしたのである。

2 したがって、商法が認めた財産引受の要件をみたしたものは、成立後の会社に当然に帰属するし、反対に、それをみたさないものは成立後の会社に帰属しない(最高裁昭和三六・九・一五判決、民集一五・八・二一五四)。また、財産引受の要件をみたさない行為は、会社設立後に追認することは許されない。したがって、商法第二四六条の事後設立の手続により、新たに財産取得の契約をするほかないのである(最高裁昭和二八・一二・三判決、民集七・一二・一二九九)。この判例は、財産引受が原始定款に記載されなかった場合につき、会社設立後に特別決議で承認されても有効とならず、また、無効の当然の結果として、当該財産引受契約のいずれの当事者も無効を主張できるものであるから、当事者は会社側だけでなく、売主側からも共に無効の主張ができることを認めている。

3 ところで、被告会社設立の際に、被告人の営業用の個人資産を被告会社に譲渡するにつき、被告会社の原始定款に所定の財産引受の記載のなされた形跡のなかったことは、証拠上きわめて明らかである。この点につき、関谷証言によると、被告人から被告会社への個人資産の譲渡については、契約書も作成されておらず、特別の手続もとっていなかったことは明白であり(第二二回公判、八三三丁、八三四丁)、また、被告人の供述によっても同様である(第一八回公判、六四三丁、六四四丁)。したがって、財産引受によって、被告人の営業用の個人資産が被告会社に譲渡されたことがない、ことは明白である。

五1 第三に、事後設立とは、株式会社がその設立後二年以内に、その設立前より存在する財産であって、会社営業のため継続して使用するものを、資本金の二〇分の一以上の対価をもって取得する契約を締結することをいい、この場合には、商法第二四五条第一項の株主総会の特別決議を経る必要がある(商法第二四六条)。事後設立の場合、株主総会の特別決議を欠く財産取得契約は、契約の相手方の善意悪意を問わず、無効である(注釈会社法(四)有斐閣一七六頁)。事後設立は、会社の設立後に、代表取締役が会社のためにする財産取得契約である。しかしながら、同じ財産を取得する契約を、会社の設立前に締結せず、会社の設立直後に財産を譲り受けることを自由に放任したのでは、財産引受に関する前述の規制の脱法手段となり資本の充実を図ろうとする法の趣旨の貫徹を期待できなくなるためである。そこで会社設立後の二年以内に限り、会社のためにする財産取得契約につき、株主総会の特別決議を要することにして、規制を及ぼそうとするのが、事後設立制度の趣旨である。前述の財産引受は、発起人が設立経過において、会社の設立を条件としてする財産取得契約であるのに対し、会社設立後、代表取締役がする財産取得契約が事後設立である。事後設立としての財産取得契約は、一般には売買であり、交換によって行なわれることもある(注釈会社法(四)一七一頁ないし一七八頁)。

2 ところで、事後設立として株主総会の特別決議を要するのは、次の三つの要件が存する場合である。

(一) 第一の要件は、財産取得契約が会社の設立登記後二年以内に締結されることである。原判決によると、「被告人は、被告会社設立当時、その所有する営業用資産一切を被告会社に……譲渡した」ものと認定したのであるから、右第一の要件をみたすことになる。

(二) 第二の要件は、取得の対価が会社資本の二〇分の一以上にあたることを要する。これはあまり重要でない財産の取得にいちいち株主総会の特別決議を要求することは必要でもなく、煩雑すぎるため、この要件を限定したものである。被告会社の設立当時の資本金は百万円であるから、その二〇分の一以上にあたる五万円以上の財産取得契約をする場合には、この要件をみたすことになる。

ところで、原判決は、「被告人は、被告会社設立当時、その所有する営業用資産の一切を被告会社に無償で譲渡した」旨認定し、財産取得の対価がいくらであるかを認定していない。法人成り当時、被告人の営業用の個人資産が一億円以上あったことを証明する客観的証拠が存在するのに、右のような認定をしたのは、原判決の重大な事実誤認である(後記第七点)。のみならず、憲法第三一条、刑事訴訟法第三一七条に違反することは前記第六点第一において述べたとおりである。前記質問てん末書(検乙九)には、法人成り当時、被告人の営業用の個人資産の価格が三千万円であった旨の供述記載があるが、この点が誤りであることは、後記第七点において詳述する。このように、法人成り当時、被告人の営業用の個人資産が一億円以上あったのか、あるいは、三千万円であったのか、問題であるが、仮りに、三千万円であったとすれば、三千万円の時価で譲渡したものと解すべきである。いずれにせよ、個人資産取得の対価が一億円以上、あるいは、三千万円であれば、被告会社の資本金百万円の二〇分の一以上であることは明らかであるから、右第二の要件をみたすことになる。

(三) 第三の要件は、取得の目的財産が、会社の設立前から存在し、かつ、会社の営業のために継続して使用すべきものであることを要する。

原判決によると、「個人所有に係る建設機械、部品、資材、スクラップ等のたな卸資産のみならず、預貯金、現金を含めたすべての営業資産を被告会社に無償で譲渡した」旨認定しているのであるが、右無償譲渡の認定が誤りであって、有償譲渡であるから、右第三の要件をみたすことになる。

3 右(一)ないし(三)記載の要件をみたす事後設立の場合には、株主総会の特別決議を経る必要があり、この決議を欠く財産取得契約は無効であることは前述したとおりである。原判決は、被告人から法人成り当時、被告会社に譲渡された営業用の個人資産について、無償譲渡である旨認定しているが、右認定が誤りであることは前記第六点第一において前述したとおりである。この点につき、関谷証言によると、右個人資産の譲渡については契約書が作成されなかったばかりでなく、被告会社の株主総会や取締役会も開催されていなかった旨の供述があり(第二二回公判、八三三丁、八三四丁)、また、被告人の供述によっても、関谷証言と同様である(第一八回公判、六四三丁、六四四丁)。

4 原判決は、被告人が法人成りと同時に被告会社に営業用の個人資産を有償で譲渡する契約がなされたことを認定しなかったが、これは、原判決がこのような有償譲渡を認定すると、商法所定の事後設立に該当し、株主総会の特別決議を経ていない本件においては、右譲渡を無効と認定しなければならず、このような認定をさけるために、前述のような無償譲渡という全く証拠を無視した故事付けの誤った認定をしているのである。しかし、原判決のような認定が誤りであることは、前記第六点第一において詳述したとおりである。

5 したがって、仮りに、法人成りと同時に、被告人から被告会社に営業用の個人資産を譲渡する契約がなされたとしても、右譲渡は有償譲渡であるから、商法第二四六条所定の事後設立に該当し、被告会社の株主総会の特別決議を経る必要があるに拘らず、右特別決議を経ていないことは前述したところから明らかであるから、右有償譲渡契約は無効である。それ故、被告人の営業用の個人資産は、法人成り後も、依然として、被告人個人に帰属するものである。

六1 次に、第四に、株式会社の取締役が自己または第三者のために会社と取引をするためには、取締役会の承認を受ける必要がある、ことは商法第二六五条の明定するところである。これは取締役がこのような自己取引をする場合には、会社の利益を犠牲にしても、取締役または第三者の利益を図るおそれがあるので、その取引の公正を図り、会社の利益が侵害される危険を防止するために、取締役会の承認を必要とする旨の規制を設けたのである。

2 本件の場合、被告人は、被告会社設立当初から被告会社の代表取締役である(検甲一の二八、第一八回公判、被告人の供述、六四四丁)。而して、前述のように、被告人は、法人成りと同時に、被告会社に営業用の個人資産を有償譲渡したのであるから、前記自己取引に該当し、被告会社の取締役会の承認が必要であったことはきわめて明白である。

3 ところが、本件自己取引につき、被告会社の取締役会の承認を受けたことについては、本件においてなんらの証拠も提出されていない。のみならず、被告人の供述によっても、本件自己取引につき被告会社の取締役会の承認を得ていないことは明らかであり(第一八回公判、被告人供述、六四四丁)、このことは関谷証言によっても裏付けられている(第二二回公判、八三四丁)。

ところで、取締役会の承認のない自己取引は無効である(最高裁昭和三八・三・一四判決、民集一七・二・三三五)から、本件自己取引もこれまた無効である。したがって、前記営業用の個人資産の所有権は、被告人から被告会社に移転せず、被告会社設立後も依然として被告人に帰属したままである。

七、而して、これらの営業用の個人資産、すなわち、建設機械、部品、資材、スクラップ等は被告人個人所有のままであるから、建設機械、部品、資材、スクラップ等の商品を売却した代金も、これまた被告人個人に帰属するものである。また、鈴木商店時代の仮名預金等はもちろん、右時代の実名預金を法人成り後に本件の仮名預金等に変更したものも、これまた被告人個人に帰属することは理論上当然のことである。また、鈴木商店時代の現金(約二、〇〇〇万円―検察官の主張によっても六〇〇万円)を被告会社設立後に、本件仮名預金等にしたものはもちろん、前記個人資産である建設機械、部品、資材、スクラップ等の商品を被告会社設立後に売却した売却代金によって本件仮名預金等にしたものも、被告人個人に帰属するものであって、被告会社に帰属するものではない。したがって、これら本件仮名預金等から発生した本件受取利息等もこれまた被告人個人の所得である。

第七点 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな審理不尽の違法があり、その結果重大な事実の誤認をしており、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するので、原判決は破棄されるべきである。

一、本件受取利息の発生源である本件仮名預金等が、被告人個人に帰属するか、あるいは、被告会社に帰属するか、が本件における最大の争点であることは、前記第六点第一第一項において前述したとおりである。本件仮名預金等が被告人に帰属すれば、それから発生した受取利息は被告人の所得であることになり、被告会社のほ脱所得ではないから、本件ほ脱罪は成立しないことになる。ところで、本件仮名預金等の帰属を確定するうえで重要な問題は、第一に、法人成りした当時、被告人が所有していた営業用の個人資産の評価がいくらであったか、ということと、第二に、右法人成りの際、被告人が営業用の個人資産を被告会社に全部譲渡したかどうか、ということである。なぜなら、本件仮名預金等の大部分は、被告人が法人成り当時所有していた営業用の個人資産およびその利息から転化したものである。したがって、法人成りの際、被告人が所有していた営業用の個人資産の評価を明らかにすることは、本件仮名預金等に転化した原資を明らかにすることができるとともに、法人成りの際、被告人が営業用の個人資産を被告会社に譲渡したかどうかを明らかにすることによって、本件仮名預金等が被告人に帰属するか、あるいは、被告会社に帰属するか、を明らかにすることができるからである。

二、ところで、本件において、本件受取利息が被告会社の所得であることにつき、立証責任を負うのは検察官である。したがって、本件受取利息の発生源である本件仮名預金等が被告会社に帰属することについても、検察官に立証責任がある。また、本件仮名預金等が被告会社に帰属することについても争いがあり、被告人は、本件仮名預金等が法人成りの際、被告人が所有していた営業用の個人資産から大部分転化したものであり、右個人資産を被告会社に譲渡したことはないと供述しているのであるから、検察官は、本件仮名預金等が被告会社に帰属することを証明するために、更に、本件仮名預金等の発生源である原資を具体的に立証する必要がある。而して、検察官の主張によると、本件仮名預金等の原資の一部が法人成りの際、被告会社に有償譲渡された被告人所有の営業用の個人資産三千万円であるから、検察官は、右個人資産の評価が右法人成りの際三千万円であったことと、右個人資産がその際、代金三千万円で被告会社に売却(有償譲渡)されたこと、の二点を立証する責任のあることはきわめて明白である。この二点につき検察官が立証責任を果すことができなかったときは、本件仮名預金等の一部の原資がなにであるか不明となり、その結果、本件仮名預金等の全部が被告会社に帰属することの証明がなかったことになり、更には、本件受取利息の全部が被告会社の所得であることの証明がなかったことになる。反対に、被告人らには、右二点の事実の不存在につき立証責任を負うものでもないし、法人成りの際、右個人資産が一億円以上あったことにつき立証責任を負うものでもない。被告人らには最初から無罪の推定があるから、検察官において右二点の事実につき証明ができなかったときには、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に則り、犯罪の証明がないものとして無罪の判決がなされるべきである。しかるに、原判決は、最初から右のような立証責任の原則を無視して、被告人らに対し事実上立証責任を転換するとともに、「有罪の推定」の下に、予断と偏見をもって、第一審判決を破棄することを回避するために、一回も事実の取調べのための公判を開かず、弁護人の証拠調べの申請をすべて却下したうえで、後記第七項記載のように、故事付けの理屈によって証拠を全く無視した事実を認定して、被告人らの本件控訴を棄却している。しかしながら、原判決の右点に関する認定が誤りであることは、以下に述べるところからきわめて明らかである。

三、第一に、法人成りの際、被告人は営業用の個人資産全部を被告会社に有償譲渡したかどうか、という問題に対し、原判決は、証拠が全くないのに拘らず、乱暴にも無償譲渡があった旨認定している。前述のように、検察官は、この点につき、有償譲渡があった旨主張し、かつ、有償譲渡した趣旨の証拠として前記質問てん末書(検乙九)の供述記載および関谷証言(第二二回公判、五二五丁、五二六丁)が存在するだけである。

これに対し、原判決が認定した無償譲渡を認める証拠は全く存在しない。したがつて、原判決には、証拠裁判主義に違反し、証拠に基づかずに事実を認定した違法がある。この点については、前記第六点第一において前述したとおりである。

このように、無償譲渡を認定する証拠が本件においては皆無であるに拘らず、原判決は、なぜこのような乱暴な無証拠に基づく認定をしたのか問題であるが、その答は次のとおりである(前記第六点第一第五項参照)。前記第六点第二において詳述したように、検察官の主張、立証する有償譲渡の場合には、現物出資、財産引受、事後設立、自己取引等に関する商法所定の手続を経る必要があるが、本件においていずれも右手続を経ていないことが証拠上明白であって、本件の有償譲渡は無効である。したがって、前記営業用の個人資産は鈴木商店時代から現在まで継続して被告人個人所有のままであり、これらの資産から転化したものと認められる本件仮名預金等も被告人個人に帰属することになる。弁護人は、原審において控訴趣意第三点第二において、この点を主張したものである。ところが、原判決は、本来なら右理由によって第一審判決を破棄すべきであったのに、逆に、「無償譲渡」を証明する証拠が皆無なのに拘らず、恣意的に故事付けて無償譲渡という歪曲した事実を認定し、第一審判決を破棄することを回避している。原判決のこのような乱暴な認定は、第一審判決の誤った認定を回避することを唯一の目的としてなされたものであって、何人をも納得させるものではなく、著しく正義に反するものであって、被告人らはもとより弁護人としても絶体に承服できないものである。

四、第二に、前記営業用の個人資産が有償譲渡された場合には、右個人資産の評価が重要であることは前述したとおりである。右個人資産の評価を明らかにすることによって、本件仮名預金等に転化した原資を明らかにすることができるからである。具体的な原資の内容を立証する責任が検察官にあることは前述したとおりである。そのため、本件捜査当時、右個人資産の評価に関し、査察官と被告人との間で見解が対立し、議論のあったことは原判決も認定するとおりである。すなわち、具体的には、法人成り当時、被告人が所有する営業用の個人資産は、一億円以上あったと主張する被告人と、三千万円に減額させようとする査察官とが対立し、査察官は被告人に対し、右個人資産が一億円以上あったのを減額して三千万円であったことを認めれば、本件仮名預金等から三千万円を返還する旨の偽計に基づく約束をしたり(前記第三点)、あるいは、右の事実を認めさせるために脅迫的な取調べをしている(前記第四点)。

第一審に提出された客観的な証拠資料を精査し、審理を尽しておれば、被告人の右個人資産が三千万円であったという前記質問てん末書(検乙九)の供述記載が全く根拠がなく、具体性も客観性なく、実際には一億円以上あったという被告人の供述が客観的事実に吻合することを明らかにすることができたのである。ところが、第一審判決は、右個人資産については、「かなりの年月が経過しこれを証するに足る客観的な資料も存在しないので、必ずしも明らかでない」(一二丁表)旨認定し、右個人資産の評価をさけている。この認定は明らかに立証責任を無視するものである。本件仮名預金等の原資の一部である右個人資産三千万円の存在が証明できなかったのであるから、本件仮名預金等が被告会社に帰属することの立証もできなかったわけである。したがって、「疑わしきは被告人の利益」の原則に従い、無罪の判決をすべきであった。そこで、弁護人は、第一審判決が右個人資産の評価をさけたのは審理不尽の違法があるので破棄されるように求め控訴趣意第四点においてこの点を主張した。更に、弁護人は後述のように、右評価のために、事実の取調べをしてもらうべく新たな証拠申請をしたのに拘らず、原審は、右証拠申請をすべて却下し、一回の事実取調べも行なわず、僅か一回公判を開いただけで控訴を棄却している。原審は本来なら右個人資産の評価に関し事実の取調べを行ない、検察官の主張する本件仮名預金等の原資である三千万円が認られるのか否かにつき具体的な認定をすべきであったのに、前記質問てん末書(検乙九)記載の三千万円という評価額が全く根拠のないものであることが明らかであり、そのため、右個人資産の評価をさけることによって第一審判決を破棄することを回避するために、前述のような無償譲渡という故事付けの歪曲した事実を認定したのである。原判決のこのような無償譲渡という認定は、第一審判決の誤った認定を回避することを唯一の目的としてなされたことはきわめて明らかであって、何人をも納得させるものではなく、著しく正義に反するものであって、被告人らはもとより、弁護人も絶体に承服できない。

五、本件仮名預金等の帰属を確定するためには、立証責任の原則からいっても法人成り当時、被告人の営業用の個人資産の評価がいくらであったか、を確定することは重要な問題である。既に第一審に提出されている客観的な証拠資料を精査し、審理を尽しておれば、被告人の右個人資産が一億円以上存在したことを明らかにすることができた筈である。本件仮名預金等の大部分は、被告人が法人成り当時所有していた一億円以上の個人資産およびその利息から転化したものであるから、法人成り当時における被告人の右個人資産の評価を確定することは、本件仮名預金等の発生源である原資を明らかにするうえで、さけて通ることのできない問題である。

ところで、被告人は、本件査察事件の捜査当時から、法人成り当時の右個人資産が一億円以上存在したと主張し、それを裏付けるための証拠資料を国税局に持参して任意提出し、その一部を領置してもらっている(弁証二〇)。しかるに、査察官は、これらの客観的証拠を精査し、被告人より事情聴取をすることによって、右個人資産の評価をすることをさけ、なんらの裏付捜査もやらず、かつ、なんらの根拠もないのに、被告人に対し種々の約束による働きかけや脅迫的取調べをすることによって、右個人資産一億円以上あったという主張を撤回させ、右個人資産が三千万円であった旨の前記質問てん末書(検乙九)を作成したのである(前記第三点、第四点、第五点第五項)。

ところが、右個人資産が三千万円であったという供述記載自体、何等の根拠もなく、きわめて客観性に欠けるものであって、かつ、具体的でもなく、信用できないものである。法人成り当時、被告人の右個人資産が右質問てん末書の記載どおり三千万円の評価であったことを証明する客観的かつ具体的な証拠は全く存在しないだけでなく、査察官は、この点につき全く裏付け捜査を行っていないことを自認している(関谷証言、第二二回公判、八二四丁、八二五丁)。本件仮名預金等が被告会社に帰属することを立証するためには、本件仮名預金等に転化した原資がこれまた被告会社に帰属することを立証する責任が査察官ないし検察官側にある筈である。そのため、第一審判決は右質問てん未書の供述記載を信用せず、「法人成り当時の被告人の個人資産の状況、特に純資産の額については、かなりの年月が経過しこれを証するに足る客観的な証拠も存在しないので、必ずしも明らかでない」(一二丁表)旨認定し、法人成り当時の右個人資産の評価をさけたのである。すなわち、第一審判決さえ、法人成り当時における右個人資産の評価が三千万円であつたことを認定できなかったためである。

六、そこで、弁護人は、第一審判決が右個人資産の評価をさけたのは審理不尽の違法があるので、既に第一審に提出された客観的な証拠資料を精査し、審理を尽していれば、被告人の右個人資産が一億円以上存在したことを明らかにすることができたのであって、この点を控訴趣意第四点において詳細に主張するとともに、更に、原審第一回公判期日(昭和五八年一〇月一七日)に、右の点を補充する客観的な証拠として左記証拠調べの申請をした。

1 記録照会の申請(同日付記録照会の申請書参照)

(一) 照会記録の所持者

多摩中央信用金庫本店

(二) 照会記録の標目

(1) 預金者被告人の普通預金元帳(自昭和三二年三月頃から至同三九年八月頃)および右普通預金申込書

(2) 被告人に対する貸付禀議書(自昭和三五年一月至同三六年一二月)

(3) 依頼人被告人より約束手形の取立を依頼した際の「他所代金取立手形記入帳」(自昭和三〇年一月一日至同三六年一二月)

(4) 預金者被告人の当座預金元帳(自昭和三二年一一月頃至同三六年三月頃)

(三) 立証趣旨

法人成り当時の被告人の個人預金額(前記質問てん末書「検乙九」記載の四百万円位ではなく、それ以上に多額であったこと)、および、右法人成りに際し、被告人の個人預金を被告会社に譲渡した事実のないこと(法人成り後も被告人は普通預金および当座預金をしていたこと)を立証する。

而して、被告人は、第一審審理当時、鈴木商店時代から普通預金および当座預金をしていた多摩中央信用金庫に対し、右当時の預金関係の書類の有無を照会していたのであるが、右金庫の担当者から既に廃棄している筈であるから存在しないだろうとの回答を得ていたため、第一審において右のような証拠申請をしなかったものである。しかし、被告人は、納得せず、その後も再三に亘り右金庫の担当者に前記書類の有無を保管場所に当って現実に調査してくれるように依頼していたところ、第一審判決後になって、前記照会記録の標目に掲げた書類だけが焼却を免れて現存していることが判明した。そこで、被告人は、原審第一回公判期日において、前述のように記録照会の申請をしたのである。したがって、これらの照会記録は、「やむを得ない事由によって第一審の弁論終結前に取調べを請求することができなかった証拠」である。

2 証人尋問の申請(同日付証拠調請求書参照)

(一) 証人の氏名および地位

(1) 桑田茂平

右申請当時多摩中央信用金庫の本店長であって、被告会社が法人成りする直前頃まで右本店の預金担当者として、被告人個人から預金の受入事務を直接担当していた者である。

(2) 大森泰彦

右申請当時右金庫総合企画室長であって、右法人成り前後に右金庫本店の融資担当者として、被告人の拘束性預金(事実上の担保)を把握していた者である。

(3) 岩瀬東海林

右申請当時右金庫集中管理部次長であって、昭和三〇年頃から同三七、八年頃にかけて、右金庫本店および国立支店の預金担当者として、被告人夫婦から直接預金の受入事務を担当していた者である。

(4) 市倉栄

右申請当時右金庫昭島支店長であって、右法人成り直前頃から昭和四一年頃まで右金庫本店の預金および貸付担当者として、被告人夫婦から直接預金の受入事務を担当し拘束性預金を把握していた者である。

(二) 立証趣旨

被告人が法人成り当時右金庫に預金していた預金額を前記1記載の照会記録に基づいて証言し立証する。

右証人は、いずれも法人成り前後頃に被告人が預金ないし借入れをした際の右金庫の担当者であって、前記照会記録の存在することが明確になったため、右記録に基づいて証言をしてもらう必要が生じたものである。

右記録の照会をなし、右記録を証拠資料として原審に提出し、右記録に基づいて右証人調べを実施しておれば、法人成り当時における被告人の預金額が前記質問てん末書(検乙九)の供述記載である四百万円位ではなく、したがって、法人成り当時の被告人の右個人資産の評価額が三千万円程度ではなく、一億円以上存在したことを立証することができた筈である。原審は、法人成りの際、右個人資産がすべて被告会社に無償譲渡されたという誤った考えの下に、右証拠調べの請求をすべて却下した。しかし、原判決が無償譲渡と認定したのは誤りであることが明らかである(前記第六点第一)から、原審が右証拠調べの請求を却下したのは審理不尽の違法が存する。

七、本件仮名預金等は、その大部分が法人成り当時、被告人が所有していた営業用の個人資産およびその利息から転化したものであるから、本件仮名預金等の帰属を確定するためには、法人成り当時、被告人が所有していた右個人資産の評価を確定することが重要であることは前述したとおりである。

ところが、原判決は、この点につき、「被告会社設立当時、被告人がその所有する営業用資産の一切を被告会社に無償で譲渡したものであることは、すでに認定したとおりであって、その当時における右譲渡にかかる営業用資産の評価額が確定されなければ、本件仮名預金等の帰属が決し得ないとは到底いえない」旨認定している(二三丁表)。しかし、原判決の右認定が誤りであることは再三述べたとおりである。右のような無償譲渡を認定する証拠は皆無であって、無償譲渡を認定した原判決が誤りであることは前記第六点第一において述べたとおりである。被告人は、法人成りの際、右個人資産を被告会社に譲渡したことはなく、単に賃貸し(府中営業所の土地建物)ないし使用貸し(不動産以外の営業用の個人資産)したにすぎないことも前述したとおりである。また、仮りに百歩を譲り、被告人が法人成りの際、右個人資産を被告会社に譲渡したものであるとしても、右譲渡は原判決の認定するような無償譲渡ではなく、有償譲渡(売買)であることも前述したとおりである。いずれにせよ、原判決の認定するような無償譲渡でないことは明らかである。

八、法人成り当時、被告人が所有していた営業用の個人資産は、不動産(府中営業所の土地建物)を除外しても、検察官の主張する三千万円ではなく、被告人の供述するように少くとも一億円以上存在したことは、本件において取調べた客観的な証拠資料を精査し、審理を尽しておれば容易に認定することが可能であった。

すなわち

1 第一に、被告人は、昭和二四、五年頃から同二九年頃に鈴木商店として独立するまでの四、五年間に、通訳としての収入の外に、当時の金額で数百万円の収入を得ていたことは明らかであり、鈴木商店として独立した昭和二九年頃には、数百万円の資金を有するに至っていたものである(後記第九項参照)。

2 第二に、被告人が昭和二九年頃に鈴木商店として独立し、以来同三五年一〇月被告会社を設立して法人成りするまでの約七年間に及ぶ鈴木商店の営業内容、収入、および所得の概要を検討することによって、法人成り当時、営業用の個人資産が一億円以上存在したことを明らかにすることができる(後記第一〇項参照)。

3 第三に、被告人が鈴木商店時代に製作して販売したブルドーザー、フォークリフトおよび鈴木式シャベルローダー、同じく販売したトレーラー、自動車類およびこれらの部品、資材、スクラップ等の商品の販売数量、代金額、利益等を明らかにすることによって、法人成り当時における被告人の営業用の個人資産が一億円以上存在したことを裏付けることが可能である。その詳細は、控訴趣意書第四点第六項ないし第一〇項に記載したとおりであるので援用する。

4 第四に、被告会社設立時における被告人らの預貯金が前記質問てん末書(検乙九)記載のように、多くとも四〇〇万位円ではなく、少くとも一、八〇〇万円以上あったことを、仮名・無記名預金の発生状況から裏付けられる。その詳述は、控訴趣意書第四点第一一項記載のとおりであるので援用する。

法人成り当時における仮名・無記名預金の発生状況は、弁護人が原審において証拠調べを申請した前記第六項記載の記録照会および証人調べを実施することによって明らかにすることができたのである。このように、仮名・無記名預金の発生状況並びに前記第三(右3)の商品の販売状況とを併せると、法人成り当時における被告人の営業用の個人資産が一億円以上あったことを裏付けることができる。

5 第五に、法人成り当時における被告人の営業用の個人資産が、検察官の主張および前記質問てん末書(検乙九)記載の三千万円位ではなく、被告人の供述するように少なくとも一億円以上存在したことを具体的な証拠に基づいて計算することができる(後記第一一項参照)。

九、被告人は、昭和二四、五年ころから昭和二九年ころに鈴木商店として独立するまでの四、五年間に、米軍立川基地の通訳をしていたが、右通訳時代にも、副業的に米軍に対する業者の許可申請手続の代行や交渉等をやったり、あるいは、トラックを使用して埋設物や野菜等の運送をやったりして、通訳の収入以外にも、相当多額の報酬や収入等を得、右収入等は少なくとも数百万円以上あったことは明らかであり、鈴木商店として独立した当時には、数百万円の資金を所有するに至っていたものである(第一七回公判、被告人の供述、五五五丁ないし五五七丁)。右の事実は、左記証拠によっても裏付けられる。

1 被告人は、昭和二六年一二月二六日、石井一からトラックを賃借し、その借用賃五万円を支払っている(弁証一四)。被告人は、通訳時代の昭和二六年ころに、副業的にトラックを使用して旧陸軍の埋設物を運搬したり、あるいは、野菜などを野菜市場まで運搬する運送業を営み、相当の収入を得ていたものである(第一八回公判、被告人の供述、五九一丁、五九二丁)。

2 また、被告人は、新潟市在住の永原修等から旧軍隊の埋設物の発堀許可申請手続の代行を依頼され、その報酬の支払のために、昭和二八年一二月二五日、約束手形四通(弁証五)額面合計五〇万円の振出交付を受けている。その際、右手形の支払を担保するために、担保権を設定する目的で、被告人は永原修等から船舶登記薄謄本(弁証一五)を受領している。被告人は、永原修等から報酬としてこの手形金に相当する金五〇万円を受領している(第一八回公判、被告人の供述、五九三丁、五九四丁)。

3 また、被告人は、サイトウジュンジュから旧陸軍所有の埋蔵物の発堀許可申請手続の代行を依頼され、昭和二七年二月頃、右発堀許可申請の書類(弁証三)を作成したり、右許可申請手続を代行し、その謝礼として当時金五〇万円を受領している(前記五五八丁)。

4 また、被告人は、昭和二八年一一、一二月頃、高橋株式会社三鷹支店長アダチタケオからグリーンパーク基地内の廃品処理業務の許可申請手続の代行を依頼され、右基地建設指揮官宛の廃品処理サービス願関係の書類(弁証四)を作成したり、右許可申請手続を代行し、その際にも相当多額の謝礼を受領している(前記五五七丁、五五八丁)。

5 また、被告人は、昭和二九年四月頃、田口一郎から石けんの原料(ラード)の払下げを米軍から受ける申請手続の代行を依頼され、その代行業務を行なったが、その謝礼として同人から同年五月一日振出の額面五〇万円の小切手(弁証六)を受領している(前記五五九丁、五六〇丁)。

6 また、被告人は、右通訳時代に、木村建設株式会社のために、米軍から廃品払下げ業者の許可申請手続を代行し、右許可を得させている。「軍基地不用品回収事業損益目論見書」(弁証一七)は、昭和二九年初め頃に、右会社がその資金の一部二一九万円を埼玉銀行より融資を受けるために作成した「事業概要書」、「資金繰表」、「一ヶ月当り営業収支目論見表」である。右書面によると、昭和二九年四月から同三〇年三月までの一年間の契約期間で、契約価額二、一一〇万円、作業開始時までに保証金として二〇%相当の四二二万円を支払い、以後毎月利益金に相当する一七五万八千円を納入するという契約内容である。すなわち、一ヶ月の収益が一七五万七千円であるから、一年間で当時の価額で二、一〇八万四、〇〇〇円という莫大な利益を算出することになる計算である。「一ヶ月当り営業収支目論見表」の収入の部欄に「鋼材五〇〇貫四五、〇〇〇」円と記載されているので、鉄のスクラップは一トン当り二二、〇〇〇円となり、鈴木きみ子証言(第二六回公判、九五五丁ないし九五八丁、九六四丁ないし九六七丁)が正しいことが裏付けられる。被告人は、昭和二九年に鈴木商店として独立するに際し、木村建設株式会社に慰労金および給料未払分として、一、一一五、〇〇〇円の支払いを請求し(弁証八)、該金員の支払いを受けている(前記五六〇丁ないし五六二丁)。

7 以上の次第であって、昭和二四、五年から同二九年頃まで四、五年の間、被告人が立川基地で通訳をやっていたときに、被告人は通訳の収入の外に、当時の金額で既に少なくとも数百万円以上の収入を得ていたことは明らかであり、鈴木商店として独立した昭和二九年頃には、数百万円の資金を有していたのである。

一〇、次に、被告人は、昭和二九年に通訳をやめて鈴木商店を開業して独立し、爾来昭和三五年一〇月被告会社を設立して法人成りするまでの約七年間、鈴木商店を経営してきたものである。鈴木商店の営業内容は、右独立以来昭和三二年ころまでの前半と、同三三年ころから法人成りするまでの後半とで段階的に変化している。すなわち、右前半では、主としてトレーラー、トラック、バス、乗用車、オートバイ等の車輛類および航空機のエンジン等の払下げを受け、これを解体して、部品毎に分類して販売し、部品として販売できないものは、スクラップとして分類して販売していたものである。ところが、右後半では、右のような車輛類および航空機のエンジン等の払下げ、解体、販売の外に、フォークリフト、ブルドーザー、トラック・クレーン等の払下げを受けて、これらの組立およびフォークリフトの部品による鈴木式シャベルローダーの組立並びにこれら組立てた機械類の販売、賃貸しなどをやるようになり、更には、組立てたブルドーザーを使用して建設工事の請負業を兼営するようになり、段階的に変化してきている。

このように、鈴木商店の営業内容は、段階的に変化してきている。したがって、鈴木商店時代の被告人の収入および所得は、昭和二九年ころから同三二年ころまでの前半よりも、昭和三三年以降法人成りの昭和三五年一〇月ころまでの後半の方が増大している。この間に、被告人が蓄積した現金、預貯金、建設機械、資材、部品等の商品を含む個人資産は、検察官の主張するような三千万円程度のものではなく、被告人が供述しているように、少なくとも一億円以上存在していたものである。以下この点を概括的に明らかにする。

1 先ず、昭和三二年一月から同年一〇月までの間の鈴木商店の営業の概要は、当時被告人の妻鈴木きみ子が記載していた金銭出納帳(弁証二九)、作業日誌(弁証三〇)、昭和三二年(一九五七)日記兼用模範家計簿(弁証二〇六)、被告人作成の陳述書(弁証二一一)、同女作成の第一陳述書(弁証三八)および第二六回公判における同女の証言等によって明らかである。

右期間に、被告人が米軍から払下げを受けた物品およびこれらを解体して販売した物品は、各種の自動車類、トレーラー、B二九のエンジン、鉄および鋳物(故銑)等のスクラップ、鉛、真鋳、銅、砲金等の非鉄金属(所謂光り物)、発電機、電機部品、バッテリー、タイヤ、エンジン、ラジエター、ヒーター、その他の自動車用部品、プラスチック、ジュラルミン、ステンレス、銅線、ラジオ、薪等である、その詳細は控訴趣意書第四点第六項ないし第一〇項に記載したとおりである。

前記証拠によって明らかなように、被告人は、鈴木商店として独立した昭和二九年ころから同三二年ころまでは、主として、トレーラー、トラック、バス、乗用車、オートバイ等の車輛類、航空機のエンジン等の払下げを受け、これを解体して、部品毎に分類して販売し、部品として販売できないものは、スクラップとして分類して販売していた。したがつて、当時の被告人の収入は、これら部品およびスクラップ類の販売代金である。その収入の明細は、弁論要旨添付の別紙資料一記載のとおりである。すなわち、右別紙資料一-一によると、被告人の昭和三二年度一年間の売上金四一、五八九、二七二円、仕入代金二四、九六五、三八四円、売買利益金一六、六二三、八八八円、販売費および一般管理費金一、七六一、三九〇円、差引純利益(所得)金一四、八六二、四九八円となる。右の計算は、先ず、金銭出納帳(弁証二九)によって、自昭和三二・一・一至同三二・一〇・三一までの一〇ヶ月の実額による売上金(右資料一―二)仕入金(右資料一―三)、販売費および一般管理費(右資料一―四)を算出した(別紙資料一―一の<1>欄参照)が、右金銭出納帳(弁証二九)には、被告人が同年八月三〇日北田商店に売却した鉄のスクラップ一〇〇トン(代金は一トン当り二万円位であったので約二〇〇万円)の代金の収入があった(作業日誌、弁証三〇)の記載がもれになっているので、右代金二〇〇万円を売上金に加算して修正し、これに伴なって、仕入金、売買利益、販売費および一般管理費、および差引純利益を夫々修正したものが、右資料一―一の<2>欄記載のものである。これを更に年換算(一二ヶ月分)すると、売上金二一、五八九、二七二円、仕入金一四、九六五、三八四円、売買利益六、六二三、八八八円、販売費および一般管理費一、七六一、三九〇円、差引純利益四、八六二、四九八円となる(右資料一―一の<3>欄参照)。これが当時の一年間の所得金額である。ところが、このほかに、被告人は、昭和三二年九月一三日北田商店に鉄のスクラップ一千トンを売却している(弁証三〇、弁証二〇六)ことが明らかである。この代金は当時の相場一トン当り二万円(前記第九項6参照)で計算すると約二千万円となる(控訴趣意書第四点第一〇項4参照)。これは前記八月三〇日売却の鉄のスクラップ一〇〇トンと同様に、前記金銭出納帳(弁証二九)には記載もれとなっている。そこで、別紙資料一―一<4>欄で、右代金二、〇〇〇万円を売上金に加算して修正し、これに伴って仕入金、売買利益、販売費および一般管理費並びに差引純利益(所得)を前記のとおり修正したものである(右別紙資料一―一の<4>欄参照)。以上の次第であるので、昭和二九年ころの鈴木商店開業以来昭和三二年ころまでの約四年間は、少なくとも毎年右別紙資料一―一記載の程度の収入および所得を得ていたのであろうことは、容易に推認できる。そのほかに、払下げを受けた物資のうちで、他に販売されずに在庫として蓄積されたものが増大していったことも、これまた写真(弁証二、弁証一八)等によって容易に推認できる。

2 次に、昭和三三年度の鈴木商店の営業内容は、同じく当時被告人の妻鈴木きみ子が記載していた作業日誌(弁証三一)、家計簿(弁証三二)、および同女作成の第二陳述書(弁証三九)によって明らかである。

これらの証拠によると、右年度に被告人が米軍から払下げを受けた物品は前年度と大体同じものであるが、従来の販売商品の外に、フォークリフト、ブルドーザー等の機械類の組立およびこれら機械類の製品の販売を始めていることが判明する。その詳細は控訴趣意書第四点第六項ないし第一〇項記載のとおりである。

すなわち、右作業日誌(弁証三一)の一月二日の欄に、「H外まわりブルドーザー売込」の記載があり、鈴木商店が払下げを受けたブルドーザーの部品を組立てて製造したブルドーザーの第一号と思料される(弁証三九の第五項)。また、右作業日誌の二月一〇日の欄に、「萩原氏ブルドーザー売買成立、百万円受領(夜十時)」の記載があり鈴木商店が組立て製造したブルドーザーを、萩原の紹介で村山商店に売却し、手附金百万円を受領している(弁証三九の第一七項、第二四項、第三一項)。

また、右家計簿の三月九日の欄に、「フォークリフト組立」の記載があり、鈴木商店が払下げを受けたフォークリフトの部品を使用してフォークリフトを組立てたものであって、フォークリフトの組立はこの頃から始めたことが判明する(弁証三九の第二二項)。また、右家計簿の四月一一日の欄に、「フォークリフト初貸する」の記載があり、鈴木商店が自分で組立てたフォークリフトを、初めて他社に賃貸したことが判明する。その後、被告人は、フォークリフトにバケット等を取り付けて、所謂「鈴木式シャベルローダー」を組立て販売するようになったのである(弁証三九第二六項)。

このように、昭和三三年度は、前年に比較し、払下げ物資の販売の外に、大量のトレーラーを販売(控訴趣意書第四点第八項参照)したり、あるいは、フォークリフトやブルドーザー等の機械の組立てによる販売を行なっており、被告人の収入および所得は、前年度に比較して飛躍的に増大したことが理解できる。

3 次に、昭和三四年度については、前記1、2記載のような作業日誌や金銭出納帳が発見されていないため、右年度の鈴木商店の営業内容の詳細を明らかにすることができないが、前年度と略々同様の営業をやっていたことは間違いないものと思料される(被告人の供述、第一七回公判、五六六丁ないし五八八丁、第一八回公判、五九六丁ないし六一八丁、鈴木きみ子証言、第一一回公判、三八一丁ないし三九二丁、弁証三八、弁証三九)。右年度についても鈴木きみ子は、作業日誌や金銭出納帳等を記載していたが、長年月の間に破棄したためか、現在発見されていない。ただし、同女が当時記載していた手帳(弁証一)および日記兼用家計簿(一九五九)(弁証二〇七)が発見されて証拠として提出されているが、右手帳には、鈴木商店が販売したブルドーザー、鈴木式シャベルローダー、フォークリフト等機械類の割賦販売代金(主として約束手形)の入金予定が記載されており、同年度中に販売した機械類の台数や代金額を推認することが可能である(弁証三九第五七項、鈴木きみ子証言、第一三回公判、五一三丁ないし五二一丁)。また、右日記兼用家計簿(弁証二〇七)および陳述書(弁証二一一)によると、鈴木商店が販売した鈴木式シャベルローダー、フォークリフト、CT9、TD9、ターグ、トレーラー等機械類の販売先、納入年月日が記載されており、前記手帳(弁証一)の記載と一致するだけでなく、鈴木商店が右機械類以外にドラム罐、鋳物、光物等のスクラップ、トラック、乗用車、ベアリング等を販売していたこと、更には、ブルドーザーD8、D4等を仕入れていたことが明らかである。

昭和三四年度中に鈴木商店が販売した前記機械類の台数および代金額の明細は、弁論要旨添付の別紙資料二の「ブル等割賦入金予定表」記載のとおりである。右手帳(弁証一)の入金記載によると、鈴木商店が昭和三四年度において、機械類の割賦販売によって得た割賦販売代金は、右手帳に記載された実額、およびこれに記載もれや明らかな誤記等を訂正した金額によると右別紙資料二記載のとおりである。すなわち、実額合計一〇、〇一一、四五〇円、推計代金額金七、八〇六、三二〇円であって、両者を合算した推計割賦販売代金は、金一七、八一七、七七〇円となる(右資料二の合計が一七、七五九、〇七〇とあるのは誤記であって、正しくは前記合算額である)。更に、この年度には、従来の年度と同じように、機械、自動車等の部品、スクラップ等の販売代金があったわけであるから、昭和三四年度の鈴木商店の収入および所得は、商品の在庫を除外しても、少なくとも、前記別紙資料一―一の<3>欄記載の売上代金二一、五八九、二七二円、差引純利益(所得)四、八六二、四九八円に、右別紙資料二の推計割賦販売代金一七、八一七、七七〇円を加算した金額以上であったことは確実である。

4 次に、昭和三五年度については、被告会社設立前の同年一〇月一七日までの鈴木商店の営業内容を明らかにする作業日誌や金銭出納帳が発見されていないため、その詳細を明らかにすることはできない。しかし、前年の昭和三四年度と略々同様の営業をやっていたことは間違いないところである。ただし、同女が被告会社設立以後の収支を記載した金銭出納帳(甲二の一〇二)および一九六〇日記家計簿(弁証二〇八)が存在し、そのなかに、鈴木商店時代に売却したブルドーザー、鈴木式シャベルローダー、フォークリフト等機械類の販売先、納入日、割賦代金収入の記載があるので、右記載によって、鈴木商店が昭和三五年度に販売した機械類の種類や台数等を推認することができる。而して、昭和三五年度に鈴木商店が販売した機械類の台数および代金額の明細は、弁論要旨添附の別紙資料三の「ブル等入金額一覧表」記載のとおりである。右年度中には、それ以外に販売したものがあると推測されるが、残念ながら証拠がないので、証拠のあるものだけに限定せざるを得ないことになる。そうすると、昭和三五年度(ただし法人成り前日の一〇月一七日まで)の鈴木商店の収入および所得は、前記別紙資料一―一の<2>欄記載の売上金一七、九九一、〇六〇円、差引純利益(所得)金四、〇五二、六八六円に、右別紙資料三の収入金額およびこれから推計される純利益金を加算したものとなる。

5 被告人は、鈴木商店時代に合計約三〇台のフォークリフトの払下げを受け、内一四、五台を組み立てたり、改造したりして、フォークリフトまたは鈴木式シャベルローダーとして販売している。販売したシャベルローダーのうち、証拠上明確なもの(前記別紙資料二ないし四参照)は一三台であり、被告人の供述とも略々一致する(第一七回公判、被告人の供述、五七二丁ないし五七四丁)。これらはいずれも鈴木商店時代に販売したものであって、被告会社設立後に販売したものではないから、その販売代金は被告人個人に帰属するものである。被告人がフォークリフトを払下げたときの払下げ原価は一台当り五、六万円位であり、これを組立てたり、改造したりして販売するときの販売価額は、フォークリフト一台当り四〇万円ないし五〇万円、鈴木式シャベルローダー一台当り一三〇万円ないし一五〇万円位であり、右機械については一台当り少なくとも一〇〇万円以上の利益が出たのである(第一七回公判、被告人の供述、五七一丁ないし五七三丁)。したがって、被告人が販売した一三台の右シャベルローダーの代金は約一、七〇〇万円ないし二、〇〇〇万円位であるから約二、〇〇〇万円弱であったと推認され、そのうち純利益(所得)は約一、五〇〇万円位と推認される。これらの機械類の具体的な内容については、控訴趣意書第四点第六項以下において詳述したとおりである。

結局、被告人が昭和二九年ころから昭和三五年一〇月一八日の法人成りまでの約七年間に売却した機械類の推計販売代金は、弁論要旨添附の別紙資料七記載のとおりである。右推計販売代金に、前記別紙資料一の販売代金の七年間分を加算したものが、右七年間の総販売代金額になる。これから販売原価や一般管理費等の経費を控除したものが被告人の所得となるわけであるが、それは同別紙資料八記載のとおりである。これによっても、昭和三五年一〇月の法人成り当時における被告人の営業用の個人資産が一億円以上存在したことを推定できる。

一一、被告会社設立当時の個人資産の評価

1 次に、法人成り当時、被告人の営業用の個人資産が前記質問てん末書(検乙九)記載の三千万円であったか、被告人の主張する一億円以上であったか、を具体的証拠に基づいて計算すると次のようになり、一億円以上存在したことは明らかである。

(一) まず、被告人の妻鈴木きみ子が記載していた昭和三二年一月から同年一〇月までの金銭出納帳(弁証二九)の取引をその実額によって仕訳し、作成したのが弁論要旨添付の別紙資料一―一の<1>欄記載の損益計算書である。この損益計算書は現金主義のまま作成されており、発生主義に修正されていない。右<1>欄の売上一五、九九一、〇六〇円の内訳は、右資料一―二の「自三二・一・一至三二・一〇・三一、鈴木光個人事業の売上表」記載のとおりである。また、右<1>欄の仕入一一、四七〇、五四九円の内訳は、右資料一―三の「自三二・一・一至三二・一〇・三一、鈴木光個人事業の仕入表」記載のとおりである。次に、右<1>欄の販売費および一般管理費一、四六七、八二五円の明細は、右資料一―四の「自三二・一・一至三二・一〇・三一、鈴木光個人事業の販売費及一般管理費明細表」記載のとおりである。結局、右一〇ヶ月間の純利益は、三、〇五二、六八六円となる。

(二) ところが、前記金銭出納帳(弁証二九)には、作業日誌(弁証三〇)の八月三〇日の欄に記載されている、鉄のスクラップ百トンを(株)北田商店に売却したのが、記載もれになっている(控訴趣意書第四点第一〇項1(六)参照)。当時鉄のスクラップ百トンの販売代金は二百万円であるので、これを売上二百万円と仕入原価百万円に仕訳し、前記<1>欄に加算して修正した損益計算書が、右資料一―一の<2>欄記載のものである。差引純利益が百万円増加して四、〇五二、六八六円となる。

(三) 右の純利益は、昭和三二年一月から一〇月までの一〇ヶ月間のものであるので、これを単純月数按分法により年換算をすると、一年間の純利益は四、八六二、四九八円となり、年換算による損益計算書は右資料一―一の<3>欄記載のものである。

(四) ところが、前記金銭出納帳(弁証二九)には、作業日誌(弁証三〇)および模範家計簿(昭昭三二年)(弁証二〇六)(弁証二一一第四項3)の九月一三日の欄に記載されている鉄のスクラップ一千トンを(株)北田商店に売却したのが記載もれになつている。当時鉄のスクラップ一トンの販売代金は二万円以上であったから、一千トンの販売代金は二、〇〇〇万円以上となる(控訴趣意書第四点第一〇項4、5参照)。これを売上二、〇〇〇万円と仕入原価一、〇〇〇万円に仕訳し、前記<3>欄に加算して修正し、年換算額を計算した損益計算書が右資料一―一の<4>欄記載のものである。結局、昭和三二年度一年間の純利益は、一四、八六二、四九八円となる。このような大口取引は、経常取引以外の特殊取引と思料される。

2(一) ところで、被告人は昭和二九年頃から同三五年一〇月一八日まで約七年間、鈴木商店を経営してきたことは前述したとおりであるが、昭和二九年から同三二年頃までの前半は、主として車輛類および航空機のエンジン等の払下げを受け、これを解体して部品毎に分類して販売し、部品として販売できないものはスクラップに分類して販売していた。ところが、昭和三三年以降被告会社設立時までの後半は、従来の車輛類および航空機等の払下げ、解体、販売等の外に、フォークリフト、鈴木式シャベルローダー、ブルドーザー等の機械類を組み立て販売、賃貸、あるいは、これら建設機械を使用して建設工事の請負業を兼営するようになり、被告人の収入は増大してきた(前記第一〇項参照)。

(二) そこで、まず、昭和二九年から同三五年一〇月の法人成りまでの約七年間の被告人の解体部品、スクラップ類の販売による利益を計算することにする。確度を高めるために、前記1(三)記載の昭和三二年分の年換算利益四、八六二、四九八円を基準利益とし(右別紙資料一―一の<3>欄参照)、年一〇%の利益上昇率で推計した。ただし、昭和三二年度分の純利益は、右資料一―一の<4>欄記載の修正年換算額の利益一四、八六二、四九八円を計上した(前記1(四)参照)。また、昭和三三年度の純利益は、昭和三二年度の基準利益四、八六二、四九八円の一〇%増しの五、三四八、七四八円にトレーラー四五〇台の販売代金一、九八〇万円(一台の単価四四、〇〇〇円)、仕入原価九九〇万円(一台の仕入単価二二、〇〇〇円)を加算し(控訴趣意書第四点第八項12ないし15参照)、一五、二四八、七四八円を計上した。右によって計算した部品およびスクラップ等の販売による昭和二九年から同三五年一〇月までの純利益は、別紙資料八(訂正分)の<1>欄記載のとおりである。その計算方法は次のとおりである。

<1> 昭和三二年度は実額年換算額一四、八六二、四九八円(別紙資料一―一の<4>欄―前記1(四)参照)

<2> 昭和三一年度は四、八六二、四九八円÷一一〇%=四、四二〇、四五二円

<3> 昭和三〇年度は四、四二〇、四五二円÷一一〇%=四、〇一八、五九九円

<4> 昭和二九年度は四、〇一八、五九九円÷一一〇%=三、六五三、二六七円

<5> 昭和三三年度は四、八六二、四九八円×一一〇%+(一九、八〇〇、〇〇〇―九、九〇〇、〇〇〇円)=一五、二四八、七四八円

<6> 昭和三四年度は五、三四八、七四八円×一一〇%=五、八八三、六二三円

<7> 昭和三五年(一〇月まで)度は五、八八三、六二三円× - =五、三九三、三三二円

(三) 次に、右期間中に被告人が販売したフォークリフト、鈴木式シャベルローダー、ブルドーザー、トラックソン等の機械類の販売台数および販売価額は、弁論要旨添付の別紙資料六および七記載のとおりである(その詳細は控訴趣意書第四点第六項および第七項参照)。被告人が払下げを受けたフォークリフトの払下げ原価は、一台五、六万円位であったが、これをフォークリフトに組み立て販売すると、販売価額は一台当り四〇万円ないし五〇万円、また、鈴木式シャベルローダーに組み立て販売すると、販売価額は一台当り一三〇万円ないし一五〇万円であった(控訴趣意書第四点第七項7参照)。したがつて、右組み立てに要した一般管理費等を考慮しても、これらの機械類の販売によって被告人は、払下げ原価の一〇倍以上の利益を得ていたことは明らかである。また、被告人が払下げを受けたブルドーザーの払下げ原価は、一台当り四、五〇万円であった(控訴趣意書第四点第六項7、9参照)が、これをブルドーザーに組み立て販売すると、販売価額は一台当り大型のD8ないしD7で四、五百万円ないし六、七百万円であり、小型のD4で二五〇万円ないし三百万円であった(控訴趣意書第四点第六項9参照)。したがって、ブルドーザーの場合も、フォークリフトや鈴木式シャベルローダー以上に販売価額が大きかったので、被告人の利益は大きく、右組み立てに要した一般管理費等の経費を考慮しても、これらブルドーザーの販売によって、被告人は払下げ原価の七、八倍ないし一〇倍位の利益を得ていたことは明らかである。

(四) しかしながら、残念なことではあるが、これらの経費額や利益額ないし利益率を証明する客観的資料が存在しないので、販売価額に最低の利益率を計上して利益を算出することにした。すなわち、ブルドーザー、フォークリフト、鈴木式シャベルローダー、その他の機械類の販売代金の総額は、前記別紙資料七記載のとおりである。これに最低の利益率七五%を乗ずると、これら機械類の各年度毎の利益が次のように算出できる。この利益は右別紙資料八(訂正分)の<2>欄記載のとおりである。

<1> 昭和三三年度は六、二〇〇、〇〇〇×七五%=四、六五〇、〇〇〇円

<2> 昭和三四年度は五二、四八八、四七〇円×七五%=三九、三六六、三五三円

<3> 昭和三五年度は四六、七一三、一五〇円×七五%=三五、〇三四、八六三円

(五) また、部品およびスクラップ等の販売による利益と、ブルドーザー等機械類の販売による利益、との各年度毎の合計額は、前記別紙資料八(訂正分)の<3>欄記載のとおりである。右の記載によると、昭和二九年から法人成りした昭和三五年一〇月までに、被告人が得た利益の合計額は、一三二、五三一、七三五円となる。

(六) ところで、右期間中における被告人の生活費等がいくらであったかは問題であるが、一応の目安となるのは、当時被告人が所得税の確定申告書に記載していた所得金額である。当時は、この所得金額によって生活することは、十分可能であつたと思料される。右確定申告書(検甲二―一〇〇)によると、第一審判決も認定している(一二丁表)ように、昭和三一年度二七九、〇〇〇円、同三二年度二九五、〇〇〇円、同三三年度三五〇、〇〇〇円、同三四年度四一七、〇〇〇円、同三五年度六九四、五二五円(ただし、このうち営業所得は四三〇、〇〇〇円)である。

しかし、当時の被告人の実質所得が右申告所得金額に比較し、莫大な金額になっていたことは明らかであるので、生活費の支出も一般家庭における生活費に比較し多かったものと推認される。ところで、鈴木きみ子が昭和三二年度の生活費を記載した模範家計簿(弁証二〇六)および同三四年度の生活費を記載した日記兼用家計簿(弁証二〇七)によると、被告人の家族の一ヶ月当りの生活費は約五万円ないし六万円であり、約六万円前後(一年間約七〇万円)であって、前記申告所得金額の倍額程度であたっことが判明する(弁証二一一第四項1、第五項1)。

而して、右別紙資料八(訂正分)の<3>欄の利益合計額から同<4>欄の生活費等の合計額を控除したものが、同<5>欄記載の資産蓄積可能金額である。その合計額は一億円以上である一二六、三三一、七三五円である。したがって、法人成り当時、被告人の個人資産が一億円以上存在したことは右別紙資料八(訂正分)によっても十分に証明できる。

(七) ところで、前記家計簿(弁証二〇六)にはさんであった鈴木きみ子作成の入金伝票によると、昭和三二年六月分の収支の合計が記載されている。これによると、同月分は、営業収入二、一九三、九四八円、営業支出七九九、七〇一円、人件費支出一二、〇〇〇円、臨時支出一〇七、五七九円、家計支出五五、三七五円、支出合計九七五、一五五円、差引利益一、二一八、七九三円となる。右の営業収入二、一九三、九四八円および営業支出七九九、七〇一円は、いずれも金銭出納帳(弁証二九)の同月分の合計と一致する。また、右の家計支出五五、三七五円は右家計簿(弁証二〇六)のはじめの方(一一頁)に記載されている「毎月の予算と決算」欄の六月の決算欄の金額と一致し、同月分のものであることが明らかである(弁証二一一第四項4)。右差引利益を一二倍すると一年間の利益が算出されるが、一、二一八、七九三円×一二ヶ月=一四、六二五、五一六円となり、前記別紙資料八記載の昭和三二年度の資産蓄積可能額一三、九六二、四九六円を上廻る金額となり、右別紙資料八記載の金額が合理的であることが裏付けられる。

(八) また、特に注意を要するのは、右別紙資料八(訂正分)の<5>欄の資産蓄積可能金額が、昭和三二年度一三、九六二、四九八円、同三三年度一八、八九八、七四八円、同三四年度二八、五四九、九七六円、同三五年度三一、四五三、一九五円と順次増加していることである。これは昭和三三年以降にブルドーザー等の機械類の販売による利益が増加したためである。鈴木商店時代の後半の期間に比較し、前半である昭和二九年から同三一年までの三年間の資産蓄積可能金額が少なすぎると思われるが、確実な証拠が存在しないため、最抵の推計金額によって計算したものである。

3 以上詳述したように、第一審で取調べた証拠資料を精査し、審理を尽していれば、法人成り当時、被告人が所有する営業用の個人資産が一億円以上存在したことを明らかにすることができた筈である。更に、原審において弁護人が取調べを請求した客観的な証拠およびこれを解明する証人を取調べておれば、法人成り当時における被告人らの仮名・無記名預金等が前記質問てん末書(検乙九)記載の四〇〇万円ではなく、右金額よりもはるかに多額であることを明らかにすることができた筈である。これによって、右個人資産が検察官の主張する三千万円ではなく、被告人の供述する一億円以上存在したことを裏付けることができた筈である。しかるに、原判決は、証拠が皆無であるに拘らず、法人成りの際、被告人が右個人資産のすべてを被告会社に無償譲渡した旨、故事付けの歪曲した事実を認定し、無償譲渡であるから右個人資産の評価額を確定する必要がないとの誤った理由でもって、右個人資産の評価をさけている。

一二、しかしながら、本件仮名預金等の帰属を確定するためには、その原資の帰属を確定する必要がある。本件仮名預金等の大部分は、法人成り当時における被告人の営業用の個人資産および利息から転化したものであるから、法人成り当時、右個人資産の評価がいくらであったかを確定しなければ、検察官の主張する三千万円だけが本件仮名預金等に転化したのか、あるいは、被告人の供述するように一億円以上が本件仮名預金等に転化したものか、を確定することができず、本件仮名預金のうち、右個人資産から転化した以外の原資の額、種類、名称等を確定することも不可能である。検察官は、本件受取利息が被告人の所得ではなく、被告会社の所得であると主張しているのであるから、本件仮名預金等が被告人個人に帰属するものではなく、全部被告会社に帰属することを立証する責任がある。而して本件仮名預金等が被告会社に帰属することを立証するためには、本件仮名預金等の発生源となった原資がなにであり、かつ、それがいくらあったかを具体的に明らかにする必要がある。ところが、検察官は、本件仮名預金等の発生源である原資の内容を少しも具体的に明らかにしていない。検察官の主張を裏付ける前記質問てん末書(検乙九)記載の右個人資産三千万円が何等根拠のあるものでなく、具体性も客観性もないことは弁護人が再三前述したとおりである。更に、それ以外の本件仮名預金等の発生源である前記質問てん末書(検乙一〇)記載の残土処分代六千万円ないし七千万円、あるいは、人工代の水増し計上分五千万円ないし六千万円も、これまた何等の根拠もなく、かつ、具体性も客観性もないことは前述したとおりである(前記第五点第五項8ないし10)。このような供述記載だけで、本件仮名預金等の帰属を認定することは、立証責任の原則から許されないばかりでなく、憲法第三八条第三項の趣旨に照しても許されない。本件仮名預金等が全部(少しの例外もなく)被告会社に帰属することの立証責任は検察官にあるのであって、被告人は、本件仮名預金等が被告人に帰属することについて立証責任を負うものではない。本件において、本件仮名預金等の帰属について、検察官の立証責任は尽されていない。前記質問てん末書の供述記載以外には本件仮名預金等の帰属を確定する証拠は何等存在しない。しかるに、原判決は、事実上立証責任を被告人側に転換し、故事付けの理屈によって無償譲渡したという歪曲した事実を認定し、前記個人資産の評価をさけている。原判決のどこを読んでも、本件仮名預金等の帰属について、その発生源である原資を確定した判示は全く存在しない。原判決が右個人資産の評価をさけたのも、その一つである。本件仮名預金等の発生源がなにか、ということを具体的かつ客観的に理由を明示して判示すべきである。そのためには、法人成り当時、被告人の営業用の個人資産がいくらであったか、その評価額を確定する必要がある。このように、原判決が右個人資産の評価をさけたのは、判決に影響を及ぼすことが明らかな審理不尽の違法があり、その結果重大な事実の誤認をしていることは明らかである。よつて、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するので、原判決は破棄されるべきである。

第八点 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな重大な事実の誤認があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するので、原判決は破棄されるべきである。

第一 被告人に故意がなかったことについて

原判決は、(一)被告人が給料手当および賞与につき水増計上をしていることについて故意があったこと、並びに、(二)家族従業員に対する給料手当および賞与が水増計上であること(後記第二)をいずれも判示し、その理由として、次のように認定する(一五丁表ないし一七丁表)。

1 被告会社では、清水建設の下請のみを業としていたので、これを継続して遂行する必要があったので、同会社の現場担当者らを接待して歓心を買い、何かと便宜を図ってもらっていたが、その費用の捻出に苦慮していた。そこで、被告人は、右費用に充てる資金を捻出するとともに、その他の費用に充てる簿外資金をも併せて蓄積しようと考え、昭和四九年九月ころ、従業員の中から信頼のできる高橋昌治ほか五名を選んで、同人らを立川市内の料理店「源助」に呼び出し、その席上、被告人の前記企図を説明したうえ、営業手当を支給する形にするので、協力して欲しい旨要請し、その承諾を得た。

2 そして、被告会社では、昭和四九年一〇月以降、高橋昌治ら六名のほか、被告人の長女大杉良子(ただし昭和五三年四月分まで支給)、長男鈴木寛及び二男鈴木茂樹(ただし同年五月から支給)の九名に対し、正規の給料手当のほかに、新たに営業手当の名目で一人当り月額二〇万円(ただし昭和五二年四月以降一人当り月額三〇万円に増額された。)を支給したこととし、更に毎年七月と一二月には右営業手当に対応する賞与も支給したこととし、これらを被告会社の損金に計上した。

3 ところで、被告会社では、被告人の家族を含めた全従業員に対し、正規の給料諸手当を支給する場合、一人別源泉徴収簿、賃金台帳、賃金計算書を作成して、毎月支給すべき給料諸手当等を計算し、かつ、各従業員毎の支払明細書をも作成して、その明細書に記載されている金員のみを現金で支給していたが、新たに支給することにした営業手当及びこれに対応する賞与については、被告人の家族を含めた前記九名の従業員に対し、その営業手当及び賞与分を除外してこれを支給しないばかりか、経理担当者において、除外した右金員を一括して被告人の妻に届けていた。そして、右営業手当等を実際に支給した給料諸手当と区別するため、前記諸帳簿とは別個の源泉徴収簿兼賃金台帳、給料明細書にそれぞれ記載し、これに対する従業員負担の所得税や社会保険料も全額被告会社において負担していた。そのうち所得税合計一四四二万九三二一円については、本件発覚後被告会社において還付請求をし、昭和五四年七月二〇日、その還付を受けている。

4 被告会社において、以上のような営業手当等を計上するに至ったことはもとより、これを被告人の妻が一括管理するようになったのも、すべて被告人の指示に基づくものである。また、被告人の妻が保管していた簿外資金の一部を取り出し、これを子の鈴木寛らに交付したことがあるが、それは同人らから預っていた給料等の一部を交付したというものではなく、単に親子間の愛情から出た贈与に過ぎない。

しかしながら、右認定はいずれも誤りである。そこで、まず第一において、本件給料手当および賞与の水増計上につき、被告人に故意がなかったことにつき、また、後記第二において、家族従業員に対する給料手当および賞与が水増計上ではなく、現実に支給されたものであることにつき、それぞれ詳述する。

一、原判決は、第一につき、「税理士の資格を有する者が税法上是認されない水増計上を教示、指導したとは考えられないばかりでなく、営業手当等を水増計上するに至つた動機、その支払いの経過、これを管理していた状況等に徴すると、営業手当等の計上につき、被告人が逋脱の故意を有していたことは優に認定できる」旨判示する(一七丁裏)。原判決は、右判示の理由として、前記第八点第一一冒頭1ないし4記載のように認定する。

しかしながら、原判決の右認定は誤りである。当時、被告人は、営業手当および賞与につき、水増計上をしているという事実についての認識はなく、この点につき逋脱の故意がなかったものである。したがって、原判決の右認定には重大な事実の誤認があるが、その理由は以下のとおりである。

二、被告会社は「清水建設の下請のみを業としていたので、これを継続して遂行する必要のあった」ことや、「交際費の捻出に苦慮していた」ことは、原判決の認定するとおりである(前記第一の冒頭1)。すなわち、被告会社は、昭和四七、八年頃から簿外交際費の支出が増大し、その財源の捻出に苦慮していたところ、限度額オーバーの交際費を、そのまま交際費として支出すると、租税特別借置法の法人税に関する特例(交際費の損金不算入)を適用されるため、被告人個人の所持金や被告人の預金の払い戻し金等によって、これら簿外交際費の支出にあてていた。しかしながら、いつまでもこのような方法をとることには限界があり、被告人夫婦も適当でないと考え、なにか合法的な支出方法はないものかと、その解決方法を、専門家である永松顧問税理士に相談していた。これに対し、永松税理士は、従業員に給料として支給したものの一部を、従業員の承諾を得て、実際上被告会社の交際費に使用するのであれば、税法上問題はなく、被告会社が従業員に給料として一旦支給したものの一部を従業員がなにに使用しても自由であるが、勿論給料として従業員に一旦支給するのであるから、給料に対する源泉所得税等を納付しなければならない、と教示、指導した。そのため、被告会社は、永松税理士の右教示、指導に従って、従業員の一部に従来の給料手当等の外に、新たに営業手当等を支給し、従業員の承諾を得て、一旦従業員に支給した該金員を実際上被告会社の交際費に使用することを計画した(被告人の陳述書第一四項、鈴木きみ子証言、第九回公判、二八四丁、第一一回公判、四一七丁ないし四一九丁、鈴木寛証言、第五回公判、五五丁)。以上の事実が被告人が営業手当等を支給するに至った動機である。

三、この点につき、原判決は、「税理士の資格を有する者が税法上是認されない水増計上を教示、指導したとは考えられない」旨認定するが、原判決の右認定は、偏見、推測に基づく独断であって、何等証拠に基づくものではない。原判決の右認定は、偏見に基づいて単なる推測を述べた独断にすぎない。原判決は、税理士の資格を有する者、すなわち、永松顧問税理士が、税法上是認さない水増計上を教示、指導したとは考えられない、旨認定しているが、前述のように、永松税理士は被告人らに対し、「税法上是認されない水増計上を教示、指導した」ものではない。永松税理士が被告人夫婦に教示、指導したのは、原判決の認定するように「水増計上」を教示、指導したものではなく、従業員に一旦給料として現実に支給したものの一部を、従業員の承諾を得て、従業員が実際上被告会社の交際費に使用するのであれば、従業員は一旦給料として支給を受けたものをなにに使用しても自由であるから、税法上問題はない、旨教示、指導したのである。すなわち、永松税理士は、被告会社から従業員に対し現実に一旦給料として支給することを前提にし、従業員が現実に一旦支給を受けた給料の一部を、実際上、被告会社の交際費と同じ目的に使用するというものである。原判決の右認定は、永松税理士が被告人らに教示、指導した趣旨を曲解して右のような誤った認定をしている。被告人夫婦は、永松税理士に対し、簿外交際費の財源の捻出に関し、あくまでも、「合法的な支出方法」はないものか、と相談したのであって、原判決が認定するような、「税法上是認されない支出方法」を相談したものではない。この点で原判決の認定には偏見による独断がある。そのため、原判決は、被告人夫婦が合法的な右財源の捻出方法を永松税理士に相談した事実を頭から無視して、前記のような偏見に基づく独断による認定をしている。また、被告人夫婦は、永松税理士の前記教示、指導を税法上許される、すなわち、合法的な方法であると信じて実行したものである。したがって、被告人夫婦には、最初から給料手当および賞与の水増計上の認識はなかったのである(後記第五項ないし第七項参照)。

以上のように、被告人は、あくまでも合法的な方法で前記財源を獲得する方法を相談し、教示、指導を受けたのであって、営業手当等を支給するに至った動機は、あくまでも合法的なものであったのである。この点原判決の前記認定は誤りである。

四1 そこで、被告人は従業員の承諾を得るために、原判決認定のように、昭和四九年九月頃、立川市内の「源助」という料理店に、従業員のなかから信頼のできる高橋昌治ほか五名(土田武夫、松浦進、菅原七郎、斎藤茂、大杉喬)を集めて、その趣旨を説明したところ、即時に出席従業員の承諾を得ている。この六名は被告人と共に、被告会社において交際費を使用する必要のある従業員である。これらの従業員も自分達の使う交際費の財源の捻出に苦慮していたのである。

この会合には、原判決も認定しているように、息子の鈴木寛と娘の鈴木(現在大杉)良子の二名は出席していない。寛と良子の二名に支給する営業手当および賞与は、被告人が交際費として費消する心算はなく、被告会社はこの二名には営業手当および賞与として現実に支給すると約束していたため、出席させなかった(後記第二、第二項2参照)。被告人の昭和五三年八月三日付質問てん末書(検乙六)の問六に対する答の欄および大杉喬の第三回公判における証言(八丁)に、右会合の出席者のなかに、息子の寛が出席したように記載されているのは誤りである。前述のように、右会合には寛は出席していない(被告人の陳述書第一五項、鈴木きみ子証言、第九回公判、二八六丁、二八七丁、二九一丁ないし二九三丁、三一〇丁、三一一丁、第一一回公判、四一九丁ないし四二二丁、鈴木寛証言、第四回公判、五〇丁ないし五二丁)。

2 被告人は、当日「源助」に集まった従業員に趣旨を説明しているが、その趣旨とは、被告会社を発展させてゆくためには、交際費が必要であるが、これに使用する資金を捻出するために、新たに営業手当を出席従業員の従来の給料にプラスして支給することにし、これを実際上被告会社の交際費として使用することにしたい、営業手当として支給するのであるから、営業手当から源泉所得税等を支払い、従業員に迷惑をかけないようにするので賛成してもらえるか、というものであった。右提案に対して、出席従業員が全員即座に賛成し、原判決認定のように、承諾してくれた。そこで、被告人は、従業員一人当り毎月営業手当として二〇万円づつ支給することにしたいが、この金額で交際費をまかなうことができるかどうか、を相談したところ、出席従業員全員がこれを肯定したので、被告人はその旨処理することを表明した。

また、被告人は、交際費の不足分を給料のほかに賞与金についても、同じ方法によって捻出したいので被告人に任せて欲しい旨を提案し、出席者全員の承諾を得ている(被告人の陳述書第一六項、鈴木きみ子証言、第九回公判、二八五丁、二八六丁)。この点に関する前記検面調書および質問てん末書の供述記載は信用できないものである。

五、ところで、永松税理士は被告人夫婦に、具体的な処理方法とか、帳簿処理の方法については、指導してくれなかったし、また、営業手当等を従業員に一旦現実に交付しなければならない、ということまで注意してくれなかった。永松税理士の前記教示、指導は、被告会社が従業員に対し、一旦現実に給料手当および賞与を直接交付して支給し、その支給したものの一部を従業員が被告会社のために、事実上交際費として使用すればよい、という趣旨のものであったと思われる。税法の専門家である永松税理士としては、給料手当等として支給するという趣旨は、現実に給料手当等を現金で直接従業員に交付することを当然のことと考えており、かつ、被告会社においても、従来から現実に現金で直接従業員に交付していたため、あえて営業手当等の支給方法まで指導したり、念押し的な注意をしなかったものと思料される。この意味において、永松税理士は、原判決の認定するように、「税法上是認されない水増計上を教示、指導したとは考えられない」のである。永松税理士はあくまでも合法的な方法を教示、指導したのである。

ところが、被告人夫婦は、被告会社がこれらの従業員に対し、一旦現実に給料手当および賞与を直接交付して支給し、その後に、再び妻きみ子がこれらの従業員から預託を受けるという方法をとらずに、妻きみ子がこれらの従業員に代って、被告会社から営業手当および賞与を受領することも、これらの従業員の承諾があるため許されると考えた。当時被告人夫婦は法律に無知であるから、給料手当および賞与を従業員に代って受領することが許されないものであることの認識はなく、給料手当および賞与について源泉所得税等を納付すれば、税法上問題はない、という永松税理士の教示、指導を全面的に信用していたのであるから、違法の認識は全くなかった。また、被告人としては、被告会社が従業員の承諾を得ていたので、被告会社から妻きみ子に対し、営業手当および賞与を現実に交付して支給すれば、これらの従業員に支給したことになると認識していたのである。そのため、被告会社は、これら従業員の営業手当および賞与については、被告会社の経理担当者が毎月(営業手当)ないし支給月(賞与金については六月、九月、一二月)に、各従業員毎に個別的に計算して金額を特定し、各従業員毎の支給明細表を作成の上、右明細表と共に現金を被告人宅まで持参し、被告人の妻きみ子に交付していたのである。

六、しかるに、原判決は、この点につき、前記第八点第一冒頭3記載のように認定する。しかし、原判決の右認定は誤りである。なぜなら、被告人は、前記「源助」における会合の際、営業手当として支給したものを被告会社のために交際費として使用することを承諾した従業員に対し、当然のことながら源泉所得税等の税金を納付し、従業員には迷惑をかけない旨約束している。そのため、営業手当分の源泉所得税等を算出する必要があったが、永松税理士からは帳簿処理の具体的方法については指導を受けなかったため、給料手当および賞与の支給に際し、被告会社は、営業手当を含めた給料等全部について源泉徴収簿賃金台帳(符9)、給料明細表綴(符11)を作成したほかに、営業手当を除外した給料等についても一人別源泉徴収簿等綴(符12)、賃金台帳(符10)、賃金計算書(符14)等を作成したのである。これはあくまでも前記趣旨によって作成したものであって、原判決が認定するように、水増計上額と実際支給額とを区別するために裏帳簿を作成し水増計上の隠匿工作を行なっていたものではない。営業手当および賞与として従業員に支給されたものを、被告会社の経理担当者が管理せず、被告人の妻きみ子が管理していたことは、当時被告人夫婦に水増計上をしている事実についての認識がなかったことを物語るものである。なぜなら、被告会社が水増計上をしているとの認識をもっていたのであれば、これらの給料手当および賞与は、被告会社の経理担当者において管理されている筈である。被告会社の経理担当者が管理せず、妻きみ子が自宅において管理していたという事実は、被告会社の簿外資金を管理しているという認識をしていたのではなく、従業員に支給された営業手当および賞与を従業員のために管理していると認識していたことを物語るものである。

被告人らは営業手当および賞与が合法的なものであり、許されるものと認識していたため、被告会社の経理担当者ではなく、妻きみ子が自宅において管理していたのであって、従業員から委託を受け従業員のために管理していたと認識していたことは明らかである。したがって、「その支払いの経過、これ(営業手当等)を管理していた状況等に徴すると、営業手当等の計上につき、被告人が逋脱の故意を有していたことは優に認定できる」とした原判決は誤りである。

七、前述のように、被告人は、被告会社が従業員に対し、営業手当および賞与を支給し、従業員の委託を受けた妻きみ子が受領し、従業員のために管理しているものと認識していた。すなわち、当時、被告人夫婦には、営業手当および賞与につき水増計上をしている事実についての認識はなかった。あくまでも、従業員が営業手当および賞与として被告会社から支給を受けた金員を管理しているという事実をを認識していたのである(鈴木きみ子証言、第九回公判、二八四丁、二八五丁、第一〇回公判、三七三丁ないし三七七丁、被告人の陳述書第一四項ないし第一九項)。したがって、妻きみ子は、被告会社の資金を管理しているという認識は全くなかった。客観的には、被告会社は従業員の承諾を得ていたとはいえ、従業員に直接これらの営業手当および賞与を支給していなかったのであるから、妻きみ子の管理していたこれらの資金は、従業員に支給した営業手当および賞与ということができないものであり、被告会社に帰属する資金であったということができる。しかし、被告人夫婦は、あくまでも、これらの資金は従業員からの委託によって、従業員の資金を管理しているものと認識していたのであるから、そこに事実と認識との間に錯誤がある。すなわち、従業員の委託を受けて営業手当および賞与として支給された個人の資金を管理している、それが客観的事実であると信じていた被告人夫婦の認識と、実際にその資金が原判決が認定するように水増計上であるとすれば、被告会社の資金を管理していたということになり、このような客観的事実と被告人夫婦の主観的認識との間に喰い違いがある。したがって、事実と認識との間に錯誤がある。この錯誤は、事実の錯誤であるから犯意を阻却する。

八、以上の次第であるから、原判決が「被告人が逋脱の故意を有していたことは優に認定できる」旨判示したのは誤りであることが明らかである。被告人には、本件給料手当および賞与の支給に関し、偽りその他不正の行為により所得を免れるという逋脱の故意を欠くものである。したがって、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな重大な事実の誤認があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するので、原判決は破棄されるべきである。

第二 家族従業員に対する給料手当および賞与の支給について

一、原判決は、この点につき、「被告人の家族を含めた従業員に対する給料手当および賞与の支給について、原判決(第一審判決)には事実の誤認はないものというべきである。」旨判示する(一七丁表)。而して、この点につき、第一審判決は、「家族従業員に対する給料及び賞与についても、家族以外の従業員の場合と同様、水増計上されたものであることは明らかである。」旨認定する(二〇丁表)。原判決は右判示の理由として、前記第八点第一冒頭1ないし4記載のように認定する。

しかしながら、原判決の右認定は誤りである。被告会社は、家族従業員に対する給料手当および賞与については、実際に給料手当および賞与として支給したものであって、水増計上したものではない。したがって、原判決の右認定には重大な事実の誤認があるので、以下その理由を詳述する。

二、原判決は、前述のように、「被告人の家族を含めた従業員に対する給料手当および賞与の支給について、原判決(第一審判決)には事実の誤認はないものというべきである。」と判示し、その理由として「被告会社では、昭和四九年一〇月以降、高橋昌治ら六名のほか、被告人の長女大杉良子(ただし昭和五三年四月分まで支給)、長男鈴木寛及び二男鈴木茂樹(ただし同年五月から支給)の九名に対し、正規の給料手当のほかに、新たに営業手当の名目で一人当り月額二〇万円(ただし昭和五二年四月以降一人当り月額三〇万円に増額された)を支給したこととし、更に毎年七月と一二月には右営業手当に対応する賞与も支給したこととし、これらを被告会社の損金に計上した。」旨認定する(一五丁裏から一六丁表)。すなわち、原判決は、被告会社が営業手当および賞与を従業員に支給したこととし、水増計上したことを認定している。しかし、右認定は誤りである。

1 被告会社は、家族従業員には現実に営業手当および賞与を支給している。家族従業員である鈴木寛、鈴木茂樹、鈴木良子、大杉喬の四名は、いずれも被告人の息子、娘、娘の婿であって、後記第三項記載のように、営業手当および賞与を支給する合理的理由が存在した。そのため、被告会社は、家族従業員には、母きみ子を通じて現実に給料手当および賞与を支給しており、原判決が認定するような水増計上ではない。そのため、家族従業員の給料手当および賞与として支給したものから、簿外交際費に支出したものがないのは勿論、本件仮名預金等に転化させたものも全く存在しない。被告会社は家族従業員に対し、現実に給料および賞与を増額して支給する合理的な理由が存在したのである(後記第三項1ないし4参照)。(なお、鈴木きみ子証言、第九回公判、二八四丁、二八五丁、三〇二丁、三〇三丁、三〇五丁ないし三〇七丁、三一〇丁ないし三一三丁、三一九丁、三二〇丁、第一〇回公判、三四六丁ないし三五四丁、三五九丁、三六〇丁、三七三丁ないし三七七丁、四二一丁ないし四二六丁、四三四丁ないし四四八丁、鈴木寛証言、第四回公判、五〇丁、五一丁、第五回公判、五六丁ないし六九丁、大杉良子証言、第八回公判、二二九丁、二三〇丁、二三五丁、二三八丁ないし二四三丁、二五四丁ないし二六二丁、大杉喬証言、第三回公判、一五丁、二一丁、第四回公判、二七丁、三三丁、三四丁、三八丁、鈴木茂樹証言、第六回公判、一六四丁、一六五丁)。

2 被告人は妻きみ子と相談して、寛と良子の二人には、最初から営業手当および賞与を現実に支給することにした。そのため、寛と良子の二人には、前述の「源助」の会合にも出席させなかった(前記第一第四項1参照)。寛と良子が「源助」の会合に出席しなかつたことは原判決も認めるとおりである。それ以前から寛と良子から被告人に対し、給料値上げの要求がでており(鈴木きみ子証言、第九回公判、三〇七丁、三〇八丁)、かつ、後記第三項記載のように、営業手当および賞与を支給する合理的な理由が存在したためである。昭和五一年三月良子が大杉喬と結婚し、同年四月退職してからは、被告会社は良子に代って大杉喬に営業手当および賞与を現実に支給してきている。茂樹は、昭和五一年四月被告会社に入社し、一年間は給料だけで働いていたが、仕事も覚え、真面目に被告会社のために昼夜の別なく働いたため、被告会社もその貢献度を認め、同五二年四月から茂樹にも現実に営業手当および賞与を支給してきている。また、営業手当および賞与を支給するについて、これら家族従業員と他の従業員と取り扱いを同じにしたり、あるいは、被告会社から直接家族従業員に支給することをせずに、妻きみ子の手を通じて支給していたのは、(1)他の従業員の手前があったためであって、差別的取り扱いをすると、他の従業員の士気に影響することを危惧したこと、(2)妻きみ子が寛、良子、茂樹名義で子供達のために、従来から毎月定期的に定額の積立預貯金および簡易保険の保険料等の支払をしており、その資金に充当する必要があったこと、(3)これらの給料手当および賞与金を全部家族である従業員に直接支給すると、全部費消してしまうという親心に基づく心配があったためである(被告人の陳述書第一七項、第一九項、鈴木きみ子証言、第九回公判、三〇二丁ないし三〇五丁、第一〇回公判、三五七丁、第一一回公判、四二二丁、大杉良子証言、第八回公判、二五四丁ないし二五七丁、鈴木寛証言、第五回公判、七〇丁、七一丁)。

3 被告会社の経理担当責任者(大杉夫婦が結婚するまでは良子、結婚後は大杉)が毎月給料(営業手当を含む)を計算し、その明細表を作成し、所得税、社会保険などを控除した営業手当の残額を右明細表と共に、被告人の妻きみ子の許に届けている。被告会社が年三回支給する賞与金については勿論、第一工事の給料についても、被告会社の給料と全く同一の方法によって、被告人の妻きみ子の許に届けられていた。したがって、賞与はその性質上金額が一定していなかったが、給料の一部である営業手当は原判決も認定するように一定額(昭和四九年一〇月から毎月二〇万円、同五二年四月から毎月三〇万円)である。また、被告会社の給料の支給日は毎月五日、第一工事の給料の支給日は毎月一〇日であるから、定時の支払いである。賞与についても、被告会社では年三回(六月、九月、一二月)に支給することは慣例となっており、定時払いということができる。而して、これらの給料手当および賞与は前記給料支払明細表や賞与支払明細表によって、右従業員毎に金額が特定されていた。したがって、これらの給料手当および賞与は、各従業員毎に特定されていただけでなく、定時かつ定額払いであった。

4 また、鈴木きみ子は、前記支払明細表とともに受領したこれらの給料手当および賞与である現金を、家族以外の従業員の分は簿外交際費に使用する目的で一括して保管し、家族従業員の分は、各人毎に袋に入れたり、あるいは、輪ゴムで括って特定した上で区別して保管していた。鈴木きみ子は、家族である従業員は勿論、それ以外の従業員についても、すべて事前の承諾を得た上で、これらの給料手当および賞与を受け取り、かつ保管していたものである(後記第五項8参照)。したがって、鈴木きみ子は、従業員に代って被告会社からこれらの給料手当および賞与を受領し、委託を受けてこれらの金員を保管していたものである。

他方、家族従業員は、被告会社から現実に営業手当および賞与の支給を受けていたことを十分に認識し、母きみ子にその保管を委託していたものである。母きみ子は、これら家族従業員に対し、時々営業手当および賞与から預貯金したものの預金高等を知らせていたため、家族従業員も営業手当および賞与として支給されたものが預貯金されており、その額が増加していることを承知していたのである。したがって、原判決の前記認定は誤りである。

5 なお、原判決は、「そのうち所得税合計一四四二万九三二一円については、本件発覚後被告会社において還付請求をし、昭和五四年七月二〇日、その還付を受けている。」旨認定する(一六丁裏)。原判決がなぜこのような事実をわざわざ認定したのか、趣旨は明確でないが、要するに、被告会社が本件給料手当等の水増計上を認めた理由として、右所得税の還付を受けた事実を認定したものと思われる。しかし、被告会社は、本件給料手当等の水増計上を認めたために、右所得税の還付を受けたものではない。所轄税務署から再三に亘って右所得税の還付を受けるように、要請があったが、被告会社が拒否していたものである。しかし、所轄税務署において事務処理上困るというので、被告会社は、右所得税の帰属は本件訴訟の結果によって最終的に確定するものであることを断って、仮りに還付を受け、被告会社の「仮受金」として計上しているものである。したがって、右所得税の還付を受けたことをもって、被告会社が給料手当等の水増計上を自認した証拠ないし理由とはならないものである。

三、被告会社では、前述のように、家族従業員に対し母きみ子を通じて現実に給料手当および賞与を支給していたが、右支給については、家族従業員に対し給料手当および賞与を支給する合理的な理由が存在していた。ところで、本件で問題となっているのは、現実に家族従業員に対し給料手当および賞与を支給しているかどうか、ということであって、被告会社が家族従業員に支給した給料手当および賞与が過大であるかどうか、ということではない。給料手当および賞与の水増計上があったかどうか、ということである。したがって、被告会社が現実に家族従業員に対し給料手当および賞与を支給しておれば、仮りに、右支給につき合理性が少なくとも、問題はないわけである。ところが、本件の場合、被告会社が他の従業員よりも家族従業員に対し、優遇して多額の給料手当および賞与を支給する合理性が存在したことは、以下の1ないし3において述べることから明らかである。仮りに百歩を譲り、右給料手当および賞与の支給が不自然かつ不合理であったとしても、被告会社は家族従業員に対し、現実に給料手当および賞与を支給していたのであるから、水増計上ではない。

1 右増額支給をした理由の第一は、営業手当支給直前における家族従業員寛および良子の給料額が極めて低額であって、労務提供の対価として極めて不均衡なものであったということである。そのため、寛および良子から被告人に対し、給料値上げの要求がなされていたことは前述したとおりである(前記第二項2参照)。すなわち、営業手当支給開始時である昭和四九年一〇月当時の寛の営業手当を除外した給料は、僅かに一ヶ月当り一二〇、三二〇円であり、同じく良子の同給料は九五、七三〇円であった。

これに比較し、家族以外の従業員である高橋昌治は二〇一、二〇〇円、土田武夫は二〇〇、六七〇円、斎藤茂は二〇〇、〇〇〇円、菅原七郎一三二、〇四〇円であって、寛および良子の給料に比較し、いずれも高額であつた。当時の大杉喬さえ一五〇、三八〇円であって、寛および良子よりも高額の給料の支給を受けていた(甲一の六)。したがって、被告会社の社長である被告人の長男および長女であることから他の従業員に比較し高額であるのが通例であるということを除外しても、寛および良子については、給料を実質的に値上げする合理的理由が存在していた。

また、茂樹に営業手当が支給される直前である昭和五二年三月当時の給料は一ヶ月僅か九万円であった(甲一の六)。そのため、茂樹は、入社後一年後に給料の値上げを要求したところ、母きみ子から被告会社が昭和五二年五月から営業手当および賞与並びに第一工事の方からも給料を支給する旨説明されて納得している(鈴木茂樹証言、第六回公判、一六四丁、一六五丁)。

2 また、右増額支給をした理由の第二は、この四人の家族従業員の労務提供の内容が他の一般従業員に比較し、質的・量的に極めて大であったということである。被告人は、常日頃これら家族従業員に対しては、将来被告会社を背負って立つという意識をもち、経営者的感覚で仕事に当り、他の一般従業員に率先して仕事をするように厳しく指導しており、そのため、これら家族従業員は、一般従業員が働かない早朝深夜から日曜祭日などの休日にも、冠婚葬祭に出席するとか、取引先の接待、自動車を運転して社長である被告人の送迎など、一般勤務以外の仕事にも懸命になって従事してきた。したがって、この点でも、営業手当を支給する合理的理由が存在した。そのほか、寛は社長代理として前記冠婚葬祭への出席、取引先の接待に従事し、あるいは、同業者の会合に出席する等、いずれも社長代理としての仕事であって、他の従業員が代行するに適しないものである。また、寛は経営者的な仕事としては、毎月貸借対照表、損益計算書、試算表等を作成し、被告会社の経営の分析を行なってきた。これらはいずれも、他の一般従業員が行なう仕事とは異なる経営者的な仕事である(鈴木寛証言、第五回公判、七五丁ないし七九丁、一〇一丁ないし一〇六丁、被告人の陳述書第一七項、大杉喬証言、第四回公判、二六丁、三三丁、鈴木きみ子証言、第九回公判、三〇五丁、ないし三〇九丁、三二一丁、第一〇回公判、三五四丁ないし三五六丁、第一一回公判、四二一丁ないし四二四丁)。

3 また、良子は寛、茂樹と共に大学卒(他の従業員で大学卒はいない)であるだけでなく、被告会社の経理を担当し、被告会社の金庫番の役に任じ、他の従業員には任せられない仕事をやっていた。とくに良子の場合は、日曜出勤が非常に多く、日曜日にも客の接待をしたり、自動車を運転して客や被告人を送迎していた(被告人の陳述書第一七項、大杉良子証言、第八回公判、二一七丁ないし二一九丁、鈴木きみ子証言、第九回公判、三〇五丁ないし三〇九丁、三二一丁、第一〇回公判、三五四丁、三五五丁、第一一回公判、四二一丁ないし四二四丁)。また、大杉喬は、昭和五一年三月良子と結婚したが、右結婚するまでの仕事の内容は、被告会社の各種行事の企画実行等総務関係全般を担当していたが、結婚後はこれらの仕事に加えて、従来良子が担当していた経理関係の仕事を引き継いだため、勤務時間も延長せざるを得なくなった。更に、被告会社の銀行からの借入関係の事務も担当するようになり、結婚前に比較し、仕事の内容が質量共に倍増した。とくに、現金を扱う仕事が増加し、精神的な負担が増大した。また、被告人から、寛、大杉らは単なる従業員としてではなく、経営者的な感覚で仕事をするように注意されていたため、この面での精神的負担が増大した(大杉喬証言、第四回公判、二四丁ないし二八丁、三一丁、三三丁、三六丁、被告人の陳述書第一九項、鈴木きみ子証言、第九回公判、三〇二丁、三二一丁、第一一回公判、四二四丁、四二五丁)。

4 また、茂樹は、大学卒であり、かつ、社長の息子ということで、他の従業員に比較して、良く働いても当然のことと理解され、もし、少しでも働き方が悪い場合には批判されるため、他の一般従業員の模範となるような働き方ないし努力をしてきたのである。その結果、入社以来一年経過し、仕事にもなれてきた。たとえば、他の一般の従業員は夜勤をすれば、当然翌日は休養のため休むわけであるが、茂樹は夜勤をしたときでも、翌日引き続き勤務を継続することがある。家族従業員は他の従業員とは一事が万事異なることは、被告会社のような中小企業にあっては、世間においても通例のことであり、被告会社に限つたことではない。年令は若くとも、これら家族従業員が率先肺垂範しなければ、被告会社の隆盛は期待できない。茂樹も寛、大杉らと同様、単に勤務時間が一般の従業員に比較して長いとか、休日に勤務するとか、という労務の量だけの問題ではなく、質的にも、内容の充実した仕事を行なってきた。但し、他の家族従業員の営業手当が昭和五二年五月分から一ヶ月金三〇万円に値上げされたが、茂樹の分については、労働の質量的な内容を考慮して二〇万円に据置かれている(鈴木茂樹証言、第六回公判、一六九丁、一七〇丁、第七回公判、一七七丁、一七八丁、一八五丁ないし一八七丁、二〇四丁、二〇五丁、被告人の陳述書第一九項、鈴木きみ子証言、第九回公判、三〇五丁、三二一丁、第一〇回公判、三五四丁ないし三五六丁、第一一回公判、四二六丁)。このように、家族従業員の労働は他の従業員に比較し、質量的にきわめて大であって、給料手当および賞与を増額支給する合理的な理由があったものである。

四、次に、原判決は、「被告人の妻が保管していた簿外資金の一部を取り出し、これを子の鈴木寛らに交付したことがあるが、それは同人らから預っていた給料等の一部を交付したというものではなく、単に親子間の愛情から出た贈与に過ぎない。」旨認定する(前記第八点第一冒頭4参照)。

しかしながら、原判決の右認定は、非常識であり、かつ、非合理であって、客観的事実を無視した誤ったものである。

1 この点につき、被告人の質問てん末書(検乙七、乙一四)および検面調書(検乙一八)、鈴木きみ子、鈴木寛、大杉喬の各検面調書(検甲一の一二九ないし一三一)には、夫々右認定と同旨の供述記載があり、関谷証人も同旨の供述をしている(第二一回公判、七五九丁、七八二丁)。原判決は、これらの証拠によつて、右のような認定をしたものと思われる。

しかし、被告人の右各質問てん末書および検面調書に証拠能力がないことについては、前記第一点ないし第五点において詳述したとおりである。また、鈴木きみ子、鈴木寛、大杉喬の各検面調書にも証拠能力がないことについては、これまた前記第二点第八項において前述したとおりである。したがつて、原判決の右認定は、証拠能力のない証拠によって事実を認定したものであるから、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるばかりでなく、前記第一点ないし第五点において前述したような憲法違反、法令違反があり、破棄されるべきである。

仮りに百歩を譲り、これらの質問てん末書および検面調書に証拠能力があるとしても、「単に親子間の愛情から出た贈与に過ぎない」旨の供述記載が信用できないことは、給料手当および賞与支給の合理性(前記第三項)において前述したこと、家族従業員の個人資産の増加状況(後記第五項)について後述するところからきわめて明らかである。更に、これらの供述記載が信用できず、したがって、原判決の前記認定が誤りであることは、次の事実からも明らかである。

2 鈴木きみ子および鈴木寛は、国税局の取調べの際には、終始家族従業員に対し給料手当および賞与として支給したものであると供述していた(鈴木きみ子証言、第一〇回公判、三七三丁ないし三七八丁、鈴木寛証言、第六回公判、一二二丁ないし一二四丁)。この点は関谷証言も認めるところである(第二一回公判、七五八丁、七五九丁、七八三丁)。関谷証言によると、関谷査察官の取調べに対し鈴木きみ子および鈴木寛は、営業手当および賞与の支給を受けていた旨供述し、その旨の質問てん末書が作成されている(第二一回公判、七五九丁)。鈴木寛が検察官の取調べの際に、右供述を変更するに至った経緯については、前記第二点第八項4ないし6において前述したとおりである。また、鈴木きみ子が検察官の取調べに対し、鈴木寛と同様に供述を変更したのは、被告人から国税局との間に話合いができているので、逆わずに検察官の記載するままの検面調書の作成に応ずるように懇請されたためである。したがって、これらの検面調書(検甲一の一二九、一三〇)に信用性のないことは明らかである(鈴木きみ子証言、第一〇回公判、三七三丁ないし三七七丁)。

3 また、大杉喬証言によると、大杉喬は、本件査察の当日である昭和五三年五月一六日、査察官に対し、営業手当は実際の給料であって、実際に営業手当の支給を受けている旨主張していた(第四回公判、三五丁、第三回公判、二一丁)。大杉喬が営業手当および賞与の支給を受けているという供述を撤回し、国税局の査察官や検察官の趣旨に沿って供述を変更したのは、鈴木きみ子や鈴木寛の場合と全く同一である(前記第二点第八項参照)。すなわち、被告人から、本件査察以後、被告会社が帳簿類を押収されたり、あるいは、従業員が断続的に取調べを受け、被告会社の業務に支障を生じており、また、清水建設等の得意先に迷惑をかけることをさけるために、国税局や検察庁の取調べに協力して早期解決をするように指示され、その結果、大杉喬は査察官や検察官の趣旨に沿うように供述を変更したのである(大杉喬証言、第三回公判、二〇丁、二一丁、第四回公判、三一丁、三二丁、三五丁、三六丁)。したがって、大杉喬の検面調書(検甲一の一三一)の供述記載も全く信用できないものである(前記第二点第八項4ないし6参照)。

4 被告人は、国税局の取調べの際に、最初の段階では、家族従業員には営業手当および賞与を支給していた旨供述していたが、査察官は右供述を認めなかつた。査察官と被告人との間には、前記第一点ないし第三点記載の種々の取引があったため、査察官は被告人に対し、大勢に影響がないとか、結果は同じだ、などと説得したり、あるいは、脅迫的な取調べをする(前記第四点第九項)などして、前記質問てん末書(検乙七)を作成したものである(被告人の前記陳述書第二〇項、第二三項、被告人の供述、第二五回公判、九二八丁、九二九丁、九四八丁)。しかし、被告人夫婦と家族従業員とが親子関係にあるとはいえ、被告人夫婦が毎月被告会社の資金を家族従業員三名に定期的、かつ、定額、を贈与するということは、あまりにも実態を無視するものであって、非常識であるのみならず、不合理である。これは国税局が課税技術上ないし告発所得計算上の便宜のために、辻褄を合わせたものであって、到底信用するに由ないものである(被告人の前記陳述書第二〇項、第二三項)。したがって、被告人の前記質問てん末書および検面調書の供述記載が信用できないものである。

5 また、被告会社が家族従業員に支給した営業手当および賞与、並びに、第一工事が家族従業員に支給した給料手当および賞与については、その支給方法が全く同一であったことは前記第二項3において述べたとおりである。しかるに、国税局は、第一工事が家族従業員に対して支給した給料手当および賞与については、現実に支給したものとして肯定した処理を認めている(但し、国税局はこれを被告会社に修正申告を強要する材料に使用したことについては前記第二点第九項において前述したとおりである)が、他方、本件で問題となっている被告会社が家族従業員に支給した給料手当および賞与については、いずれも否認する処理をしている。これは明らかに矛盾である。国税局がいかなる理由によって、このような矛盾した処理を認めたのか明らかでないが、いずれにせよ、首尾一貫しないことは明らかである。

五、次に、原判決が水増計上と認定した営業手当および賞与を加算した家族従業員の収入金額、公租公課、可処分所得金額、預貯金等の個人財産の増加額、生活費充当可能金額等が以下に述べるように均衡を保っている。この事実によっても、被告会社から家族従業員に対し、現実に営業手当および賞与を支給していたことが裏付けられる。原判決が認定するような、単なる親子間の愛情から出た贈与に過ぎないものが、以下に述べるように、定期的に、かつ、定額、しかも毎月給料手当および賞与の各金額と同額を数年間に亘って贈与されたということは、いかにも非常識かつ不合理であって、故事付けの辻褄合せ以外の何物でもなく、誤りであることは明白である。単なる親子間の愛情から出た贈与に過ぎないものによって、以下に述べるような実名預金が蓄積されていくことはあり得ないのであって、原判決の認定が誤りであることは明白である。

1(一) 独身時代の寛に支給された給料および賞与については、被告人夫婦と同居中であったため、営業手当や賞与だけでなく、営業手当以外に給料袋に入っていたその他の給料手当についても、一定の小遣い銭以外は、すべて母きみ子に預託して管理してもらっていた。母きみ子はこれらの保管金のなかから、毎月定期的に定額の寛名義の積立預貯金をやったり、あるいは、寛名義で加入している簡易保険の保険料を支払い(但し、保険料は六ヶ月毎にまとめて支払っていた)、ある程度現金が貯ったときには臨時的に預貯金をしていた。

(二) また、昭和五〇年一〇月寛が結婚する際、住宅を購入したので、以後毎月ローンの支払いが二五、六万円必要であったため、母きみ子は保管していた寛の給料等の中から現実に毎月約三〇万円宛を寛ないし妻陽子に交付してきていた。それ以外には、独身時代から続けている積立の預貯金、簡易保険の保険料の支払いにあて、あまった分は臨時に預金にしていた。これらの預貯金は、いずれも寛名義の実名預貯金になっている。その具体的な金額については、弁護人の昭和五六年三月六日付冒頭陳述書(補充)第二項および添付の別紙第二表(個人収支一覧表)のNo.2記載のとおりである。このような客観的事実によって、寛については、給料手当および賞与について水増計上されたものではなく、実際に支給されたものであることが裏付けられる。原判決がこのような客観的な裏付けとなる事実を無視しているのはきわめて遺憾である(鈴木寛証言、第五回公判、六〇丁ないし六九丁、一〇六丁ないし一一〇丁、第六回公判、一二〇丁ないし一二二丁、一三九丁、一四三丁、大杉良子証言、第八回公判、二五五丁、二五六丁、鈴木きみ子証言、第一一回公判、四三四丁ないし四四二丁、第一二回公判、四九七丁、四九九丁)。

2(一) ところで、右個人収支一覧表(第二表)のNo.2によると、被告会社から寛に支給された営業手当を含めた給料手当および賞与、第一工事から寛に支給された給料手当および賞与、その他受取利息等の収入は、昭和五〇年九月期が七、四四九、七九三円、これに対する公租公課が八一四、三九六円、差引可処分所得が六、六三五、三九七円である。これに対する寛夫婦の前期である同四九年九月期の預貯金等の個人財産が四、九四六、四〇一円であり、同じく同五〇年九月期の個人財産が六、〇〇五、八二八円であるから、右一年間の増加額は一、〇五九、四二七円となる。これを右差引可処分所得六、六三五、三九七円から控除すると、残額は五、五七五、九七〇円となる。この残額が寛の一年間の生活費と推定され、生活費として費消した残余は、次期に所持金等で繰り越されたものと考えられる。

(二) 同様に、昭和五一年九月期の寛の給料手当および賞与等の収入は、九、八四六、四九六円であり、右金額から公租公課一、五九一、七四三円を控除すると、差引可処分所得は八、二五四、七五三円となる。他方、右期の預貯金等の個人財産の増加額は五、三〇〇、〇〇九円であるから、これを右可処分所得八、二五四、七五三円から控除すると、残額が二、九五四、七四四円となる。この残額と前期の繰り越し金が右一年間の寛の生活費と推定される。

(三) また、昭和五二年九月期の寛の給料手当および賞与等の収入は、一四、一七六、四九九円であり、右金額から公租公課二、八三二、四二九円を控除すると、差引可処分所得は、一一、三四四、〇七〇円となる。他方、右期の預貯金等の個人財産の増加額は、八、三〇三、五四五円であるから、これを右可処分所得から控除すると、残額は三、〇四〇、五二五円となる。この残額が右一年間の寛の生活費と推定される。

ところで、右三期の残額(生活費と推定されるもの)の一ヶ年平均は、約三八五万円(一ケ月平均約三二万円)であるが、当時の寛の生活費が右金額より低額であったことは家計簿(検甲二の九九)によって明らかである。

(四) 以上によっても明らかなように、原判決が水増計上と認定する営業手当および賞与を加算した収入金額、公租公課、可処分所得金額、預貯金等の個人財産の増加額、生活費充当可能金額等が、いずれも均衡を保っている。この事実によっても、被告会社から寛に対し、現実に営業手当および賞与を支給していたことが裏付けられる。したがって、原判決の認定するような、単なる親子間の愛情から出た贈与によって、このような実名預金の蓄積ができるとは考えられず、原判決の前記認定が誤りであることは明らかである。

3(一) また、良子に支給された給料手当および賞与についても、全く寛の場合と同様である。すなわち、良子が結婚する昭和五一年三月までの独身時代は、被告人夫婦と同居していたため、営業手当や賞与だけでなく、給料袋に入っていたその他の給料手当についても、一定の小遣銭以外には、すべて母きみ子に預託して管理してもらっていた。母きみ子は、これらの保管金を良子の結婚の仕度金に充てるため、積立預金または臨時の預貯金にしていたが、これらの預貯金はすべて良子名義の実名で行っていた。また、母きみ子は保管金の一部を良子に交付し、良子が自分で預金をしたものもあり、あるいは、小遣等に費消したものもある(鈴木きみ子証言、第一一回公判、四四二丁ないし四四五丁、第一二回公判、四九八丁、四九九丁、大杉良子証言、第八回公判、二二九丁、二三五丁、二四二丁、二四三丁、二五四丁、二五五丁、二五八丁、二五九丁)。

(二) 良子が大杉喬と結婚してからは、大杉に営業手当および賞与が支給されているが、これらについても母きみ子が同じように、毎月受領して一旦保管し、大杉の妻である良子に交付していた。良子はこれを自己または大杉の実名で預貯金をしている。また、母きみ子に、良子の実名の定期預金等を解約してもらい、債券を購入したものもある(大杉喬証言、第三回公判、一一丁、一四丁、一五丁、二一丁、第四回公判、三三丁、三四丁、三七丁、三八丁、大杉良子証言、第八回公判、二三八丁ないし二四二丁、二五八丁ないし二六四丁)。その具体的な金額については、前記個人収支一覧表のNo.3記載のとおりである。大杉夫婦については、給料手当および賞与金について、水増計上されたものではなく、実際に支給されたものである。

4 なお、鈴木きみ子が大杉喬の営業手当および賞与を一旦受領して保管したうえ、これを大杉喬の妻良子に渡していたのは、前記第二項2(一)ないし(三)記載の理由によるものである。鈴木きみ子がこのような取り扱いをしていたのは、子供に対する自然な親心の発露によるものである。これこそ母親の子を思う親心によるものである。

5(一) また、前記個人収支一覧表(第二表)のNo.3によると、大杉喬(結婚前の良子の分を加算して計算)の営業手当および賞与を含めた収入は、昭和五〇年九月期が一三、三七八、五三〇円であり、右金額から公租公課一、五三三、三四二円を控除すると、差引可処分所得は一一、八四五、一八八円となる。他方、右期の預貯金等の個人財産の増加額は三、八四四、三〇九円であり、右金額を右可処分所得額から控除すると、残額は八、〇〇〇、八七九円となる。この残額が右一年間の良子および大杉の生活費充当可能額ということができる。当時、良子および大杉は独身であり、かつ、良子は被告人夫婦と同居しており、小遣い銭以外には生活費を必要としなかったから、右生活費充当可能額のうち相当額が現金の儘で、翌期に繰り越されたものと考えられる。なぜなら、翌五一年九月期の良子および大杉の収入および可処分所得は、五〇年九月期と略々同額であるのに、預貯金等の個人財産の増加額が、二倍以上の金額になっていることによっても明らかである。

(二) すなわち、昭和五一年九月期の良子および大杉の収入は、一二、九九九、一九一円であり、右金額から公租公課一、八九四、三三八円を控除すると、差引可処分所得は、一一、一〇二、八五三円となる。他方、右期の預貯金等の個人財産の増加額は、一〇、〇二五、六四一円であるから、これを可処分所得金額から控除すると、残額は一、〇七七、二〇七円となる。大杉と良子は、右期の中間である同五一年三月に結婚しているが、右残額だけでは生活費としては少なすぎるので、前述の前期の繰り越し金を右期の預貯金の増加分にあてたり、または結婚費用にあてたものと推認される。

(三) また、同五二年九月期の大杉の収入は、一二、四四六、六七〇円であり、公租公課二、一八九、五九八円を控除すると、差引可処分所得金額は一〇、二五七、〇七二円となる。他方、右期の預貯金等の個人財産は、前期に比較し、逆に一、六七二、八八五円減少しており、生活費充当可能額は一一、九二九、九五七円となる。この金額は大杉夫婦の生活費としては多過ぎるが、これは昭和五一年暮に購入した住居のマンションの頭金や割賦金の支払にあてたものである(大杉良子証言、第八回公判、二五〇丁、二五一丁)。

(四) ところで、右三期の生活費充当可能金額の一ヶ年平均は約七〇〇万円(一ケ月平均約五八万円)であるが、当時の大杉の生活費が右金額よりはるかに低額であったことは、前述した寛の生活費と比較すれば、容易に首肯できるところである。右生活費充当可能金額のうち、生活費に費消したもの以外は、前述のように、結婚費用およびマンションの購入代金の支払に充当されたものと思われる。

(五) 以上によっても明らかなように、営業手当および賞与を加算した収入金額、公租公課、差引可処分所得金額、預貯金等の個人財産の増加額、生活費充当可能金額等が、いずれも均衡を保っている。この事実によっても、被告会社が結婚するまでの良子、結婚後の大杉に対し、いずれも現実に営業手当および賞与を支給していたことが証明されるのであって、これを単なる親子間の愛情から出た贈与金によって蓄積されたと解するのは、非常識かつ不合理であって誤りである。

6(一) また、茂樹に支給された給料手当および賞与についても、これまた、寛、良子および大杉の場合と同様である。茂樹は当時被告人夫婦と同居しており、独身であったため、小遣い以外には支払うものがなかったが、昭和五二年一〇月に結婚したため、結婚資金を蓄えておく必要があった。そのため、母きみ子は茂樹の給料手当および賞与のうちから小遣いを除いたものを預かり、これらを茂樹の実名の預貯金ないし簡易保険の保険料に支払っていた。また、昭和五二年四月分から営業手当として一ヶ月金二〇万円宛支給されることは、前もって、母きみ子から茂樹に予告されており、茂樹も自分の労働が評価されたものと考え、実質的に給料が増額されたことを認識していたものである。営業手当についても、茂樹は従前どおり母きみ子に管理を依頼し、預金にしてもらうように依頼し、その結果、他の給料手当および賞与と同様に、母きみ子が茂樹の実名で預貯金にしていた。その具体的な金額については、前期個人収支一覧表のNo.4記載のとおりである。茂樹についても、給料手当および賞与について、水増計上されたものではなく、実際に支給されたものである(鈴木きみ子証言、第一一回公判、四四五丁ないし四四七丁、第一二回公判、四九八丁、四九九丁、鈴木茂樹証言、第六回公判、一五四丁ないし一七〇丁)。

(二) ところで、前記個人収支一覧表のNo.4によると、茂樹の昭和五二年九月期の営業手当および賞与を含む収入は、六、七一六、九五六円であり、公租公課六三九、六九二円を控除すると、差引可処分所得は六、〇七七、二六四円となる。他方、右期の預貯金等の個人財産の増加額は五、七〇九、三六五円であり、これを右可処分所得金額から控除すると、生活費充当可能金額は三六七、八九九円となる。当時、茂樹は被告人夫婦と同居しており、現実には生活費は小遣い銭以外には必要がなかった。前述の家計簿(検甲二の九九)によると、寛の一ヶ月の小遣い銭は三万円であるから、茂樹の小遣い銭としても、一年間に三六万円あれば一ヶ月三万円であり、寛の小遣い銭と同額であるから、必要にして十分ということができる。もし、小遣い銭に不足すれば、茂樹は何時でも母きみ子から借り受けるか、あるいは、もらう(贈与)ことができたのである。したがって、茂樹の場合も、営業手当および賞与を含めた収入から公租公課を控除した差引可処分所得金額の範囲内で、預貯金を増加させているのであるから、寛、良子および大杉喬の場合と同様に、実際に茂樹も営業手当および賞与の支給を受けていることが証明されるのである。しかるに、原判決は、このような客観的事実を無視して、家族従業員に対する給料手当および賞与の水増計上を認定し、かつ、鈴木きみ子から家族従業員に対する金員の交付を「単に親子間の愛情から出た贈与に過ぎない。」旨認定したのは誤りである。

7 ところで、原判決の認定するように、家族従業員に対する営業手当および賞与についても水増計上であって、現実に支給したものでないとすると、前記1ないし6で述べたような家族従業員の実名預金が増加した資金源がなにかということが問題となる。原判決の認定によれば、その資金源は、鈴木きみ子が保管していた簿外資金の一部を単に親子間の愛情から贈与したものであることになる。

しかし、前述のように、定期的に毎月、かつ、給料手当および賞与と同額である定額の金員が、単なる親子間の愛情から数年間に亘って継続的に贈与され、これらの贈与金が資金源となって、家族従業員の実名の預金に転化したと解するのは、いかにも非常識かつ不合理であって、あまりにも実態を無視するものであり、到底信用するに由しないものである。もし、真実これら家族従業員の実名預金が親子間の愛情から贈与された資金から転化したものであれば、家族従業員の実名預金の原資に対し、国税局側は贈与税の課税をしなければ首尾一貫しないわけである。しかしながら、国税局側は、被告会社に本件の修正申告を強要する際に、右贈与税の課税問題を持ち出し、強要の材料に利用しているが、結局、右贈与税の課税をしていない。このような取り扱いは自己矛盾である。以上の次第であって、家族従業員の実名預金の原資は、原判決認定のような親子間の愛情から出た贈与によるものではなく、家族従業員が被告会社から支給を受けた給料手当および賞与であると解するのが合理的であり、かつ、実態にも合致する。また、このことは以下に述べるところからも明らかである。したがって、原判決がこの点に関する鈴木きみ子、鈴木寛、鈴木茂樹、大杉喬、大杉良子の各証言および被告人の供述を信用できないと認定して排斥したのは誤りである。

(一) 給料の定時、定額の支払いというのは、あくまでも、被告会社から従業員に対する関係について問題になるのであって、従業員が給料として一旦受領していたものを、預託先から返還を受けたり、預託者に依頼して預金等をしてもらう関係、すなわち、第三者と従業員との関係で問題になることはあり得ない。前述のように、被告会社は毎月経理担当者が従業員各人の給料を計算し、金額を特定の上で、家族従業員のために受領者である母きみ子の許に届けて支払っていた。給料は従業員本人が現実に受領するだけでなく、第三者が使者として受領することも可能である。また、最近では、第三者である銀行の預金口座に振込送金をすることによっても、給料の支払いは完了する。従業員が現実に銀行から右預金の払戻しを受けたり、右預金の払戻しを受けた現金でもって定期預金をすることは、給料の支払とは無関係である。したがって、給料の定時、定額払いが問題になるのは、被告会社と従業員のために受領する母きみ子との間であって、その後の関係である母きみ子とその家族である寛、良子、茂樹との関係が問題になることはあり得ない。

(二) また、鈴木きみ子が家族である従業員の依頼を受けて、預り金を預貯金すること自体、給料の支払いとは無関係であるから、その預貯金証書を保管していたことも無関係である。寛、良子、茂樹らは、いずれも結婚前は被告人夫婦と同居しており、また、茂樹は結婚後も同居していた。母親であるきみ子が子供達のために、預金証書を保管することは、それこそ親子の情からやったものであって、特別に問題とするに足りない。

8 また、原判決は、「これ(営業手当等)を被告人の妻が一括管理するようになった」(一七丁表)旨認定するが、右認定も誤りである。なぜなら、鈴木きみ子は、被告人の自宅において、家族従業員の給料手当および賞与を各人毎に特定し、他の従業員の分とは区別して保管していた。このことは、鈴木きみ子が被告会社から家族従業員の給料手当および賞与の支給を受けて、これを保管していたことを物語るものである。すなわち、鈴木きみ子は、被告会社の経理担当者から給料手当および賞与として受領した現金のうち、家族従業員の分は、各人毎に使い古しの袋に入れたり、あるいは、輪ゴムで括って特定した上で、自宅の居間にある自宅内の金庫あるいは机の引き出しに入れて保管していた。また、この袋には各人の頭文字や名前を書いて区別していた。したがって、全部または常時袋に入れて保管していたものではなく、袋に入れていたときもあるが、袋には入れないで単に輪ゴムで括って保管していたときもあったのである。いずれにせよ、鈴木きみ子は、家族従業員の給料手当および賞与として受領したものを、各人毎に区別して特定したうえ保管していたことは明らかである。(鈴木きみ子証言、第九回公判、三〇〇丁ないし三〇三丁、三三〇丁、三三一丁、第一一回公判、四三一丁ないし四三四丁、四四九丁、四五〇丁、第一二回公判、四九一丁、四九二丁)したがって、原判決の前記認定は誤りである。

以上の次第であって、鈴木きみ子は、被告会社から家族従業員の給料手当および賞与の支給を受けるという認識の下にこれを受領し、家族従業員の各人毎に特定して区別し、保管していたものである(前記第二項4参照)

附言するに、本件査察着手当時、袋が押収されていないことをもって、原判決認定のように、「鈴木きみ子が給料手当等を一括管理していた」ことにはならない、すなわち、鈴木きみ子が家族従業員の給料手当等を各別の袋に入れて保管していなかったことにはならない。なぜなら、本件査察着手当時、査察官がすべての証拠物を押収したものでないことは明らかだからである。本件査察の着手は昭和五三年五月一六日であり、当日押収(甲一の三七ないし五〇)しなかったものは、同年六月二二日に押収(甲一の五一、五二)したり、同年五月一九日および同年八月二日に領置したりしている(弁証一九、二〇)。本件査察事件の捜査がずさん極まりないものであることは、辯護人が再三指摘したとおりである。押収したり、領置したりしない重要な証拠物が多数存在することは、弁証として提出した証拠物によっても明らかである。

六、以上の次第であって、被告会社は家族従業員に対してはいずれも給料手当および賞与を被告人の妻きみ子を通じて現実に支給していたのであって原判決が認定するように水増計上したものではない。したがって、原判決には、この点につき、判決に影響を及ぼすことが明らかな重大な事実の誤認があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するので、原判決は破棄されるべきである。

第三 賞与金の翌期支払いと債務の確定について

一、次に、被告会社では、従業員に対し、昭和五〇年一一月二一日に支給した賞与を同年九月に、昭和五二年一〇月五日に支給した賞与を同年九月にそれぞれ支給したことにして、これを当該事業年度の損金に計上したことは、原判決の認定するとおりである(一八丁表)。また、「法人の事業を遂行するために要する販売費及び一般管理費につき、当該事業年度の終了する日までに、具体的に給付すべき原因となる事実が発生して、その債務が成立し、かつ、その金額を合理的に算定することができるときは、たとえその債務が現実に履行されていない場合であっても、これを損金に計上し得る」ことも原判決の認定するとおりである(一七丁裏から一八丁表)。

そこで、問題は、本件の各賞与の支払債務がいずれも当該事業年度の終了の日までに成立し、かつ、その金額を合理的に算定することができたか否か、ということである。この点につき、原判決は次の理由でこれを否定しているが、右判定は合理性がなく誤りである。

二、まず、原判決は、「昭和五〇年一一月二一日及び昭和五二年一〇月五日に支給した賞与は、昭和五〇年九月期及び昭和五二年九月期の各事業年度の終了する日までに、その支払いが確定していたものとは認められない」(一八丁裏から一九丁表)と判示し、その理由として、次のように認定する(一八丁裏から一九丁表)。

1 被告会社では、当該各期における所得の平準化を図るため、被告人の指示に基づき、従業員に対し、昭和五〇年一一月二一日に支給した賞与を同年九月に、昭和五二年一〇月五日に支給した賞与を同年九月にそれぞれ支給したこととして、これをことさら当該事業年度の損金に計上した。

2 毎年九月ころ支給する賞与は、期末の決算期に従業員の労をねぎらうため支給する臨時的な賞与であって、その支給額、支払時期も一定しておらず、その都度被告人の裁量により適宜決定されていた。

3 本件の場合も、被告人の全くの自由裁量で支給額と支給時期が定められていたものである。

4 したがって、従業員において、右賞与が確定に支払われるか否かはもとより、その支給額及び支給時期などを知り得ないばかりか、その請求権をも有しない。

5 仮りに、右のような事実が存した(右賞与につき、経理担当者において、昭和五〇年及び昭和五二年の各九月中に具体的な金額を算定したうえ、それに相当する現金を各人毎の賞与袋に入れて、いつでも支給できるように準備し、これを被告会社の金庫あるいは被告人の妻が自宅の金庫にそれぞれ保管していた)としても、そのことは、従業員等外部の者に告知されていないので、被告人の自由意思でいつでも撤回し得る状況にあったことを考えると、前記程度の準備をしたとしても、まだ当該賞与の支払いが確定したということはできない。

三、しかしながら、原判決の右認定は、全く暴論であって何等の合理性もなく、明らかに法人税法第二二条第三項第二号の解釈を誤ったものである。原判決の右のような認定によると、被告会社は、事業年度末である九月末日までに現実に従業員に賞与を支給しなければ、損金に算入できないことになって不合理である。右法条の趣旨は、当該事業年度末までに現実に賞与として従業員に支給していなくとも、当該事業年度末までに支払債務として確定しておれば、当該事業年度の損金に算入できるということである。原判決の右認定は独断であって、明らかに誤りである。以下において原判決の右認定が誤りであることを詳述する。

1 被告会社は、毎年六月と一二月に賞与を従業員に支給してきたが、そのほかに、慣行的に各事業年度末である九月末にも賞与を支給していた。すなわち、被告会社では、毎年六月、九月、一二月の年三回従業員に賞与を支給してきており、、これが慣行になっていた。このことは、第一審判決が、「賞与は、……前期のとおり毎年六月と一二月に支給されていたほか九月にも支給されていた」旨認定している(二三丁表)ほか、原判決自体、前記第二項2記載のように、「毎年九月ころ支給する賞与は」と認定していることによって明らかである。

2 被告会社が例年九月中に支給していた賞与は、九月が期末の決算月であるため、従業員の労務に対する対価として慣行的に支給してきたいわゆる「決算賞与」である。こと決算賞与は、被告会社において従業員に支給することが既往の支給実績等からみて常態となっており、慣行化されていたものである。したがって、この賞与は、原判決の認定するような「臨時賞与」(基本通達一一―四―一〇および一一―四―一二・この注に「いわゆる決算賞与であっても、既往の実績等からみてその支給されることが常態となっているものは、この場合の臨時給与に該当しない」とあることによっても本件賞与が臨時賞与でないことは明らかである。)ではなく、定期的な決算賞与である。したがって、本件賞与を臨時賞与と解した原判決の前記認定(前記第二項2参照)は明らかに誤りである。毎年九月に決算賞与が支給されることは被告会社の全従業員が承知しており、支給時期が毎年九月中ということも慣行的に定まっていたものである。したがって、期末である九月末に被告会社に在籍した従業員は、この決算賞与の支給を受ける資格を有するものである。原判決は、従業員において右賞与が確実に支払われるか否かはもとより、その請求権をも有しない(前記第二項4)とか、支給時期が一定していない(前記第二項2)とか、被告人の全くの自由意思で支給時期が定められていた(前記第二項3)などと認定するが、右認定は明らかに誤りである。前述のように、本件の場合、昭和五〇年および同五二年の各九月末に被告会社に在籍する従業員は、被告会社からいずれも当該事業年度の決算賞与の支給を受ける請求権を有するものである。

四、而して、この決算賞与を支給するについては、その支給の準備段階から実際に従業員に支払いを実施するまでには、かなりの日数と手続とを必要とする。そのうち、どの段階に達したときに決算賞与としての支払債務が確定した、といえるかの問題である。

1 被告会社の当該事業年度の業績が具体的に確定するのは、九月末決算であるから早くとも一〇月末以降である。しかし、経営者である被告人は、当該事業年度の業績について概略の判断はつくものであるから、九月中には鈴木寛または経理担当責任者であった鈴木良子(大杉喬と結婚前)ないし大杉喬(右結婚後)らに対し、、当期の決算賞与の支給等につき指示し、具体的な支給事務を進めるように命ずるのである。鈴木寛または右経理担当責任者らは、右指示に基づき、九月末までに決算賞与を支給できるように、担当部課長が査定した各従業員の勤務成績の結果を斟酌のうえ、各従業員毎に決算賞与の支給金額の原案を作成し、これに基づいて、右支給金額、源泉徴収税額等の控除額、差引支給額等を算出し、賞与金支給の一覧表を作成して、これを被告人に提出し最終的に被告人の決裁を得ることによって、決算賞与の支給額を確定する。この段階で従業員の決算賞与が具体的に特定され、かつ、確定する。すなわち、このときに決算賞与の支給金額が各従業員毎に分別され特定するだけでなく、右支給金額が変更されたり、あるいは撤回されたりする可能性はなくなるわけであるから、決算賞与としてその支払債務が確定する(この段階で基本通達二―二―一二の三要件を充足することは明らかである)。したがって、この決算賞与は、右に述べたような手続と段階を経て確定するものであるから、原判決が認定するように、「その支給額がその都度被告人の裁量によって適宜決定される」(前記第二項2)ものではなく、また、「被告人の全くの自由裁量で支給額が定められていた」(前記第二項3)ものでもないから、原判決の右認定はいずれも誤りである。

2 被告会社においては、昭和五〇年および同五二年の各九月中には、例年どおり、鈴木寛または経理担当責任者が前記1で述べたとおりの手続と段階を経て、賞与金支給の一覧表を作成し、最終的に被告人の決裁を得て決算賞与として確定していたものである。のみならず、経理担当責任者の鈴木良子ないし大杉喬は、被告会社の取引銀行から、各九月中に決算賞与として従業員に支給するため預金の払い戻しを受け、この現金を右一覧表に従って各従業員毎に賞与袋に入れて配分し、各九月中にはいつでも支給できるように右賞与袋に入れた現金を被告会社営業部内の金庫ないし被告会社本店(被告人の自宅)内に保管していたものである(大杉良子の証言、第八回公判、二三二丁、鈴木寛の証言、第五回公判、五八丁、八〇丁、第六回公判、一一八丁ないし一二〇丁、被告人の昭和五六・八・三陳述書第二一項1、2)。したがって、仮りに百歩を譲ったとしても、右の段階において、昭和五〇年および同五二年の各九月中に、従業員に支給する決算賞与の支払債務が確定していたことは明らかである(後記第七項冒頭参照)。

五1 被告会社においては、丁度昭和五〇年九月頃に、被告会社の従業員のうち何人かが退職するという問題が生じたため、右九月中に支給する予定にして前項2記載のように賞与袋に入れて保管していた決算賞与の支給を延期し、同年一一月二一日に現実に従業員に支給した。そのため、被告人は、従業員が期末の決算賞与の支給を受けた直後に退職するのでは、被告会社として業務上支障を生ずるため、決算賞与の支給を一時延期したのである。その結果、実際には、被告会社は翌期である同年一一月二一日に従業員に決算賞与を支給している。現実に九月中に支給せずに一一月二一日まで支給が遅れたのは、単なる被告会社内部の従業員対策の問題があったためであって、決算賞与の支給を変更したりあるいは撤回したりしたためではない。しかし、実際には、同年九月中には、従業員に支給する決算賞与の支払債務が確定していたことは前述したとおりである(被告人の右陳述書第二一項1)。したがって、被告会社が決算賞与の支給を遅らせたことについては合理的な理由がある。原判決の前記第二項1記載の認定は誤りである。

2 また、被告会社が昭和五二年九月に支給すべき決算賞与を、翌期である同年一〇月五日に現実に従業員に支給したのは、永松顧問税理士の指導でやったことである。永松税理士は、被告会社の未払金が多額になるからという理由で、同年一〇月五日の給料日に給料と一緒に支給した決算賞与を、同年九月末に支給したように被告会社の帳簿処理を行なったものである。このときも、昭和五〇年九月期の決算賞与と同様の手順によって、右九月中には決算賞与として従業員に対する支払い債務が確定していたものである(被告人の右陳述書第二一項2、鈴木寛の証言、第五回公判、五七丁ないし六〇丁、七九丁ないし八一丁、第六回公判、一一八丁ないし一二〇丁)。したがって、この場合も、決算賞与の支給を変更したり、撤回したりすることはあり得ないのであって、被告会社が決算賞与の支給を期末に行った旨の帳簿処理をしたことについては右のような合理的な理由がある。原判決の前記第二項1記載の認定は誤りである。

六、前述のように、被告会社が昭和五〇年および同五二年の各九月中に支給する決算賞与を現実に翌期に支給していても、各九月中に従業員に対する決算賞与の支払債務が確定していたものであるから、現実に九月中に支給しなくとも、未払金として各事業年度の損金に算入できたのである。したがって、右各事業年度の決算においては、未払金として処理しておけば全く問題はなかったのである。これを永松税理士の指導で未払金が多額になる等の理由で、未払金として処理せず、右各事業年度内である九月中に現実に支給した旨の帳簿処理をしたものである。したがって、これは単に帳簿処理が事実と異なるというだけのことであって決算賞与として支払債務が確定していたのであるから未払金として処理しても、被告会社の当該事業年度の損金に算入できるという結論は異ならない。本件の場合は、単なる未払い賞与とは性質が異なるものである。本件査察捜査の際に、永松税理士を関与させてきる。被告会社は九月中に右準備を完了していたのであるから、決算賞与の支払債務は確定していたものである(前記第四項2参照)。

この点につき、原判決は前記第二項5記載のように認定する。原判決は、「そのことは、従業員等外部の者に告知されていないので、被告人の自由意思でいつでも撤回し得る状況にあった」旨認定するが、右認定は全くの独断であって、事実を歪曲するものである。

まず、原判決は、臨時賞与の支給は、従業員等外部の者に告知されていないため、告知がなければ撤回できることを前提とし、外部に告知されていないので、被告人の自由意思によっていつでも撤回できる状況にあった旨認定する。しかし、右認定が誤りであることは前述したところからきわめて明白である。なぜなら

1 第一に、本件賞与は、前述のように、原判決の認定するような「臨時賞与」ではなく、「決算賞与」である。仮りに臨時賞与であれば、原判決の右認定が妥当することがあるかも知れないが、決算賞与の場合には、原判決の右認定は妥当するものではない。決算賞与は毎事業年度末の決算期に定期的に支給される賞与であって、臨時的なものではないから、従業員等外部の者に賞与の支給が告知されなくとも、被告会社においては慣行的に決算賞与を支給してきた実績があるので、従業員はすべてこれを事前に承知しており、予め告知することを必要とするものではない。臨時賞与の場合には、臨時的に支給されるものであるから、従業員が予め承知している筈がなく、したがって、従業員に告知する必要があり、告知されるまでは撤回できることも首肯できないわけではない。しかし、前記第三項記載のように、被告会社では毎年三回(六月、九月、一二月)定期的に賞与を支給してきていたのであるから、定期払いの賞与であり、従業員に告知されないからといって、被告会社が一方的にその支給を撤回できる性質のものではない。定期払いの決算賞与を臨時賞与と認定した原判決は、既にこの点で前提を誤っている。

2 第二に、本件決算賞与は、前記第四項記載のような手続によって賞与としての支払債務が確定したものであって、原判決が認定するように、被告人一人の自由意思によって決定されたものではない。本件賞与の支給額は、被告人一人の自由意思よって決定したものではなく、多くの従業員が関与して一定の手続と段階を経て確定したものであることは前記第四項記載のとおりである。すなわち、まず、被告人から毎年九月中に鈴木寛または経理担当者であった鈴木良子ないし大杉喬に対し、当期の決算賞与の支給等につき指示し、具体的な賞与支給事務を進めるように命ずる。これを受けて、鈴木寛または経理担当責任者は、担当部課長に対し、決算賞与支給額決定のために各従業員の勤務成績の査定を依頼する。担当部課長は、担当部課の従業員の勤務成績を査定し、その結果を文書にして鈴木寛または経理担当責任者に提出する。鈴木寛および経理担当責任者は右査定の結果を斟酌のうえ、各従業員の決算賞与の支給額の原案を作成する。経理担当責任者は、経理課員に命じて右支給額の原案を基に、各従業員毎に決算賞与の支給金額、源泉徴収税額、差引支給金額等を算出させ、賞与金支給の一覧表を作成させる。鈴木寛または経理担当責任者は、右一覧表を被告人に提出し、最終的に被告人の決裁を得ることによって、決算賞与の支給金額を確定する。昭和五〇年および同五二年の各九月期の決算賞与についても、右に述べた各手続を経たうえで被告人の決裁を得て、支払債務として確定したものであるが、更に、本項の冒頭で述べたように、決算賞与支給のために、賞与袋に各従業員の支給金額を入れて配分し、何時でも支給できるようにして保管していたものである。

八、以上の次第であって、本件決算賞与は、支払債務が確定していたものであって、原判決が認定するように、「従業員に告知されていないため、被告人一人の自由意思によっていつでも撤回できる」ような性質のものではなかった。原判決がこのような誤った認定をしたのは、本件各賞与が「決算賞与」であるのに「臨時賞与」であるという誤った認定をしたためである。原判決の認定が誤りであることはきわめて明白である。原判決には、この点において判決に影響を及ぼすことが明らかな重大な事実の誤認がある。また、原判決を破棄しなければ著しく正義に反することが明らかであるから、原判決は破棄されるべきである。

第四 その余の問題に対する誤認について

一、本件工事収入金に関し、原判決は、「被告人は、右工事収入金が昭和五〇年九月期の益金に当るにもかかわらず、これを同期の工事収入金に計上しないで確定申告したことを認識していたものと認めるのが相当である。」(二一丁裏)旨判示し、被告に故意のあったことを認め、その理由として、「被告人は、右各期の法人税確定申告をする際、その事務処理に当った税理士から被告会社の所得金額について説明を受けていることが認められる。」と認定する。

しかしながら、原判決の右認定は全くの誤りである。なぜなら、本件工事収入金計算漏れは、工事収入金調査書(甲一の一)によっても明らかなように、被告会社の経理担当者の売掛金計算の誤謬による単純な収入金の計算漏れであり、単純な期間損益の問題である。被告人自身は全く関与していない事項である。したがって、被告人には、偽りその他不正行為により法人税を免れるという逋税の故意を欠くものであることはきわめて明白である。

右点につき、被告人に故意のあることは検察官が立証すべきであるのに、この点の証拠は全く存在しないことは明白である。そこで、原判決は、「被告人は、右各期の法人税確定申告をする際、その事務処理に当った税理士から被告会社の所得金額について説明を受けていた」ことを理由に、被告人の故意を認定している。しかし、前述のように、これは被告会社の経理担当者の売掛金計算の誤謬による単純な収入金の計算漏れであって、右経理担当者は勿論、永松税理士自身も右誤謬に気付かずに、その儘法人税の確定申告をしてしまったものである。もし、右申告の際に永松税理士が気付いておれば、訂正されていたものである。勿論、永松税理士からこのような些細なことについて、被告人が説明を受けたことがないのは明らかである。したがって、被告人は全くノータッチの事項である。被告人にこの点につき故意のないことは明らかである。そのため、原判決は、「所論のとおり、事実誤認があったとしても、その誤認した金額が六三万八〇〇〇円に過ぎない本件においては、当該事業年度の正当な所得金額に対比し、右程度の誤認は判決に影響を及ぼさない」旨蛇足的な認定をしている。このような判決によって「個人の基本的人権の保障を全うする」ことができるのであろうか。

二、次に、本件減価償却費につき、原判決は、「被告人は、所論の減価償却費の計上を申告するについて、逋脱の意思を有していたものと認められる。」(二一丁表)旨判示し、その理由として、前項と同様に、「被告人は、右事業年度における法人税の確定申告をするに先立ち、顧問税理士から、その申告所得額について十分説明を受けている」旨認定する。

しかしながら、原判決の右認定は、前項の本件工事収入金の場合と同様に、全く誤りである。なぜなら、減価償却超過額は、減価償却超過調査書(甲一の一六)によっても明らかなように、三鷹宿舎の耐用年数適用について、被告会社の経理担当者が三〇年を一〇年と誤認して適用したため、法定償却費を超える金額を償却したものであって、経理担当者の単純なミスである。これまた、被告人は全く関与していない事項である。永松税理士自身、法人税の確定申告書を作成する際に気付かず看過したため、右誤りが是正されなかったものである。永松税理士が右申告書作成の際に気付いておれば、当然是正されていたものである。このように永松税理士自身気付かず看過した事項について、右申告の際に被告人に説明することなどあり得ない。のみならず、耐用年数と減価償却率は、税法上の専門的、技術的事項であって、このようなことまで説明したことは到底考えられないのであって、被告人に右事項を説明したという原判決の右認定は明らかに誤りである。原判決は、証拠を無視し、事実を歪曲してて認定し、有罪を維持しようとしている。被告人が全く関与していない事項につき刑事責任を負担させられては、憲法の人権保障規定が空文となる。本件減価償却費に関し、被告人には、偽りその他不正の行為により法人税を免れるというほ脱の故意がなかったことは明らかである。

三、次に、本件雑収入につき、原判決は、前項の本件減価償却費についてと、全く同趣旨の認定をし、被告人の故意を認定している。

しかしながら、原判決の右認定は、前項の減価償却費の場合と同様に、全く誤りである。なぜなら、雑収入の計算漏れは、雑収入調査書(甲一の五)によっても明らかなように、経理担当者が記載しなかったものであって、被告人が全く関与しない事項である。原判決は、被告人の指示に基づき、右のような記載漏れがあったかの如き認定をしているが、被告人がこのような帳簿の記載に関与したことは全くない。また、被告人は法人税申告の際に、右の点につき永松税理士から説明を受けたこともなく、かつ、説明を受けたという証拠もない。したがって、被告人には、この点につきほ脱の故意がなかったことはきわめて明白である。

四、しかるに、原判決は、前記第一項ないし第三項記載の事項につき、被告人に偽りその他不正の行為により法人税を免れるというほ脱の故意がある旨認定した。しかし、右認定には判決に影響を及ぼすことが明らかな重大な事実の誤認がある。而して、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するので、原判決は破棄されるべきである。

○ 上告趣意補充書

被告人 第一重機工業株式会社

同 鈴木光

右者らに対する御庁昭和五九年(あ)第八七号法人税法違反被告事件につき、弁護人は左のとおり上告の趣意を補充する。

昭和五九年一〇月二日

右主任弁護人 岸巖

右弁護人 笠井浩二

最高裁判所第二小法廷 御中

一、上告趣意第一点のうち左記(一)ないし(三)の部分を、左記1ないし3のように訂正補充する。

(一) 第七項中(一一丁表一三行目ないし同丁裏七行目)に、「同月一九日以後に国税局が清水建設の関係者を取調べたか否かについては何等の認定もしていない。原判決が、この点につき何等の認定もしなかったのは、本件査察後には国税局が清水建設の関係者を取調べた事実がなったためである。なぜなら、前述のように、前記証拠決定は、『証拠上国税局が本件で同月一六日の査察後に清水建設の関係者を取調べた形跡はなく、』と認定していることによっても明らかである(六丁表一一行から一三行)。」

(二) 第七項中(一一丁裏一三行目から一二丁表一行目)に、「原判決は、この点については全くなんらの判示もしていない。原判決が、この点につきなんらの判示をしなかったのは、」

(三) 第九項中(一四丁表二行目ないし四行目)に、「この点についても、原判決は何等の判断を示さず、無視しているのである(なお、後記第五点10(二)参照。」

1 この点につき、原判決は「関谷査察官が被告人から本件脱税の事実について事情を聴取した際、清水建設の関係者を取り調べないで欲しい旨の申出があったけれども、強制調査に着手した当日すでに他の査察官が清水建設の関係者から事情を聴取していたので、更に取調べる必要がなかったため、被告人の右申出を聞き流した」旨認定(四丁裏から五丁表)しているが、右認定は明らかに誤りである。

なぜなら、本件における反面調査として清水建設の関係者を取り調べて裏付をとることは、強制調査に着手した当日一日だけで終了する性質のものではなかったからである。

すなわち、簿外交際費の支出に関する裏付捜査は、本件の調査対象期間である自昭和四九年一〇月一日至同五二年九月三〇日までの満三年間に亘るものであるから、わずか一日だけ清水建設の関係者を取り調べれば、原判決の認定するように、「更に取調べる必要がなかった」などという性質のものでないことはきわめて明白である。関谷証人自身、簿外交際費の支出につき裏付捜査をしなかったことは認めているが(上告趣意書第一点第一二項1、2参照)、「更に取調べる必要がなかった」などとは供述していないのである。したがって、原判決が清水建設の関係者を強制調査着手後に「更に取調べる必要がなかった」旨認定したのは、全く証拠に基づかない独断と偏見による誤認である。反面調査として簿外交際費の支出に関し、主取引先である清水建設の関係者(数十人ないし数百人)の裏付捜査が、わずか一日だけで終了する性質のものでないことは明らかである。この点で原判決の右認定は明らかに誤りである。

2 被告人は、被告会社の支出した簿外交際費の明細を明らかにするために、関谷査察官の指示に基づき、被告会社名義で関谷査察官宛に、昭和五三年九月一八日付申述書(甲一の一二)および同年一〇月二五日付申述書(甲一の一〇)を提出している。関谷査察官としては、右簿外交際費が実際に支払われたか否か、を清水建設の関係者にあたって反面調査をする必要があったことは、以下に述べるところからきわめて明らかである。

(一) ところで、右九月一八日付申述書(甲一の一二)(以下第一申述書という)によると、第一申述書には、自昭和四九年一〇月一日至同五〇月九月三〇日(以下第一期という)の間における被告会社の簿外交際費を、「現場経費」(第一申述書の別紙1)と「交際費」(第一申述書の別紙2)の二つに分けて記載している。また、右一〇月二五日付申述書(甲一の一〇)(以下第二申述書という)には、自昭和五〇年一〇月一日至同五一年九月三〇日(以下第二期という)および自昭和五一年一〇月一日至同五二年九月三〇日(以下第三期という)の間における被告会社の簿外交際費を「現場経費」(第二申述書の別紙1)、「交際費」(第二申述書の別紙2)および「借地代」(第二申述書の別紙3)の三つに分けて記入している。

(二) 而して、第一期(第一申述書の別紙1記載)の「現場経費」は三一件、第二期(第二申述書の別紙1記載)の分は三三件、第三期(第二申述書の別紙1)の分は一〇一件であって、計一六五件である。また、右「現場経費」は、第一期分が金七、九一〇、〇二八円、第二期分が金七、五四〇、九〇〇円、第三期分が金一九、九一九、四五四円であって、計三五、三七〇、三八二円という高額である。

このように、満三年間、計一六五件、計金三五〇〇万円以上に及ぶ簿外交際費である「現場経費」の「支出の有無」を調査するのに、原判決が認定するように、僅か強制調査着手日一日だけ清水建設の関係者を反面調査することによって完了する、ことなどあり得ないことは右「現場経費」の支出回数および支出金額から常識的に判断してもきわめて明白である。

(三) 右第一申述書および第二申述書の各別紙1に記載されている「現場経費」は、いずれも金額のほとんどが一〇万円単位であって最高一三〇万円という高額なものばかりである。また、被告会社側の支払者(禀議書なし経費メモに記載されている)は、高橋昌治、土田武夫、橋本恵治、管原七郎、斎藤茂、藤光、鈴木(寛)、稲坂等具体的氏名が記載されており、現場経費の支出の有無を調査するには、まず支出者側であるこれら被告会社の関係者にあたって調査をする必要がある。しかるに、査察官は被告会社のこれら関係者に個別的にあたって現場経費の支出の有無を調査していない。査察官がこのような調査をすることは比較的容易にできた筈である。

また、被告会社は第一申述書および第二申述書の各別紙1を押収された禀議書、経費メモおよび家計簿等によって作成しているが、これら禀議書等の記載のみによっては、現場経費として清水建設の工事現場の所長等に実際に支払われているか否かは不明である。のみならず、第二申述書の別紙1の記載によると、自昭和五〇年一〇月二九日至同五一年三月八日の間の計一四件、計金三、二二八、五〇〇円の現場経費については、禀議書等の客観的な証拠は全くなく、被告会社の従業員である土田武夫の申述書(昭和五三年九月二日付)によって右「現場経費」の明細が作成されている。したがって、土田武夫の右申述書に基づいて作成された現場経費の支出の明細は、全く客観的な証拠によって裏付けられたものではなく、信用できないものである。右の部分は、被告人が支出した「交際費」(第一申述書および第二申述書の各別紙2記載)と同様に、国税局側が課税の便宜のために数字の辻褄を合わせるために、土田武夫に右申述書を作成させ、右申述書に基づいて被告会社に第二申述書(甲一の一〇)等を作成させたのである。

(四) また、これらの「現場経費」の支払先はほとんど清水建設の工事現場の所長、主任等である(第一申述書および第二申述書参照)。前記別紙1の「現場経費明細書」によると、「現場経費」を支払った「工事現場名」、「工事現場の所長、主任名乃至所長、主任、」等の記載がなされて特定しているから、裏付調査をする必要があり、かつ裏付調査は容易にできたのである。査察官は、これらの現場経費が第一申述書および第二申述書の別紙1「現場経費明細書」記載の如く、現実に清水建設の関係者に支払われていたか否か、現場経費は具体的に簿外交際費に該当するのか否かを、清水建設の関係者に当って調査すべきであったのである。

例えば、第二申述書の別紙1(昭五一・一〇・一~五二・九・三〇)の「五一・一〇」、「一、二〇〇、〇〇〇」円(土田武夫が五一・一〇・二〇禀議書起案)を現場経費として支出しているが、その「内容」欄には、「狭山本田技研青木所長一二月まで借りたい」と記載されている。右記載は、清水建設が工事中の狭山市所在本田技研工業の工事現場の青木所長から、同年一二月に返済する約束で一二〇万円を借り受けたい旨の申込があったので、被告会社が青木所長に一二〇万円を一時貸付けるというものである。したがって右の一二〇万円は「現場経費」としての簿外交際費ではく、「貸付金」である。査察官は右別紙1「現場経費明細書」記載のものが、簿外交際費に該当するのか否かも全く調査をしていないのである。

また、同じく、第二申述書の別紙1の「五二・二・一五」」支払いとして「一、三〇〇、〇〇〇」円(土田武夫が五二・二・一五禀議書起案)を現場経費として支出しているが、その「内容」欄には、「清水建設小野課長」と記載されている。右記載のみでは、金一三〇万円が清水建設の小野課長にいかなる趣旨で支払われたのか全く不明である。右金一三〇万円が被告会社から清水建設の小野課長に贈与したものか、あるいは、貸付けたものか、それとも工事現場の経費として使用する目的で支出されたものか、全く不明である。

右に指摘したのはほんの一例である。第一申述書および第二申述書の各別紙1記載の「現場経費明細書」に基づき、査察官は清水建設の関係者について裏付捜査を行ない、右各別紙1記載の「現場経費」が現実に支出されていたか否か、右現場経費が簿外交際費に該当するのか否か、を調査すべきであったのである。なぜなら、簿外交際費の具体的な金額は、直ちに本件のほ脱所得の金額に影響するばかりでなく、本件のほ脱法人税額に影響するからである(第一審判決添附の修正損益計算書「交際接待費」欄参照」。ところが、査察官は、「現場経費」を含めた簿外交際費の支出の有無については、受領者側である清水建設の関係者について、全く裏付捜査をしていないのである。関谷証人自身、これらの裏付捜査をしなかったことを認める供述をしていることは再三前述したとおりである。このようなずさんきわまりない捜査によって作成させられた前記第一申述書および第二申述書だけによって簿外交際費を認定した第一審判決を是認した原判決は、これらの証拠(甲一の一二、甲一の一〇)を全く検討せずに、きわめて不当な認定をしているのである。

(五) 本件の強制調査着手日(昭和五三年五月一六日)には、国税局は被告会社等から前記禀議書、経費メモ等を押収しただけあって、その記載内容を検討するまでの時間的余裕はなく、「右現場経費」の明細について、関谷査察官らはその具体的な内容を把握していた訳ではないから、強制調査着手日に清水建設の関係者を取り調べたとしても、これらの「現場経費」の明細につき、その支払の真偽を調査することは不可能であった筈である。

右「現場経費」を含めた簿外交際費の明細が具体的に明らかになったのは、昭和五三年九月一八日付第一申述書(甲一の一二)および同年一〇月二五日付第二申述書(甲一の一〇)が、被告会社から東京国税局に提出された後である。したがって、査察官としては、被告会社から提出されたこれら申述書記載の「現場経費」等の簿外交際費が清水建設の関係者に真実支払われたか否か、あるいは、仮りに支払われたとしても簿外交際費に該当するのか、を確認するために、その受領者である清水建設の関係者を調査し、裏付捜査をすべきであったし、また、裏付捜査をすることは右「現場経費」に関しては容易であったことは明らかである。なぜなら、これら申述書作成の根拠となった前記禀議書、経費メモ等には現場経費禀議ないし支払の日時、金額、清水建設の工事現場名、工事現場の所長、主任、事務長等が記載されており、反面調査をすることは容易であったからである。また、このような簿外交際費の認定にあたっては、支払側である被告会社側を一方的に調査しても、受領者側である清水建設の関係者の反面調査をすることによって裏付をとらない限り、正確な簿外交際費の金額を確定することは不可能である。前述のように、簿外交際費の金額がいくらであるかは、直ちに被告会社の所得金額の増減に影響があり、法人税額の増減に影響し、ほ脱犯の成否を左右するものであるから、事案の真相を明らかにし、被告人らの基本的人権を保障するためにも、確実な証拠に基づく認定が必要不可欠である。

(六) 以上の次第であって、昭和五三年九月八日付第一申述書(甲一の一二)および同年一〇月二五日付第二申述書(甲一の一〇)提出後においても、右各申述書記載の「現場経費」を含む簿外交際費の支出の有無および簿外交際費の金額を確定するためには、清水建設の関係者を取り調べて反面調査をすることは、避けて通ることができない不可欠なものであった筈である。しかるに、原判決は、この点につき、「強制捜査に着手した当日すでに他の査察官が清水建設の関係者から事情を聴取していたので、更に取調べる必要がなかった」旨認定している。しかし、右認定が誤りであることは明らかである。強制捜査着手後にも更に清水建設の関係者を取り調べる必要性があったことは前述したところからきわめて明らかである。

(七) 次に、第一申述書(甲一の一二)および第二申述書(甲一の一〇)の各別紙2に記載されている「交際費」は、押収された被告人の手帳を基に、被告人の記憶に基づいて作成されたものである。このことは第一申述書(甲一の一二)の(註)に、「別紙2は私が支出した領収書のとれない交際費で私の手帳を見ながら私の記憶に基づいて記載したものです」(第二申述書「甲一の一〇」にも同趣旨の記載がある)、とあることによっても明らかである。

ところで、右交際費は、第一期(第一申述書の別紙2)において、計二〇五件、計金四、〇〇八、〇〇〇円、第二期(第二申述書の別紙2)において、計二一六件、計金五、八五〇、〇〇〇円、第三期(第二申述書の別紙2)において、計二〇六件、計金四、四二八、〇〇〇円、満三年間の合計六二七件、合計金一四、二八六、〇〇〇円の多額な金銭の支出である。

第一申述書の別紙2(簿外経費明細表)および第二申述書の別紙2(支出した交際費明細表)は、いずれも「支出年月日」、「項目」、「場所等」、「接待先等」、「金額」、「証拠」の各欄からなっている。右各欄のうち客観性のあるものは、「年月日」(支出年月日ではなく、単なる年月日である)と「場所等」だけである。なぜなら、これらの「年月日」と「場所等」欄の記載は、被告人が記載していた手帳に基づいたが、それ以外の欄、すなわち「項目」、「接待先」、「金額」等の欄に記載されていることは、被告人の手帳には記載がなかったから、これらの欄には被告人が客観的な証拠もなしに、査察官の指図に基づき辻褄合せのために、でたらめの事項や金額を記載したものである。したがって、これらの記載は全く客観性のないものである。本件捜査当時、関谷査察官をはじめ国税局側は、右の事実を十分承知していたため、これら交際費に対する裏付調査をしなかっただけでなく、これら交際費の支出を否認することもしなかったのである。

(八) これら交際費の支出が客観性のないものであることは、前記別紙2の「簿外経費明細表」(第一申述書)および「支出した交際費明細表」を一見すれば、素人にも直ぐ判明することである。ましてや、税務の専門家である査察官等には、これら交際費の支出がでたらめであり、全く客観性のないものであることは、先刻承知済のものであった。それにも拘らず、査察官がこれら交際費の支出の有無につき反面調査を全くせず、また、これら交際費の支出を否認することをしなかったのは、、被告会社に対する課税の便宜のために辻褄合せをしたためである。一事業年度の被告会社の交際費として金四〇〇万円ないし五〇〇万円位と認定したのは査察官である。右認定には客観的証拠など全く存在しないのである。査察官は右認定に基づいて証拠を作出するために、被告人に前記第一申述書および第二申述書を作成させたのである。したがって、前記別紙2はいずれも査察官と被告人との合作による作文にすぎないのである。被告人は、関谷査察官の指示するとおりに、第一申述書および第二申述書を作成したにすぎないのである。このことは、査察官が申述書の原稿を作成し、その原稿通りの申述書を被告人らに提出させていたことによっても明らかである(弁証二四、二五)。

(九) これら交際費の支出が全く客観性のないものであることは、次に述べるところから明らかである。

まず、第一申述書の別紙2「簿外経費明細表」(第二申述書の別紙2も全く同じ)によると、簿外経費を支出した場所を記載した「場所等」欄には、「むさしカントリー」、「むさしのゴルフ」等のゴルフ場の外には、大部分が被告会社の工事現場(これは清水建設の工事現場でもある)が記載されている。これらの場所の記載の大部分は、被告人が記載していた手帳から抽出したものであるから客観性がある。しかし、この「場所等」欄の記載のなかには、被告人の手帳に基づかないものであり、これは全く客観性のないものである。

次に「場所等」の欄が、「むさしカントリー」、「むさしのゴルフ」等のゴルフ場の場合には、「項目」欄は「車代、土産代」であり、「接待先」欄は「得意先」であり、「金額」欄は「三〇、〇〇〇」円ないし「一〇、〇〇〇」円である。また、「場所等」の欄が工事現場である場合には、「項目」欄は、「茶代―食事代」または「食事―酒代」であり、「接待先等」欄は「世話役―担当」であり、「金額」欄は「五〇、〇〇〇」円ないし「一〇、〇〇〇」円である。更に、「場所等」欄が「東京プリンス」、「東急ホテル」、「京王プラザホテル」、「第一ホテル」「パレスホテル」、「ホテルニューオータニ」等のホテルである場合には、「項目」欄は、「車代」であり、「接待先」欄は「得意先」であり、「金額」欄は「五〇、〇〇〇」円なし「一〇、〇〇〇」円である。

以上の記載によっても明らかなように、「項目」、「接待先」、「金額」の各欄の記載は全く裏付け証拠はなく、客観性のないものである。「項目」欄は、ゴルフの場合にはすべて「車代、土産代」であり、工事現場の場合には「茶代―食事代」ないし「食事―酒代」であり、ホテルの場合にはすべて「車代」である。「接待先」欄は、ゴルフおよびホテルの場合にはすべて「得意先」であり、工事現場の場合には、すべて「世話役―担当」である。右の「得意先」とは清水建設の関係者のことである。前記別紙1に記載されていた「現場経費」の場合には、一応客観的な証拠である禀議書や経費メモ等に基づいて記載されたので、「支払金額」や「支払先」も具体的に記載されていたが、別紙2に記載されている「支払先」はすべて抽象的な「得意先」または「世話役―担当」等と記載されている。

(十) したがって、これら別紙2に記載されている「交際費」は、前記別紙1に記載されている「現場経費」に比較し、客観性および具体性に欠けるものであるから、査察官としては、被告会社が支払った「支払先」である「得意先」または「世話役―担当」が具体的に何人であるのか調査し、特に「得意先」である清水建設の関係者にあたって、別紙2記載のような「項目」および「金額」の接待を受けているのか否かの調査をする必要があったのである。ところが、査察官はこのような調査を全く行っていないのである。このような調査をしなかったのは不可解という外ない。なぜ、清水建設の関係者にあたって被告人らが前記別紙2に記載したような接待を受けたのか否かを調査しなかったのか、疑問に思わない人はいない筈である。この点に関し、原判決は、前述のように、「強制調査に着手した当日すでに他の査察官が清水建設の関係者から事情を聴取していたので、更に調べる必要がなかった」旨認定しているが、右認定が全く誤りであることはきわめて明白である。査察官は、前記第一申述書(昭和五三年九月一八日)および第二申述書(同年一〇月二五日)の提出を受けた後において、簿外交際費の支出の有無に関し清水建設の関係者を取り調べる必要があったのである。このことは前述したところからきわめて明白である。

3 付加するに、本件において清水建設の関係者を取り調べる必要性があったのは、たんに「簿外交際費の支出」の問題だけではない。

関谷査察官が作成した昭和五三年九月一一日付質問てん末書四通のうちの「検乙一〇」には、残土処分代が六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円位あった旨の供述記載があるほかに、本件仮名預金等の資金源として、「水増し人工代が五、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万円位あった」旨の供述記載がある。しかし、右供述記載も、残土処分代の供述記載と同様に、何等具体的根拠もないし、客観的な裏付証拠も存在しない。関谷証人自身、人工代の水増計上の有無につき、これまた裏付捜査をやっていないことを明確に認めている(第二二回公判、八四〇丁)。

人工代の水増しとは、架空人件費のことであるから、架空人件費を計上しているかどうかを調査することは可能である。もし、被告人らが本当に前記供述記載のような人工代の水増計上をしたのであれば、関谷査察官は、その真否を確認するために裏付捜査をすべきであったし、また、右裏付捜査をすることは可能であった。人工代の水増計上があったか否かの裏付捜査をやるには、清水建設の関係者を取り調べる必要がある。すなわち、被告会社の工事代金の主たるものは人工代であるが、この人工代は、毎月所定日に元請の清水建設から被告会社の取引銀行の預金口座に送金される。また、清水建設から毎月支払われる人工代は出来高払いであって、清水建設の現場監督が記帳している出面帳に基づいて計算されるので、右出面帳と被告会社の人工代の支払を記載した帳簿とを対照すれば、人工代を操作したか否かを明らかにすることができる。また、清水建設から毎月送金されて入金する人工代の明細を明らかにすることは、清水建設の人工代の支払を記載した買掛帳簿、被告会社の取引銀行の送金明細(当座預金元帳)、被告会社の工事代金の売上帳簿等によって可能である(第二五回公判、被告人の供述、九二二丁)。被告人が人工代の水増計上問題の取り調べを受けたのは、前記質問てん末書(検乙一〇)が作成された昭和五三年九月一一日である。本件強制調査着手日(同年五月一六日)から約四ケ月後である。すなわち、「本件強制調査着手から四ケ月後においても、清水建設の関係者を取り調べる必要性があった」ことは、右の事実によっても明らかである。したがって、原判決が「本件強制調査着手後に清水建設の関係者を取り調べる必要がなかった」と認定したのは明らかに誤りである(なお、後記第五点第五項10(一)、(二)「一一九丁ないし一二一丁」参照)。

二、上告趣意第一点のうち、第八項中(一三丁表一一行、一二行目)に、「原判決は、この点を全く無視しており、」とあるのを、「原判決はこの点につき、更に取り調べる必要がなかった、旨認定するが、右認定は」と訂正する。

三、同第一〇項中(一五丁表一二行目)の、「昭和五三年九月一八日付申述書(検甲一の一二)と「が証拠として」との間に、「および同年一〇月二五日付申述書(検甲一の一〇)」を挿入し、同項中(一五丁裏四行目)に、「この申述書(検甲一の一二)」とあるのを、「これらの申述書(検甲一の一二、甲一の一〇)」と訂正する。

四、同第一一項中(最初から四行、五行目)に、「しかしながら、この点についても、原判決は何等の判断を示さず、無視している。」とあるのを、左のとおり訂正補充する。

「この点につき、前述のように、原判決は、本件強制調査着手後に清水建設の関係者を取り調べる必要なかった、旨認定しているが、右認定が明らかな誤りであることは本補充書第一項1ないし3において前述したとおりである。」

五、同第一一項3中(最初の行から四行目まで)に、「また、右禀議書は被告会社の従業員が簿外交際費を支出する際に作成していたものである。被告人自身が簿外交際費を支出する際には、ほとんど右禀議書は作成していなかった。」とあるのを、左のとおり訂正補充する。

「また、右禀議書は被告会社の従業員が簿外交際費のうち『現場経費』(甲一の一二および甲一の一〇の各申述書の別紙1記載)を支出する際に作成していたものである。被告人自身が簿外交際費(甲一の一二およぴ甲一の一〇の各申述書の別紙2記載)を支出する際には、右禀議書は作成していなかった(なお、詳細は本上告趣意補充書第一項2参照)。」

六、同第一一項3中(一七丁裏六行ないし一〇行目)に、「そのため、査察官は、被告人自身が支出した簿外交際費の内容を明確にさせる名目で申述書(検甲一の一二)を被告人に作成させたのである。この申述書の記載内容についても、査察官は全く裏付捜査をやっていないことは前記第一〇項において述べたとおりである。」とあるのを、左のとおり訂正補充する。

「そのため、査察官は、被告会社が支出した簿外交際費の内容を明確にさせる名目で被告人に申述書(甲一の一二および甲一の一〇)を作成させたのである。この申述書の記載内容については客観性や具体性がなく、裏付捜査をやってその真実性を確認する必要があったに拘らず、査察官は全く裏付捜査をやっていないことは前記第一〇項および本上告趣意補充書第一項2において述べたとおりである。」

七、同第一一項3中(一七丁裏末行)に、「この申述書」とあるのを、「これらの申述書(甲一の一二および甲一の一〇)の各別紙2」と訂正する。

八、同第一一項6中(二〇丁表三行、四行目)に、「特別の理由ないし事情がなかったことは、前記証拠決定が誤った認定をした」とあるのを、「特別の理由ないし事情がなかったことは、原判決および前記証拠決定が誤った認定をした」と訂正する。

九、同第一二項1中(二〇丁裏一〇行ないし一二行目)に、「……簿外交際費の禀議書があったか、そのなかには、清水建設の役職の人の名前の書いたものがあったか、裏付調査はしなかった。」とあるが、誤記があるので、右部分を「……簿外交際費の禀議書があったが、そのなかには、清水建設の役職の人の名前を書いたものがあったが、裏付調査はしなかった。」と訂正する。

一〇、同第一四項中(二三丁裏七行、八行目)の、「清水建設の関係者の」と「裏付捜査を全くしていない」との間に、「裏付捜査をする必要があったのに拘らず」を挿入する。

同第一四項中(二四丁表九行目)に、「合理的な理由を判示していないだけでなく、」とあるのを、「更に取り調べる必要がなかったためと認定しているが、右定が誤りであることは本上告趣意補充書第一項1ないし3に詳述したとおりであって、清水建設の関係者の裏付捜査をやる必要性があったに拘らず、これを看過し、右のような誤った認定をしただけでなく、」と訂正する。

一一、同第一七項(結論)3の末尾の「(前記第九項、第一〇項)」とあるのを、「(前記第九項、第一〇項、本上告趣意書第一項1、2)」と訂正補充するほか、右3の末尾に左のとおり付加補充する。

「また、本件強制調査開始四ケ月後頃になって、本件仮名預金等の資金源を調査した際に、その資金源として、残土処分代が六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円位あった旨の被告人の供述のほかに、水増し人工代が五、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万円位あった旨の供述を得たのであるから、関谷査察官は、これらの資金源の存否につき裏付捜査をやる必要性があったのである。とくに、人工代の水増計上の有無については、親会社である清水建設の関係者や帳簿類を取り調べる反面調査をやって裏付けをとる必要性があった(本上告趣意補充書第一項3参照)。」

一二、上告趣意第二点第四項3中(三六丁裏八行目末尾)に、「……認める旨供述記載されている。」とあるのは、「……認める旨供述記載されている、」の誤記であるので訂正する。

一三、上告趣意第四点第四項4中(八四丁表九行目)に、「……深夜にまで及び取調べ……」とあるのは、「……深夜にまでぶ取調べ……」の誤記につき訂正する。

一四、上告趣意第五点第五項8中(一一六丁裏一〇行目)および同10(一)(一一九丁裏五行目)に、いずれも「前記質問てん末書(検乙九)には、とあるのは、「前記質問てん末書(検乙一〇)には、」の誤記であるので訂正する。

一五、上告趣意第七点第八項4(一七三丁表一二行目)に、「詳述は、」とあるのは、「詳細は、」の誤記であるので訂正する。

一六、上告趣意第八点第一の第四項1中(二〇〇丁表九行目の末尾)に、左のとおり付加補充する。

「すなわち、昭和五三年一〇月二五日付被告会社の申述書(検甲一の一〇)の別紙2(現場経費明細書)によると、簿外交際費中の「現場経費」の支出を必要として、その旨禀議書を起算した被告会社の従業員は、土田武夫、高橋昌治、管原七郎、斎藤茂等前記源助に出席した者が大部分であったのである。」

一七、上告趣意第八点第二の第三項2中(二一二丁表末行目)に、「日曜察日」とあるのは誤記なので、「日曜祭日」と訂正する。

一八、上告趣意第八点第三の第四項1中(二三五丁表一行目)、同項2中(二三五丁裏五行、六行目)、同第七項2中(二四〇丁裏一一行、一二行目)に、いずれも「賞与金支給の一覧表」とあるのを、いずれも「賞与金支給の一覧表(検甲二の九の一、二、甲二の一一の一、二)」と訂正する。

一九、同第四項2中(二三五丁裏八行ないし一〇行目)に、「被告会社の取引銀行から、各九月中に決算賞与として従業員に支給するため預金の払戻しを受け、」とあるあとに次のとおり挿入する。

「(このことは次のことから明らかである。すなわち、国税局に押収されている太陽神戸銀行立川支店から被告人会社宛の別紙当座勘定取引明細書によると、被告会社は昭和五〇年九月二九日、右支店から現金一一、七二〇、七五八円の払戻しを受けているが、右金額は被告会社の給料明細表綴中の賃金台帳(検甲二の一一の一)および昭和五〇年度分源泉徴収簿兼賃金台帳記載の決算賞与の支給金額と一致する。また、同じく押収されている第一勧業銀行立川支店から被告会社宛の別紙当座勘定照合表によると、被告会社は昭和五二年九月三〇日右支店から現金一二、四二〇、三九二円の払戻しを受けているが、右金額は前記賃金台帳(検甲二の一一の二)の昭和五二年九月三〇日付の決算賞与として高橋昌治等二六名の従業員に支給する金額、および、昭和五二年度分源泉徴収簿賃金台帳記載の決算賞与の支給金額、といずれも一致する。右の事実によって、右払戻し金は被告会社が決算賞与の支給にあてるために引き出したものであることは明らかである。)」

二〇、上告趣意第八点第四の第一項中(二四一丁裏九行目)に、「被告に故意」とあるのを「被告人に故意」と訂正する。

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